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英雄の帰還(ただし、前科4犯)  作者: 菅野鵜坂
第1章 英雄、帰還する(前科1犯)
11/20

初めてのおつかい 幕間

 時間は、ジェレミーとアリアが「ドシドシスーパー」へと到着した頃に遡る。



 カーテンが閉め切られた暗い部屋だ。

 広さだけで言うならば、それこそ「ムダ」という形容詞を付けても構わないくらいだろう。

 しかしながら、実際には「会議室」と形容する以外にない程、機能的かつ無駄な装飾のない部屋である。

 悪く言えば、極めて無機質で、冷たい印象を与える部屋であった。

 

 その部屋の中央に置かれているのは、1つの円卓だけである。

 円卓自体は歴史ある物なのだが、無機質な会議室に置かれてしまえば、タダの丸い机でしかない。

 そして、そこに座るのは、ダーレイ皇国国教会の頂点に立つ30人の聖職者。

 皇国にある全29の教区のトップ、そして彼らを束ねれる神の代弁者が、そこにはいた。

 

 会議の名前は「ダーレイ皇国国教会 全教区連絡定例会議」という無味乾燥な物であり、それに比例するかの如く中身も味気ない物である。

 各教区の信者の増減、奉仕活動の方針、浄財の増減などを、既に用意された原稿に従って話し合っていく、というものでしかない。

 どのような会議でも似た傾向があるが、出席者が高レベルになるに従って、話す内容は事前に決まっている事が多い。

 現在開かれている会議もまた、その例に漏れないのである。

 

 厳めしい顔をした一人の大司教が、低く張りのある声で、お抱えの秘書官が用意した原稿を読み上げている時……

 

「はぁ……」


 か細いため息が、会議室に響いた。

 どよめく室内。

 彼らが動揺するのは当然である。

 そのため息の主は、これまで「どのような会議」でも熱心に参加し、発言をしていた人物なのだから。

 例え、今現在出席している会議が、既に1から10まで決まっている物だとしてもだ。

 

「はぁ……」


 そして、再びのため息。

 その主は、皇国国教会第39代教皇であるレネ=フォルクルであった。

 彼女が周囲の動揺に気付く様子は見られない。

 これもまた、異常な事であった。

 

 この会議の首席者の何人かが「まさか、猊下によからぬ事が……?」などと、想像するのも無理はない。

 この会議が始まった時から、レネの様子はおかしかった。

 妙にそわそわしているし、どこか上の空である。

 そして先程は、ため息まで吐く始末だ。


「えー、では……我が教区における治安の悪化は、信徒数の減少によるところが……」


 咳払いをした後、資料を再度読み上げ始めるのだが……。

 

「はぁ……」


 三度のため息で、中断する事となる。

 

 またもやざわめく室内。

 

 この時レネの胸中を占めていたのは、言うまでもなくジェレミーとアリアの2人であった。

 果たして彼らは無事に買い物が出来ただろうか? 果たして無事に戻って来てくれるだろうか?

 

 先程まで秘書官であるチェルシー=バーネットと談笑をしていたために、そのような心配事は薄らいでいた。

 しかし、この会議室のような暗く陰鬱とした雰囲気に身を置けば、いくらレネといえども悪い方向へと思考は流れていく。

 彼女の名誉のために補足するならば、もしも心配の種がジェレミーとアリアでなければ、これ程まで憂鬱になる事はなかっただろう。もしも、今日の会議がもう少し実りがあり、レネの意識を惹きつけるに足るものならば、こうならなかっただろう

 

 

 出席者達のざわめきが納まった後、レネの右隣に座る最高齢の教区長であるティル=ランダース帝都大司教が、温かみのある声で問う。


「猊下。お体が優れないので?」

「えっ……あっ、先生……私がどうかしましたか?」


 問われたレネは、数年前まで使用していた「先生」という呼称で、ティルを呼んだ。

 

