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英雄の帰還(ただし、前科4犯)  作者: 菅野鵜坂
第1章 英雄、帰還する(前科1犯)
13/20

おつかいの強制終了

 道行く人々は、最初は興味深げにその様子を見ていた。

 大の男が、少年と少女に派手に投げ飛ばされたのだ、最初に湧いてくるのは好奇心だけであった。

 映画か何かの撮影では、と勘違いする人や、面白そうに携帯電話のカメラでその場を収めようとする者すらいる始末だ。

 

 だが、それも直ぐに悲鳴に変わる。

 

「その場に膝をついて、うつ伏せになれ!」


 ロブの怒鳴り声とほぼ同時に、乾いた銃声が響き渡る。

 天に向けられた銃口から、鉛玉が発射されたのだ。

 

 それを合図として、人々は、これが撮影でもアトラクションでもない事に気付く。

 悲鳴と共に、蜘蛛の子を散らすように避難していく人々。

 その際に、倒れるなどして怪我を負った者がいなかったのは幸いであった。

 

 避難する人々が向かう先からは、甲高いサイレンと共に2台のパトカーがやって来る。

 そして、ジェレミーとアリアを挟みこむ様に、甲高いブレーキ音を響かせて2台同時に停車する。

 間をおかずに、降りてきた警官達が、パトカーのドアを楯にするようにして銃を構えた。

 

「手を後ろに組んで、その場にうつ伏せになれ!」


 異口同音に発せられる、警告の言葉。


「他に増援の気配はあるか?」

「少々お待ち下さい」


 ジェレミーの問いかけに応じて、アリアが静かに魔法を発動する。

 しかし、彼らを囲む警官にとっては、ただアリアが黙り込んで瞳を閉じているようにしか見えない。


「確認できるのは……似たような自動車が7台こちらに向かっています。到着には4分程かかるかと。また、こちらに向かってくる人物が……15人……いえ、もっと増えていきますね。音から判断するに、全て成人男性かと思われます」


 非常に不味い状況である。

 武器らしき物をこちらに向けている成人男性が、10人程。

 さらには、それが時間と共に増え続けるのだ。


「奴らの身分は、結局何なんだ?」


 そもそも、この様な事態になった発端は、謎の人物に声をかけられた事なのである。


「彼らが用いている、通信機器の音声を鑑みるに『警察』という組織の構成員のようです」

「警察?」


 この時代に来てから、ジェレミーが初めて聞く単語であった。

 

「……どうやら治安維持組織のようです」

「つまりは、法務騎士隊の事か?」

「そのようです。どうやら、この時代では『法務騎士』は『警察』と名を変えているようです」


 「極めて遺憾です」と付け加えてアリアは唇をかみしめている。


 これは……非常に不味い。

 ジェレミーは頭を抱えそうになる。

 自分達は知らないうちに、国家権力を向こうに回していたようだ。

 既に相手方は、完全にこちらと敵として認識している。

 今更、友好的な態度を示しても……意味がないように思われる。

 かと言って、素直に捕まるのは……どうなのだろう?


「単純な2択です。投降するか、打倒するか」


 完全に自分達のしでかした事を棚に上げたアリア発言であった。


「打倒ってお前……」


 しかし、ジェレミーの突っ込みを完全に無視して、アリアは以下のように断言する。


「しかしながら、投降はあり得ません」

「どうしてだよ?」

「我々に落ち度はありません。我々に先に危害を加えたのは、先程の印象に薄い男の方です。何ゆえ、我々が下手に出なければならないのですか?」

「いや、こっちにも落ち度はあると思うぞ……」


 そうは言っても、アリアが納得するようには思えなかった。

 是は是、非は非。

 自らに落ち度があれば、それを素直に認めるのがアリアならば……。その逆もまた然りであろう。

 

