家に帰るまでがおつかいです
ロブ=バーロフは、今年で27歳になる。
職業は警官、階級は2等巡査。彼の学歴にしては、割合出世をしている方だと言える。
所属は、全国の警官の憧れとも言える帝都警察。これも、彼が無能な警官で無い事を示している。
配属先は刑事捜査共助課という、一般市民からすれば、少々聞き覚えのない部署かもしれない。
主な職務は「見当たり捜査」と呼称されるものである。指名手配犯の顔を数100人分頭に叩き込み、雑踏や繁華街の人ごみから見つけ出す、というものだ。
生来、人の顔を覚えるのが得意だった彼にとっては、ある意味で天職と言えるかもしれない。
さて、そういった職務のために、彼はほぼ毎日繁華街や雑踏に立ち、指名手配犯がいないか探し続ける。
酷く地味で根気のいる捜査だが、その効果は極めて高いと言える。
帝都警察が年間に検挙する指名手配犯の2割を「見当たり捜査」が占めている点でも、それが伺えるだろう。
今日もまた、ロブ2等巡査は今日もまた帝都の人ごみを観察していた。
彼の容姿は平々凡々。存在感も極めて薄い。
彼の容姿を描写する事は、紙とインクのムダになると言われている程だ。
逆にそれが、彼の職務には好ましいとも言えるかもしれない。
周囲に完全に溶け込んだまま、彼は雑踏を観察する。
雑踏全体を1つの像をして視界に納める。
目に入る群衆の「眼」を、記憶の中にある指名手配犯のそれと比較していく。
該当者は、今の所いないようである。
だがそれでも、ロブは落胆の色を見せない。
こういった捜査は、外れて当然と考えるのが妥当なのである。
……どれ程立っただろう。
彼の視線は、ふと目の前の横断歩道を渡る2人の男女に向けられた。
男性は、薄手の長袖Tシャツに水色のジーンズをはいて、黒のキャップを被っている。
女性は、ワンピースと、ニット製の透かし編みカーディガンを身にまとっている。
両者共に、とても容姿が整っており、傍目から見れば「お似合いのカップル」とでもなるだろう。2人とも、少年と少女と形容しても良い年齢だろう。
少しだけ中性的な少年の顔立ちは、どちらかと言えば年上の女性に持てそうな雰囲気である。ロブがぱっと浮かべた印象では「女性向け詐欺師」によくいそうな顔立ちという、どうにも犯罪チックなものであった。
対して少女の方は、「見目麗しい」という言葉は、彼女のために用意されたのでは、と思える程に整った物であった。万人受けする顔立ちであり、男女問わず憧憬の思いを抱かせるだろう。
例え男でも「女に生れたら、彼女みたいな顔立ちになりたい」と思わせるほどだ。
ロブは、そのようなカップルの何を不審に思ったのだろうか?
いや、より正確に言うならば……そのカップルを見た人間は全員不信感を抱くだろう。
年の頃は、16から18といったところだろう。
人生の中で一番やんちゃで、向こう見ずな時期と言っても過言ではない。
ルールは破るためにある物、破る者こそ格好良い。
表現はオーバーかもしれないが、そういった考えを一番強く抱く時期である事は間違いないだろう。
しかしながら……
そのカップルは、事もあろうに……横断歩道を渡る際に右手を垂直に上げているのである。
それこそ、幼稚園児や小学校低学年の児童のようにだ。
もしも、そのカップルがふざけ合って、それをやっているならば問題ない。
くだらなそうに笑い合いながら、そんなおフザケをするのは、若者の特権かもしれない。
しかし、そのカップルは真顔なのだ。
それはもう、掛け値なしに。
そうしなければ、命の危機に曝されるとでも思っているかのように。
「あいつら……薬中か?」
ロブは反射的に考えた。
と言うよりも、それ以外に論理的な可能性がないのである。
いい年をしたカップルが、スーパーの袋を片手に、真顔で右手を上げながら、横断歩道を渡る。
これを不審と言わずして、何と言おうか?