 このティル=ランダースという老人は、国教会における序列2位あると同時に、レネの神学の師匠でもある。

 「聖職者」に限って言うならば、レネが最も尊敬する人物で間違いない。

 それ故だろうか。レネはティルの事を、同じ聖職者になった時から、「先生」ではなく、その位階で呼ぶ事にしていた。

 恐らく、それは「けじめ」とか「通過儀礼」とでも呼称できる事なのだろう。

 だからこそ、それを師であるティルは、好ましく思っていた。

 愛弟子が一人で立ちあがったのだ、これに勝る喜びなどないだろう。


 しかし……。

 その彼女が、ティルを「先生」と呼んだのだ。

 しかも、それを本人は自覚していない。

 彼にとっては、正に驚天動地の出来事である。

 だが、何とかその狼狽を表に出さない事にティルは成功した、。


「お体が優れないのかと、お尋ねいたしました」

「私……がですか? その様な事はありませんが」


 まるで今までの自分など、全く認識していない様なレネの仕草であった。


「猊下……先程のアモット大司教の報告を、お聞きになっておりましたか?」


 先程、レネのため息によって報告を中断された者の名を口にするティル。

 

「はい。聞いていました。犯罪率の増加が、信徒の減少と相関関係にあると……」


 どうやら話自体は聞いているようだ、とティルは認識する。


「では、それに対する意見はございますか?」

「そうですね……」


 そして始まったレネの提案は、その場にいる全員を頷かせるには充分なものであった。

 しかし、結局……レネのため息はそれから5分に1回は会議室に響く事となる。

 だからこそ、会議が終わるまで、出席者の意識は憂鬱そうな教皇へと向けられるのだった。

 

**********************************


 会議が終わった後、ティルにおずおずと尋ねる者がいた。


「翁……猊下はどうなされたのでしょうか?」


 レネが出て行ったドアを見つめながら、そう問うたのはアモットであった。

 最も懇意にしているティルならば、何か心当たりがあるのでは……そう思っているのだろう。

 それはどうやら、この部屋にいる全員の思いと同じようで、ティルに縋るような視線を向けている。


「会議が終わった後、急いだご様子で退室なされましたし……」


 普段ならば最後まで会議室に残るのは、レネと相場は決まっているのだが、今日は違った。

 

 

 普段にはないレネの奇妙な様子を心配した出席者達が、彼女に声をかけようとするのだが……。

 

「申し訳ありません。この後、所用がございますので」


 慌ただしく頭を下げた後、ポカンとしている出席者を尻目に、そそくさと退室してしまう。

 

 そのような状況で、レネを心配するなというほうが難しいだろう。

 

「正直な話……分からん」


 ティルとしては、そう答えざるを得ない。

 彼自身、戸惑っていたのだ。

 見た事のない、愛弟子の様子に。

 

「だが、何と言うのだろうか……。心配する程の事でもないと、思うんだが……」


 付け加えるティルの言葉には、何とも形容しがたい複雑そうな心境が垣間見えた。


***********************************


 レネは小走りで僧院の廊下を移動していた。

 普段ならば、音も立てずに移動しているはずの教皇を、すれ違う僧達が怪訝そうな表情で見ている。

 だが、今のレネには、そのような視線を感じる暇はない。

 

 そして、弾む息と共に、見慣れたドアを勢いよく開けるレネ。

 

「あっ、猊下。お戻りになられましたか」


 鼻歌交じりにお茶の用意をしていたチェルシーが、戻って来た主を認めて頬を緩ませる。


「お2人は、お戻りになりましたか?」


 しかし、主から帰って来た言葉は、チェルシーの期待とは正反対の物であった。

 一瞬だけ眉を顰めたチェルシーであったが、直ぐに表情を普段通りの物へと戻す。


「いいえ、まだです」

「はぁ……そうですか……」


 疲れたように椅子に座りこむレネ。

 弾む息を整えるようにして、何度か自分の胸を叩く。

 気持ちが落ち着いて来ると同時に、レネの耳に普段は聞こえる事のない甲高い音が入って来る。

 

「何やら、外が騒がしい様子ですね」

「ええ、10分程前からでしょうか。パトカーのサイレンが鳴っていますね」


 レネの前にあるカップに紅茶を注ぎつつ、チェルシーが疑問に答える。


「サイレン……? ああ、そうですね」


 帝都……特にダーレイ大聖堂がある中心部は、皇国において最も治安の良い地域でもある。

 もちろん、帝都においても、夜道を女性一人で歩くには危険な場所はある。

 しかし、そのような地域は、レネが居住している地域からは離れているため、今のようにパトカーのサイレンなど聞こえる事はない。


「珍しいですね、この地域では」

「ええ、そうですね。今年になってからでは、初めてだと思います」

「何にせよ、警察の方々がお忙しいというのは、喜んで良い事ではありませんね」

「はい。仰るとおりです。軍人、警察、医者、それから裁判官は暇な方が宜しいですからね」

「それから、我々神の僕もですよ」

「そうでしょうか?」


 主の言葉に対して反射的に疑問を呈しつつ、チェルシーは首を傾げる。

 