 見知らぬ男からいきなり身分を質され、無許可のまま身体に触れられ、反撃(しかも、かなり手心を加えて)した後には武器を向けられて威嚇され、さらには仲間の増援による示威行動を受けている。

 アリアの頭の中における一連の流れは、このように規定されている。

 

「…………」


 無言のままのアリアが、戦闘態勢に移行しつつあるのが分かった。

 このままでは、双方にとって、さらに望まない状況になるのは明らかであった。

 

「アリア……逃げるぞ」


 ジェレミーの中では、彼自身がげんなりする位に汚い考えがあった。

 自分達が逃げれば、騒ぎは当然大きくなるだろう。

 しかし、そうなれば自分達の身元引受人にも知る所になるのだ。


(レネ頼みというのは……自分でもいかがな物かと思うが)


 しかし、投降を頑として認めないアリアがいるならば、それ以外に手段がないのも事実なのである。


「何故ですか? 説明を求めます」

「敵の力量が不明なまま、戦闘行為に走るのは危険としか言いようがない」


 微妙にアリアから視線をそらしながら、ジェレミーは小さな声で言った。

 その言葉を、無言のまま反芻するアリア。

 だが、何度かジェレミーと警官達の間で何度か視線を移動させた後に……

 

「了解しました」


 きつい視線をジェレミーに送りつつ、不服気に返してくるアリア。

 

 何とか、言葉だけであるがアリアの同意を得たジェレミーは、小さく息を吐いた。


 それと同時に、さらに2台のパトカーが現れ、先程と同じように警官達を車内から吐きだしていく。

 

「とりあえず、僧院に向かって逃げるぞ」


 レネの元に近づけば、彼女の反応をいち早く察知できるかも、という希望もあった。

 

 続々と自らに向けられる銃口の数が増えていく。

 それに比例して、警官達の神経も逆立って行くのが分かる。

 そろそろ限界が近いだろう……。

 

「行くぞ、アリア」


*************************************


 短いやり取りの後、2人が地面を蹴った。

 傍目からすれば、極めて軽い挙動だっただろう。

 跳躍、というには余りにも力の込められていない動き。

 しかし、彼らの体は重力の楔など、初めから存在しなかったかのようであった。

 呆然とする警官達の視線の先では、2人の体が見る見るうちに上昇していく。

 

 その場を目撃していた警官の1人は、野球というスポーツが大好きだった。

 彼は、上昇していく2人を「意外に伸びたホームランボールみたいだ」と、どこか現実味のない感覚を以って見ていた。

 

 やがて飛び上がった2人の姿が、10メートル程度のビルの屋上に消えた後も、警察官達は茫然としていた。

 自らの目の前で起きた事が、理解できていないのだ。

 

「あいつら……人体改造者なのか?」


 ぽつり、と一人の警官が漏らす。

 

「馬鹿言え……あいつら2人が、特殊作戦群とか機械化師団の奴らに見えたか?」


 同じようにビルの屋上を見上げた警官が、どこか引きつった笑みを浮かべながら突っ込む。


 そうなれば、警察官の頭の中に浮かぶの可能性はただ1つだ。

 肉体強化を行使できる魔法使い……。

 それはつまり、魔法使いの力量に基づいた27の分類から言えば、上から10番目に位置する丙種上級3類以上である事を意味している。

 しかし、それ以上に気になる事が彼らにはあった……。

 

「誰か……詠唱と魔法陣の展開を見た奴いるか?」


 誰かが呟くが、それに答える者はいない。

 基本的に彼らが知る所の魔法は、詠唱と魔法陣の展開を経て発動に至る。

 しかし、先程の2人にはそのような様子は見られなかった。


 ざわめきつつ、混乱の渦中にあった警官達であったが……。


「何をしている! 早く追わねーか!」


 一足先に我を取り戻した指揮官……ヨルン=ギュンター警視の野太い声で一喝され、体を竦める。

 