「あのさ、君達。ちょっと良いかな?」
横断歩道を渡り終えたカップルに対して、ロブは微笑みつつ声をかけた。
怪しい人物がいれば、声をかけるる。
例え疎まれようとも、それが彼の義務でもあるのだ。
「なんですか?」
存外にはっきりした口調で少年の方が答える。
その両目は焦点をきちんと結んでおり、呂律も回っている。
アルコール臭もしないし、有機溶剤の臭いもしない。
しかし、上手に隠してはいるものの、少年の瞳には「警戒」が存在している。
「と言いますか、どちら様でしょうか?」
少女の方が、少年に遅れて答えた。
こちらも少年と同様に異臭や視線の泳ぎはない。
そしてまた、同様に「警戒」を滲ませている。
「ああ、ごめんね。僕は、こういう者なんだ」
ロブは常時携帯している警察手帳を、ポケットから完全に出さず、その表紙だけを2人に見せる。
この時もしもロブが、きちんと身分を口にしていたら……。
この時もしもロブが、警察手帳を表紙だけではなく、中身まで規定通りに提示していれば……。
恐らくは、面倒な事にならなかっただろう。
本来ならば、法で定められた警察手帳の提示義務がある。
しかしながら、それが完全に順守されているとは言い難い。
例えば、警察手帳の表紙を見せて「こういう者です」と映画よろしく名乗る事で、済ませる事が多々ある。
だが、この時のロブを一概に責める訳にはいかないのかもしれない。
彼が警察手帳をあえてポケットから出さなかったのは、目の前のカップルに配慮したという点もあるのだ。
このような人通りの多い天下の往来で、このようなカップルに、これ以上無駄な視線を集めたくなかった、という「無駄」と切り捨てられるような思いやりを持ってしまった。
さらに、もしもこの時、件のカップルがきちんと、ロブの身分を問い質せば面倒な事にならなかっただろう。
この時、カップルが無駄に警戒する事無く、素直にロブに従っていれば問題はなかっただろう。
不信感と警戒感を滲ませているカップルを前にして、ロブは自らの確信をますます強める。
「えーっとさ、君達は買い物か何かの途中?」
近所にある「ドシドシスーパー」の半透明のビニール袋に目をやるロブ。
透けて見える中身は、詰め替え用シャンプーとトイレットペーパーが1つずつ。
その何気なさが、逆にロブの不信感を増大させる。
「ええ、そうですよ。ちょっと、知り合いに頼まれまして」
ビニール袋をロブにかざしてみせる少年。
「知り合いっていうと。ご家族の誰かかい?」
「家族……みたいなものですね」
そう答える少年の両目は、ロブをじっと見据えている。
「ああ、それじゃあ保護者の方かな? 一応、名前聞かせてもらっても良い?」
しばしの間、2人は顔を見合わせて答える。
「「レネ=フォルクル」」
その人名を聞いて、ロブは口をあんぐりと開ける。
レネ=フォルクルを知らないはずがない。
国教会教皇であり、民衆から偶像崇拝にも似た敬愛を集める少女。
この国において、最も有名な人物と言っても過言ではないだろう。
「えーっとさ……真面目に答えてくれるかな?」
「だから、レネ=フォルクルだってば」
「あー、はいはい。教皇様とお知り合いなのね」
右手をヒラヒラと振りながら、ロブが苦笑を浮かべる。
(これは、完全にいってる……)
そうロブが思うのも不思議ではないだろう。
薬物中毒ではないにせよ、何らかの精神的疾患を抱えている可能性もある。
「それじゃあさ、2人の名前を聞かせてもらっても良いかな?」
場合によっては、警察署までの動向を求めるだけではなく、精神病院への照会も必要かもしれない。
さて、今度は真面目に答えてくれるだろうか? そう、ロブは思うのだが……。
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「どういうわけか、信じてないな」
「ええ、遺憾ですね」
ジェレミーとアリアは、極めて不服であった。
自分達は何だかよく分からない人物……ロブに呼び止められて、誰何されているのだ。
その人物は、何やら身分証明証を2人に提示しようとしたのだが、それが2人には理解不能な物であった。
いっその事、再度こちらから身分を問い質した方が良いかとも思うのだが、どうにもそれは藪蛇になりそうな気がした。
身分証明証らしき物を見せる際の彼の表情は「どうだ? 分かるだろう?」と言わんばかりのものであったのだ。
ここで問題になるのは、300年前には「帝都警察」などは存在しない事である。
