初めてのおつかい その3
トイレットペーパー、そしてシャンプーと一口に言っても種類は豊富だ。
トイレットペーパーで言えば、拭き心地、香りの有無、温水洗浄便座に適しているかどうか等で選択すべき物が変わるだろう。
シャンプーに至っては、さらに取捨選択すべき項目は多岐に渡る。
そして、それらを選ぶ人間が300年前の者ならば……簡単にできるわけがない。
「なあ、フローラルフルーティーの香りって何だ?」
半透明なピンク色のシャンプーボトルを手に取り、アリアに尋ねるジェレミー。
「フローラルな果実の香りなのでは……?」
「説明になってねーよ……」
「では、逆にお聞きしますが。この『花々と果実と愛情で仕立てた、艶やかかつ鮮やかな椿蜜果と太陽の香り』とは、どのような香りですか?」
「そりゃー『花々と果実と愛情で仕立てた、艶やかかつ華やかな椿蜜果と日向の香り』なんだろ?」
「説明になっていませんし、微妙に間違えています。しかし、どうしましょうか……」
「本当に……どれ買えば良いんだろうな……」
何度も繰り返すがレネにとっては、そこまで高度な事を2人に要求したつもりではないのだ。
とにかく無事にスーパーまで行って、「何でも良い」からトイレットペーパーとシャンプーを買って、無事に帰ってきてくれれば良い……ただそれだけだった。
実際、レネは2人に買ってくるべきトイレットペーパーとシャンプーの指定をしなかった。
本当に、何でも良いのだから当然である。
だが……と言うか、だからこそなのか……
「こんなに種類があるなんて、知らなかったな」
「はい。これはレネからの試験と考えるべきかと」
「やっぱり、そう思うか?」
「当然です。あのレネが、何も考えずに銘柄を指定しなかったとは思えません」
こんな勘違いが起きてしまうのである。
「それ加えて、渡された金額もおかしいよな」
レネから預かった財布には、トイレットペーパーとシャンプーを、それぞれ20個ずつは買えるであろう金額が入っていた。
彼女が頭の中で「もしかすると、こんな事があるかも……。いや、ひょっとすると、こんな事も……」などと、蓋然性の低い事象のシミュレートを何度も行った結果、非現実的な金額が財布に入れられる事となったのである。
もちろん、そうとは知らないジェレミーは、全く違う解釈をしていた。
「トイレットペーパーとシャンプーを買うのに、こんな金額が必要なはずがない。これは、俺達の金銭感覚を試しているんだな」
「間違いありません。金が湯水のごとくあるから、取りあえず高級品を買っておけば良いだろう。そのような考えをレネが、是とするとは思えませんので」
「つまり、この豊富な種類の中から、適切な銘柄を選択しろという事か……なるほどな」
レネの意図を把握したと思い込んでいるジェレミーは、何度も頷いて独りごちるのだが……
「いまさらですが……この試験は前々から用意されていたと考えます」
不意にアリアが、自らの不明を恥じるかのように、小さな声で言った。
「どう言う事だ? 言ってみてくれ」
思い当たる節が全くないジェレミーは、アリアに続きを促す。
彼女は1つ頷いた後、ゆっくりとその根拠を語り出す。
「我々が使用する……つまり僧院におけるシャンプーのパッケージと中身が一致していないのです。これは、明らかに不自然な事です」
「パッケージがバラバラだったのは覚えているが、中身までバラバラだったのか?」
「はい。わざわざ、外形と中身を一致させない……これは明らかに不可解で非効率的。そうすべき必然性がありません」
「つまりは、俺達が初めてシャンプーを使用した時から、この試験は考えられていたのか? その時から、わざと外形と中身をあべこべにしたと?」
「そう捉えるのが自然かと……」
「となれば……レネは何を求めているんだ? ボトルと中身はバラバラ、種類が一致していない……」
実際には、安い詰め替え用を適宜購入した結果でしかない。
しかし、2人にとっては、それすらレネの課した試験に思えてくるのだ。
疑心暗鬼と表現する以外に、何があるだろうか?