「魔法なぞ、最初から仮発動しておけば、詠唱も魔法陣の展開も必要ないだろうが! お前達は警察学校で何を習ったんだ!?」


 それでも動かない警官達に対して、ギュンターは怒鳴り続ける。


「対象は、丙種上級3類……いや、2類と認定する。奴らが攻撃行動を取った場合、即座に発砲しても構わん! さっさと追え!」


 再び一喝され、泡を食って男女の追跡を開始する警官達。


「誰か、魔法技術省に照会かけろ! 丙種レベルの奴らなら、確実に登録されてるから、直ぐに身元が割れるはずだ」


 ギュンターが言った通り、この国において「丙種」という大カテゴリーに分類される魔法使いは、極めて少ない。

 どんなに多く見積もっても、100人はいないだろう。

 加えて、その魔法使い達は、全て魔法技術の所管省庁である魔法技術省のデーターベースに、指紋や顔写真、現住所などの情報が登録されている。

 

「あんな寂れた技術を研究してる金食い虫どもだ。たまにはマトモに働かせてやれ」


 ギュンターの言葉に頷いた警官が、早速行動に取りかかる。

 それを確認した後、ギュンターは一人だけ所在なさ気にしている若い警官に向き直る。


「あの2人と最初に接触したのは、ロブ、お前だったな!?」

「そうであります。ギュンター警視!」


 鬼と怖れられる上官に名を呼ばれて、ロブは反射的に背筋を伸ばす。

 

「第一報では、奴らは……あーっとジェレミーとアリアと名乗っていたとのことだったが」


 コメカミが痛むのか、ギュンターはその付近に人さし指を当てている。

 

「間違いありません」

「そして、職質をかけようとしたら、抵抗されたと?」

「両名を確保するために、腕を掴んだ結果……その……投げ飛ばされまして」


 ロブは自らの背中によって潰された、花屋の店先にあるプランターを指さす。


「うん? それでも、お前に怪我はないと?」

「はい。特には……」

「……意味が分からないな。あれだけの魔法……あーっと肉体強化の魔法だから……」

「指定番号、第22番、第37番、第47番などに類する魔法かと思われます」

「あー、そうだったか。とにかくだ、そう言った魔法を簡単に行使できるような奴が……どうしてお前をその程度で済ませたんだ?

「と言いますと……?」

「あれだけの魔法を使えるんだ、お前を殺すなんてわけない。大体にして、頭がハッピーな薬中かキ印なんだろう? だったら、どうしてお前に手心を加えたんだよ?」

「…………さあ?」

「さあ、じゃねーよ。少しは考えてみろ、お前が一番長くあいつらと接してたんだからな」


 そうは言っても、ロブには手心を加えられた自覚もなければ、心当たりもない。

 2人との会話を思い出すロブだったが……しかし、ギュンターの意図するところとは違う事を思い起こす。

 

「そう言えば……」

「何だ? 何か思い出したのか?」

「彼らのパーソナリティーではありませんが……奴らはレネ=フォルクル、教皇猊下が保護者だと、意味の分からない事を述べていました」


 そう自ら言ってから、2人の消えた方向を見るロブ。

 それはギュンターも同じであり、ある事実に行き当たると大きく舌打ちをした。


「誰か聖庁に連絡しろ……不審者が本山に向かってるから、警備を厚くしろと言っておけ」


 ギュンターは苦々しげに吐き捨てた後、さらに続ける。


「それから本庁にもだ。ありったけの人員を、こっちに割くように求めろ。間違えるなよ『ありったけだ』」


**************************************


 逃走開始から半刻が過ぎた。

 ジェレミーとアリアは時にビルの屋上から屋上へと跳躍し、時にビルとビルの隙間に身を潜めながら、逃げ続けていた。

 先程から、自らに向けられた追手の数が予想以上に増えている事は探知しており、微かな焦りがジェレミーの中にあった。

 