「我々が忙しいという事は、それだけ信徒の方々の心が乱れているという事ですから」

「なるほど……。不用意な発言をお許しください」


 堅苦しい仕草で、頭を下げるチェルシーであるが……。

 

(やっべー。猊下ってば超優しい)


などと思っているなど、レネが想像する事すらできない。


「それにしても……徐々にサイレンの音が増えていきますね」

「はい……もしかすると大きな事件かもしれませんね。テロとは考えにくいですが……万が一の場合、猊下のコメントが要される可能性もあります」

「そうでなければ、良いのですが……」


 瞳を閉じつつ、胸の前で両手を組みつつ、祈りを捧げるレネであったが……。

 

 ピピピピピ……。

 

 という無機質な着信音が、執務室に響き渡る。

 色気も何もない、その着信音はチェルシーの公務用携帯電話の物だ。

 

「はい。バーネットです」


 電話に出たチェルシーだったが、直ぐにその表情を険しくする。

 

「はい……。分かりました。では、付近一帯の警備を厚くするようお願いいたします」


 形の良い眉を寄せつつ、通話を終えたチェルシーを見て、レネは嫌な予感を抱いた。

 得てして、こういった予感は当たる物であることを、レネはよく知っている。


「ご報告したします。20分程前に、帝都中央部の『ドシドシスーパー』前の交差点におきまして、警邏中の警官が不審者2名を発見いたしました」


 徐々にチェルシーの嫌な予感が、形を明らかにしていく。

 

「職務質問を行ったのですが、対象2名は抵抗の後、逃亡いたしました。なお、その際に行使された対象の魔法から、帝都警察は彼らを丙種上級2類の魔法使いと認識いたしました。なお、現在においても、対象2名の身元は分かっておりません」

「丙種上級2類ですか……? それ程までに力のある魔法使いならば、帝都魔法技術省で、身元を掌握しているはずですよ」


(……すっごく嫌な予感がします)


 「対象2名」の身元に心当たりがあり過ぎるレネとしては、酷く自分の言葉が空虚に聞こえた。


「仰るとおりですが……現状では身元が判明していないのは事実です。さらに、意味が分からない事に……」


 チェルシーは銀縁の眼鏡の位置を直しつつ、自らも信じられないといった様子で言葉を続ける。

 

「対象2名はそれぞれ……ジェレミー=ヴィルヌーブ、そしてアリア=スノウを名乗っているそうです。まあ、薬物に頭が侵された中毒者だとは思いますが」


(ああ……やっぱり……)


 頭を抱えて机に突っ伏すレネ。

 

(一体、何が起きれば……こんな大捕り物になるんですか……)

 

 何かトラブルが起きる可能性は、レネも認識していた。

 迷子になるかもしれない、買い物に失敗するかもしれない……レネが心配したのは、その程度の物でしかない。

 だが、現実はレネの予想の斜め下をいっていた。

 

 

(いえ、お2人を責めるのは間違いです。責められるのは、この私以外にいないのですから……)


 自らの認識の甘さ、見通しの悪さ、事前準備の不手際など、レネ自身を責める言葉も数えきれない程にある。

 しかし、今はすべき事がある、とレネは自らに言い聞かせる。

  

「怪我人は……いるのですか?」

「いえ、現状ではゼロです」


(という事は……お2人が明確な敵意を警察に向けているわけではないのですね……)

 

 とりあえずは、安心できるチェルシーの言葉であった。

 もしも、万が一……億が一だろうが無いとレネは思ってはいるが……。

 ジェレミーとアリアが、明確な敵意を以って警察と対峙したとなれば、このような状況で済むはずがない。

 その意味で言えば、まだフォローの効くレベルではある。


「あの……猊下……?」


 机に突っ伏した主を心配したチェルシーが、その肩に手を置くのだが。

 

「チェルシーさん……お願いがあります」


 顔を上げたレネの瞳は、正に殉教者のそれであった。


「はい、何でしょうか?」


 主の視線に気圧されたかのように、チェルシーは身をのけぞらせる。

 

「皇帝陛下……ファビオ=ヴィルヌーブ様に連絡を取りたいのです」


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