「ただ……1つだけ分かる事があります」
「何だ、アリア?」
期待するかのようなジェレミーの視線を受けて、アリアはシャンプーの棚の下部から、一つの商品を手に取る。
「これは何だ? 普通の物よりも、柔らかい梱包だな……。詰め替え用だと?」
ボトルの下部に記載されている「詰め替え用」という記載を見て、思わず自らの太ももを叩くジェレミー。
「詰め替え用の方が、そうでない方よりも安い。つまり、レネは、これに気付く事を期待していたんだな。外側と中身の不一致から、この可能性に気付けと。『詰め替え用がある』という一点に気付かせるためだけに、非効率的な外側と中身の不一致を演出したと」
「必要なのはあくまでも中身。それを示すためには、わざわざ非効率的な手法を取らざるを得なかったのでしょう」
非効率的、かつ非論理的思考から、完全に誤った回答を導いた2人。
身も蓋もない言い方をすれば……ただの考え過ぎでしかない。
「レネが口にしていた『買ってくるのは何でも良い』という台詞は、実の所中々に厄介ですね」
「一回聞いただけでは、額面通りに、何でも買えば良いと思ってしまうな。実際、俺も最初はそうだった」
「ですが、それは甘かったようです。正確に言うならば『費用対効果に優れているならば、買ってくるのは何でも良い』だったのでしょう」
「人の良さそうな顔の割に、エグい事考えてるな」
「当然と言うべきかもしれません。ただのお人好しならば、宗教界の頂点に昇り詰める事など不可能でしょう」
完全に悪い方向へと流れつつある、2人の買い物である。
「ようやく、ここまで来たな。後は、肝心の中身だ」
「しかし、これだけ種類があると難しいですね」
だが、ジェレミーの中には、1つの可能性が導き出されつつあった。
「恐らくだが……正解はレネの使っている種類のシャンプーなのだろう」
「詳しくお聞かせください」
見上げるアリアの視線は、かつて絶望的な戦場でジェレミーに向けてきたそれとよく似ていた。
「アリア。お前は国教会の聖典を読んだ事はあるか?」
「それなりに敬虔な信徒だと自負しています。ある程度は諳んじる事も可能です」
「それなら、この一節を知っているか? 『主の代弁者たる物を見よ。そこに私がいるのだから』」
「ハウスの訳書、第1編第3章第13節ですね。恐らくは、最も有名な部分かと……」
そう言った後、アリアはジェレミーの言わんとする所を解したらしい。
正に、目から鱗……そう言った感じである。
「レネは我々が、国教会の敬虔な信徒かどうか、そこまで試しているのですね? 神の代弁者は、教皇であると認識しているかどうかと」
「そう考えるのが自然だろうな……」
「我々の経済観念と、宗教に対する帰依の度合い。その2つを同時に量るつもりだったとは……」
レネに対する尊敬の念すら見せつつ、アリアは瞳を閉じる。
「だからこそ、昨日レネはわざわざ入浴を私と共にし、さらには自らが気に入っているシャンプーを勧めたのですね。今日、この日に買ってくるべきシャンプーの銘柄を提示するために……」
「アリア……それは非常に貴重な情報だぞ。レネが勧めてきたシャンプーの銘柄は覚えているだろうな?」
どうして早く言わなかった? という叱咤の色合いが強いジェレミーの口調だった。
しかしながら、それに対してアリアは、眉根を寄せてゆるゆると首を振る。
「申し訳ありません……。私の落ち度です。昨夜は、そこまで気が回らず……」
「だとしても、匂いくらいは覚えていないのか?」
その言葉に対しても首を振るアリア。
「私の得意とする索敵魔法には、嗅覚の増大は入っていませんので」
アリアの言う通り、彼女が周囲を索敵する際に用いる魔法は、「聴覚増大」、「視覚の鋭敏化」、「魔法波動の探知の鋭敏化」の3つである。
その中には、今現在求められている類の物はない。
「そうだったな……。嗅覚の増大は、俺くらいしか使っていなかったからな」
そう言いかけてジェレミーは気付く。
「待てよ……昨夜はレネと同じシャンプーを使ったのだな?」
「はい、そうですが……。あっ、その手がありましたね!」
自らのミスを挽回する機会を得たアリアは、蜂蜜色の美しい髪を手に持って、ジェレミーの鼻先へと突き付ける。
「ジェザ、お願いします」
「ああ、任せろ」
アリアの髪に鼻を近づけて、クンクンと嗅ぐジェレミー。
傍から見れば、変態その物である。
その証拠に、同じ売り場にいる者達が、奇異と軽蔑の視線を2人に向けている。
真っ昼間のシャンプー売り場で、美女の髪の毛を嗅ぐ男性。
繰り返すが……真正の変態である。
だが、やっている本人達は大まじめである。
(これだけ、香りが残れば問題ないな……)
ジェレミーの用いる「嗅覚の鋭敏化」は、正確に言うならば「嗅覚の視覚化」である。
匂いをその成分によって色分けし、それを視覚で確認する。
その魔法を使用すれば、「苺の香りは、薄い赤色」、「鉄の香りは、赤みがかった黒」というように、彼には見える。
もちろん、これは乱暴な表現であり、もっと細分化された色合いではあるが。
だが、何にせよ現時点では、そのレベルで問題ない。
(この色が……レネの使っているシャンプーか)
見出した色は、やや青みがかった黒色であった。
売り場に並ぶシャンプーのボトルからは、微かではあるが、その中身の臭いが漏れ出している。