 さて、その様な中、現在の2人は10階建てのビルの屋上におり小休止を取っていた。

 

 ジェレミーとしては、アリアと今後の行動方針を話し合いたいところなのだが……。


「埒が明きません……打って出ましょう」


 無駄なまでに勇ましくアリアが提案してきた。

 冷たい美貌とは裏腹に、脳ミソまで筋肉で出来ているとジェレミーが評するアリアは、先程から焦れ続けている。

 戦略的撤退ならば彼女も納得するのだろうが、明らかに自らよりも戦力に劣る相手に背を見せるのは、承服しかねるようだ。

 

「大丈夫です、命までは奪いませんので」

「命以外は、奪うつもりなんだな……却下」

「そ、そんなぁ……」

「そんなぁ、じゃねーよ。とにかく今は、時間を稼ぐんだ」


 そうすれば、レネが何らかの方策を打ってくれるはずだとジェレミーは確信している。


「何が、憧れの英雄なんだか……」


 思わず自嘲気な呟きを漏らすジェレミーだったが……


「ジェザ。何やら奇妙な音が近づいてきます」


 アリアの声で現実に引き戻される。


「変な音?」


 ジェレミーもアリアと同様に、聴覚を鋭敏化させる。

 アリアに比べて、聴覚の鋭敏化は不得手なジェレミーであったが、彼女の言っている奇妙な音とやらは、直ぐに分かった。

 

「何だこれ? 聞いた事がない音だ……」


 擬音語化するならば「バタバタバタバタ」としか表現できない音であった。

 強いて言うならば……

 

「まるで、空気が叩かれているみたいですね」

「ああ、確かにそんな感じだな」


 アリアの表現に頷きながら、ジェレミーは音のする方向を見る。

 丁度正面(方角で言うと北になる)には、2人がいるビルの2倍以上の高さを持つ建築物があった。

 音は近づいてはいるが、姿は見えない。

 恐らくは、目の前にあるビルが邪魔になっているのだろう。


「しかし……これは五月蠅いな」

「全くです……」


 耐えきれなくなった2人が、聴覚の鋭敏化を解こうかと思った時……

 正面のビルの影から、それが現れた。

 

「……あれって、飛行機って言うんだっけ?」


 羽らしき物を頭の上で回転させている、飛行物体を指さすジェレミー。


「……いえ、飛行機は羽が2枚あるのが基本らしいです」

「あれの頭の上で回っているのが、4枚だから違うのか……。こらこら、そうやって撃ち落そうとするな……てか、ビビり過ぎだろ」

 アリアの右手に魔力が回転しながら収束しているのを感じて、ジェレミーがその手を抑える。


「べ、別にビビってなどいません」

「嘘つけ。変なところで、臆病者のくせに」

「そのように思われるのは、極めて遺憾です」

「遺憾じゃねーよ。それより、撃ち落とすのは絶対に禁止だ」

「落としはしません。その場で蒸発させてみせます」


 どうやら、初めてみる飛行物体に、アリアは相当怯えているようだ。」


「尚更駄目だってーの……。そんな事より、逃げるぞ……」


 ジェレミーの耳には、飛行物体……ヘリコプターの操縦士が仲間に、自分達の居場所を報告している声が聞こえた。

 

 2人でビルの屋上から飛び降りると、不気味なまでに通行人がいなかった。

 先程、自分達を追っている「警察」という組織が、通行人を建物に避難させていたからだろう。

 もちろん、それはジェレミー達にとっても、都合のいい事ではある。

 

「空から監視されるのは、厄介だな……」

「やはり……」

「撃ち落とすのも、蒸発させるのもなしだ」


 ヘリからの連絡を受けたのか、パトカーのサイレンがどんどん近付いて来る。


「アリア。走るぞ」


 相手が頷くのを確認して、2人は同時に走り出す。


 人間とパトカーのカー(?)チェイスが開始された。

 