ロブが誇らしげに示した警察手帳の表紙に燦然と輝く、その組織のシンボルなど、ジェレミーとアリアにとっては見た事もないのだ。
つまるところ、2人はロブ=バーロフを警察官として認識していない。
それどころか、「いきなり絡んできた変人」とすらなっている。
ロブから見れば「薬物中毒者か精神疾患者」、2人から見れば「変人」。
お互いに相手を、最悪な印象を以って認識しているのだ。
「えーっと、そろそろ良いかな? 名前を教えてもらえるかな?」
変人に対して、どう返答したものか? と2人は悩む事はなかった。
例え本名を名乗っても、300年前の人物と同一だと考える者などいない。
先程のスーパーでは、自分達の名をあやかった、という少女に出会って狼狽はしたが、今はそのような事はない。
そもそも、2人は自らの名前に誇りを持っているのだ。
現代の人間に比べて、昔の人間は自らの名に強い「誇り」を持つ傾向が強かった。
「自らの名に懸けて」というお決まりの台詞を、真顔で発せられる程なのだから。
偽名を使うなど、恥とすら考えている節すらある。
だからこそ、2人は堂々と恥じることなく、自らの名を名乗る。
「ジェレミー=ヴィルヌーブ」
「アリア=スノウ」
その名を聞いたロブは、完全に可哀想な者を見るような眼を向けていた。
「おい、どういうことだアリア?」
「分かりません……。しかし、極めて不快です」
そんなやり取りをする2人を前にしてロブは、困ったように頭を乱暴にかきむしる。
「あー、はいはい。ジェレミー=ヴィルヌーブ君と、アリア=スノウさんね。で、保護者はレネ=フォルクルきょーこー猊下様……と」
「そうだってば」
「相違ありません」
ふむ、とロブは難しげに唸った後、今度は表情を妙に明るくする。
「とりあえずさ、一緒に来てもらえるかな? 聞きたい事もあるし、調べなきゃ駄目な事もあるし」
努めて優しげな口調と表情で言うロブなのだが……
「いや……それはちょっと困るかな」
「ですね。レネには、知らない人について行かないようにと言われていますし」
「うわ……真性だよ、この子達」
ロブは仕方なし、といった感じで2人の腕を取る。
「お願いだから、一緒に来てく……」
と言いかけて固まる。
今までは、不審で可哀想でご機嫌な頭の少年少女でしかなかった2人。
しかし、その雰囲気が一変していた。
彼が握った2人の腕は、見かけ以上に固く引き締まっている。
だとしても、10代の少年と少女だ。
仮にも警官であるロブの腕力に太刀打ちできるはずもないのだが……。
「これは……強制的な連行か?」
「つまるところ……敵対行動であると」
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その言葉に対してロブは、自分がどのように返答したかは分からない。
次いで認識したのは、自らの体が宙を舞っている事。
スロー再生になる視界では、大通りに面した花屋の軒先がある。
体が1回転し、眩しい初夏の太陽が目に突き刺さってくる。
そして、背中に重い衝撃。
「えっ……?」
刹那、ロブの体感時間が正常に戻る。
派手な音と共に、自らの体が地面に激突した。
だというのに、体は大した痛みを覚えていない。
それは、ジェレミーとアリアの絶妙な力加減によってなされたものなのだが、それをロブが知る由はない。
ただ彼の中にあるのは混乱と、不審者から攻撃を受けたという事実のみ。
ジェレミーとアリアは、警戒を解かずにロブをじっと見つめている。
ロブがどのように動くか、正に「観察」しているようであった。
羽虫でも見るかのような2人の視線に、ロブは本能的な恐怖を覚えた。
それは、300年前にジェレミーとアリアを前にした敵兵と同じ状況であった。
「動くなっ!」
ロブはホルスターに収納していた拳銃「ニヴフ32」を、ジェレミーとアリアに向ける。
同時に装着していたインカムに対して、緊急事態を伝達する。
「ブリンクス通り28丁目12番地近辺にて、不審者を確認。恐らく、薬物中毒か精神疾患者と思われる。応援を要請する」
「おい……応援を要請したのか?」
「そのようですね。如何いたしますか?」
何やら相談し合うジェレミーとアリアに銃口を向けたまま、ロブは怒鳴る。
「動くな! その場に膝をついて、うつ伏せになれ!」
ちょうど付近を警邏していたパトカーがあったらしく、遠くから甲高いサイレンが聞こえてきた。
こうして2人の初めてのおつかいは、楽しい復路を迎える事となる。