**************************************


 ヘリコプターという空の目が出現してから、ジェレミーとアリアの逃走は不味い状況になりつつある。

 どれ程逃げても、身を隠そうとしても、ぴったりと空から監視されてはどうしようもない。

 何度パトカーを巻いても、数分後には再びジェレミー達の前に現れるのだらか、始末に負えない。


「あー、もうっ、またかよ!」


 正面の交差点から右折し、こちらに向かってくるパトカーを、そのまま飛び越えるジェレミーとアリア。

 飛び越えたパトカーが、背後で急停止するのが分かる。

 そして、2人にの背後にはスラップ音が、ぴったりとついて来る。


「さっきから、うるせーな! あの飛んでる奴」

「ですから先程から……」

「蒸発させるって言うんだろう?」

「違います。あのグルグル回っている羽ですが……」


 背後をぴったりとついて来るヘリコプターを、走りながら見やるアリア。

 その瞬間、ヘリコプターの操縦士が身を竦めたのが分かった。


「あれを止めましょう。そうすれば、飛び続ける事は出来ないはずです」

「でもさ、止めた後……どうなるんだ?」

「さあ?」

「さあ? じゃねーよ。撃ち落とすのと変わらないだろうが」

「しかし、このままでは埒が明かないかと」


 確かにアリアの言う通りではある。

 車や人ならば、簡単に振り切れると考えていたのが甘かったと言わざるを得ない。

 まさか、あのように低空を飛行でき、かつ小回りの利く乗り物があるなどとは予想していなかった。

 

「それはそうだが、とにかく逃げ回るしかないんだよ」

「はぁ……しょうがないですね……」


 逃走は、もう少しだけ続きそうである。


*********************************


 ヘリコプターが現場に投入されて15分後……



「はぁ!? どういう事ですか本部長!?」


 ブルンクス通りに設けられた臨時の指令所では、ギュンター警視が無線機のマイクに向かって怒鳴っていた。

 周囲の部下達が「ひぃっ」と身を竦ませた後に、そそくさと距離を取る。

 

「奴らの追跡を止めろってーのは、どういうですか!?」


 恐らく無線機の向こうにいる人物……帝都警察の序列2位であるバートリー=ボルフ帝都警察本部長は、顔を顰めているだろう。

 

「知る必要はないですって!? 馬鹿なこと言わないでくださいよ! えっ? 人的被害はないんだから、問題ないだろうって? 馬鹿にするのも大概にしてください!」


 帝都中央部の地図が置かれた机に、ギュンターは大きな右手を叩きつける。

 

「被害があるとか無いとか、そう言う問題じゃないでしょうが! どっからその話が来たのか言わない限り、俺は部下に止めろとは……」


 だが、ギュンターの言葉の勢いは徐々にしぼんでいく。

 

「…………いえ、そういうわけではないのですが。まさか……そのような……。はい、了解しました」


 奇妙な静けさが周囲を包んだ。

 じっと、警官達は自らの上司を見つめている。

 その視線にも耐えかねたのだろう、ギュンターが無線機のマイクを机に叩きつける。

 

「くそがっ!」


 荒い息を立てつつ、視線だけで人を殺しかねないほど凶暴な顔つきのまま、ギュンターは下令する。

 

「全員……撤収だ」


「はっ? 今、何と?」


 一番近くにいた30代の警官が、問い返す。


「撤収だと言った! 全員速やかに追跡を終了し、通常業務に戻れ!」

「し、しかし……それはいくらなんでも」


 なおも食い下がる警官であったが……

 

「上からの命令だ……止むを得ないだろう」


 その返答に対して、警官は首を傾げる。

 目の前の上司は、自分の信念に愚かなまでに正直であり、筋が通らぬと思えば、どのような上司にでも喰ってかかった人物である。

 それにもかかわらず、決して納得していないまま、上司の指示に従うなど考えにくい。


「上とは……長官ですか?」


 帝都警察本部長の上で、現場に直接意見する人物と言えば、警察庁長官くらいなものであると、その警官は認識していた。

 しかし……

 

「そうではない。この話はこれで終わりだ」


 一方的に話を打ち切り、ギュンターは懐から煙草を取り出して口にくわえる。


「それから、今回の追跡で撮影した容疑者の映像などは、全て提出しろ。加えて、今回の件について口外する事を一切禁止する。例え、同僚であってもだ」


 あまりにも理解不能な命令であった。

 ざわめく部下達から、バツが悪そうにして視線を外すギュンター。

 

「頼むから、指示を聞いてくれ……」


 そして、彼のいかつい容姿からは想像も出来ないような、懇願じみた言葉が出てくる。


 その時点で、警官達は「このヤマは、相当にヤバい」という事を本能で察知する事が可能であった。

 納得はしていなくとも、理解はできる。

 これ以上、首を突っ込めば、その首自体が飛んでいくかもしれないと。

 

「了解……しました」


 ギュンターの命令に従い、各々行動し始める警官達。

 その姿を見つつ、ギュンターは本部長に異例の命を下した人物を思い浮かべる。

 通常、その人物が、このように強権的な措置を取る事はない。

 法律上は可能であるが、そう言った事をなるべく避けてきたのが、その人物の美徳だと世間では言われている。

 しかし、この件に関してだけは違った。

 有無を言わさぬ命令を下したのは、どういう理由だ? とギュンターは考え出すが、直ぐに首を振る。


「雲上人が……どうして出てきたんだ」


 誰にも聞こえないように口にした呟きは、忙しく歩きまわる部下達の足音にかき消された。

 

********************************


 同時刻……ダーレイ皇国皇宮 第3執務室


 皇宮において「執務室」というのは、異質な部屋である。

 その名の示す通り「執務」を行う部屋であるために、他の部屋に比べて質素なのだ。

 必要最低限の物しか置かれておらず、豪華な調度品や、価値ある絵画は飾られていない。

 一目見ただけでは、ここが皇宮の一室であると、信じられないかもしれないだろう。


 さて、その第3執務室には2人の男女がいた。

 1人は法衣姿の少女、もう1人はスーツ姿の若い男性である。

 互いに応接机を挟んで対面する形で座っている。

 

 男性の方は携帯電話を使って、誰かと会話をしている。

 そして、少女はその男性の様子を心配げに見つめていた。


「これで、宜しいでしょうか猊下?」


 通話を終えた男性は、少女……レネ=フォルクルに微笑みながら確認する。

 男性の言葉を聞いて、レネは今まで祈るように組んでいた両手を、ようやく解いた。


「これで、お2人が追われる事はないのですね?」


 レネは質問に質問で返してくる。

 それを受けて男性は、わざとらしく肩を竦めてみせる。


「大丈夫ですよ。もしも俺の命令に逆らったなら、それこそ異界送りにでも処しますよ」


 わざとらしく笑えない冗談を口にした男性は、レネの反応がいまいちだったのを認めて、小さく苦笑する。


「本当にありがとうございます。陛下」


 教皇としてのベールを脱いだかのようなレネの謝意に対して男性……第40代皇帝クラウス=ヴィルヌーブは、照れくさそうに右手を振る。


「止めてくださいよ。俺と猊下の仲じゃないですか」


 普段、臣下の前で見せる威厳や高貴さは、今のクラウスにはない。

 口には出さないが心の中でレネは、そんなクラウスを「近所の優しいお兄さん」と評している。

 

 300年前の皇帝……グラハム=ヴィルヌーブの生まれ変わりとも評されるクラウス=ヴィルヌーブ。

 その容姿は、絵画に描かれているグラハムのそれと、よく似ている……否、生き写しと評した方が良いだろう。

 烏の濡れ羽のような色をした黒髪は、全ての光を吸収してしまいそう程に見事な黒色であった。

 そしてその双眸もまた、見た物の魂まで引き込む様な黒である。

 それに対して肌は白く、女性のレネですら羨ましいと思う程だ。


「それにしても……ははっ」


 クラウスは口元を右手で覆って、愉快そうに笑う。


「ただの職務質問が、ここまでの大騒ぎになるなんて。やっぱり、面白い人達ですね」


 その言葉には皮肉も悪意もなく、ただ純粋に事の成り行きを楽しんでいると理解できる。

 

「陛下。その……そういう言い方は」

「ああ、申し訳ありません猊下。まあ、何にせよ、これで多少は落ち着くでしょう」


 そう言ってクラウスはにやつきを消すために、軽く自らの右頬を手で叩く。


「追跡が中断された事は、お2人が直ぐに知る所になるでしょう。となれば……まあ、そのうち僧院の方に戻ってこられるかと」

「はい。重ね重ね、お手を煩わせて申し訳ありません」

「ですから、気にしないでくださいよ」


 困ったように鼻先を指で掻くクラウスだったが、やがて何か良い事を思いついたように、意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「でしたら、一つだけお願いが……」

「はい。何でしょうか!?」


 クラウスが言い終える前に、レネが身を乗り出して言う。

 やや気圧されたように体を引いたクラウスであったが、笑みは崩さずに続ける。


「できれば、お2人をこちらに、お連れしてもらえませんか?」

「こちらとは……皇宮にですか?」

「はい、そうです。個人的にもお2人には是非ともお会いしたいですし……それに今後の事を少々お話ししたいと思いまして」


 後半はやや言い難そうにして、クラウスは付け加えた。

 その言葉をゆっくりと咀嚼し、レネは神妙な面持ちで頷く。

 

「分かりました。お2人が戻られ次第、再度伺わせていただきます」

「猊下やお2人の足を煩わせるのは、非常に心苦しいのですが、お願いいたします」


 皇帝であるにもかかわらず、低頭するクラウス。

 その姿を見て、慌てて手を振るレネ。

 

「お止めください……その……私と陛下の仲ではありませんか」


 気の利いた返しをする、という事が極めて苦手なレネの言葉は、どこか微笑ましい物であった。


*********************************************************


 話がまとまり、レネが執務室を退室した後、室内にはクラウスだけが残されていた。

 彼はじっと腕を組み、瞳を閉じている。

 深呼吸を1つした後、そのまま彼は顔を天井へと向ける。

 

「英雄か……」


 呟いた後、彼はゆっくりと目を開ける。

 その瞳には感情の色はなく、先程レネと親しげに会話をしていた、「近所の優しいお兄さん」はどこにもいない。

 臣下の前で見せる「皇帝」としての彼以上に、冷徹であり無機質な存在が、そこにはいた。

 ダーレイ皇国という巨大な装置の中で、最も小さい歯車。

 それが、クラウス=ヴィルヌーブである。


 無機質な動作で、彼は机に置かれている電話の受話器を取り上げる。

 連絡する相手は、彼が最も信頼し、最も「使える」と評する歯車である。


「私だが……今から言う人物を集めてくれ。ああ、そうだ……。猊下が連れてくる、2人に関しての話だ」


 電話口で言いつつ、クラウスは件の2人の姿を思い浮かべる。

 現代の者が口々に「英雄」と評する2人。

 クラウスの遠い祖先となる者達。

 そして、これからどう配置すべきか考えなければならない、2つの歯車でもある。


「呼ぶのは、3人だ。まずは……スノウの翁、ケッチャムの小坊主、それからご隠居の3人。ああ、頼んだぞ」


 簡単な通話を終えて、受話器を戻すクラウス。

 その口元は、三日月のように歪み、彼はそれを右手で隠す。

 そして、自然と低い呟きが漏れる

 

「俺達の国に……英雄はいらない」

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