あとは、それとアリアの髪から漂う香りを照合すれば良いだけだ。
「見つけた……。これに間違いない」
「流石です。いくら訓練しても、私には到達不可能な領域です」
「褒めるなよ、照れるからさ……」
そう言いながら、件の詰め替え用のシャンプーを手に取るジェレミー。
「なになに……。太陽の光を受けて育った爽やかリフレッシュなオレンジの香り? 長すぎるだろ、香りの名前……」
「しかし、納得できる選択かもしれません」
「どういうことだ?」
「聖典です……。聖典において主が、最初に人に与えた作物は7つあります」
「そうか……その中にオレンジがあったな」
「はい。香りにまで聖典を引用するとは、やはり教皇と言うべきですね……」
「となれば、ここにある『地肌に優しい天然由来成分のみ使用』というのは」
「主は言われました……。『私が創造した物、それ全てが至高である』と」
「なるほど……そう言うことか。このような所にまで、創造主の言葉を用いるとは……」
シャンプーを持つジェレミーの手が微かに震えているのは、気のせいではないだろう。
洗剤の1つを取っても、ここまで考えているレネに対して、畏敬の念を新たにしたのである。
言うまでもないが、勘違いである。
「これで、シャンプーは終わりましたね。では、トイレットペーパーへと移りましょう」
「ああ、そうだな……。これは、気を引き締めないと……」
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神妙な面持ちのまま、トイレットペーパー売り場へとやって来た2人だったが……。
「こっちも難しいな……」
目の前には、ざっと数えても30近くの種類があった。
長さやロール数の差異を含まない、純粋な意味での製品の種類で、その数である。
2人が目的の物を見つけるのは、中々に骨が折れる作業だと予測される。
「とりあえず、分かりやすい物から選別していきましょう」
「そうだな……。まず言えるのは、僧院で香り付きは使用していない」
「加えて、ウォシュレット用というのも違うでしょう」
「なあ、ウォシュレットって何だ?」
「私も使用した事はないのですが……。用を足した後、その部位を水で洗浄する装置のようです」
「何……? そんな物があるのか? それは、男女問わずか?」
「そのようです。偶然読んだ小説において、軽く記述されていただけですので詳しくは分かりませんが」
「それは……痛そうだな」
自らの股間がシクシクと痛む様な錯覚を覚えるジェレミー。
当然ながら、ウォシュレットにおいて、ジェレミーが想像するような「男性小用の洗浄」という機能は存在しない。
「そうなのですか? 私は男性ではないので、よく分かりませんが」
「いや、だって……洗うんだろ?」
「ええ、洗浄しますね」
「あの……その……アソコを?」
「洗いますね……男性の場合は想像できませんが」
そして真顔で「見た事もありませんし」と付け加えるアリア。
「痛いんじゃないのか?」
「そうなのですか?」
「いや、そうだろう」
「はぁ、かもしれませんね」
真顔でそんな会話をする2人。
とりあえず、ウォシュレットという物は使用しないと心に誓ったジェレミーであった。
「まあ、話を元に戻そう。あとは、トイレットペーパー自体の色合いで判別していくか」
「僧院で使用していたのは、そこまで白くは無かったと記憶しています。色合いで言うと……」
顎に手を当てながら、トイレットペーパーを選別していくアリア。
「これらは、除外しても問題ないかと」
ここまでで、約半分程度までに絞り込む事が出来た。
だが、これからが本番だと言っても良いだろう。
「後は……薄さと長さか」
「それしかないですね……」
残された手がかりはそれしかないのだ。
万が一ジェレミーが、トイレットペーパーの「匂い」を記憶していたならば、簡単に解決したかもしれない。
しかし、生憎と言うべきか……彼にはトイレットペーパーをわざわざ嗅ぐような性癖はない。
一瞬だけ、極めて問題のある解決策が頭をよぎるのだが……。
「流石に、それは私といえども遠慮したいですね……」
「ああ、俺も不味いと思う」
髪の臭いを嗅ぐのは2人にとって問題はないが、流石に「そこ」まで出来るはずもない。
「トイレットペーパーを使用する機会は、アリアの方が多いよな? 何か思い当たる事はないか?」
「そうですね……。薄さというのはあくまでも感覚ですので、実際に比較しないと確たることは言えませんね」
「となれば、そこで攻めるのは違うのか……?」
攻めるも何も、元から敵はいないのであるが、2人の目の前には空想上の強敵が存在している。
「薄い紙が丸められているだけの物に、何が隠されているんだ……」
ジェレミーは手近にあるトイレットペーパーの袋を手にするのだが、不意にその動きが固まった。
「アリア……聖典にはこんな記述がなかったか? 『私は有にして無であり、無にして有。有で中心になり、無でも中心となる』」
「ハウスの訳書、第3編第2章第5節です。先程の物と比べ、少々知名度が低いのは否めませんが」
それが何なのだ? といった感じで、小首を傾げているアリア。
だが、ジェレミーは彼女に対して、無言のままトイレットペーパーの袋を見せてやる。
「これが、どうかしましたか?」
「分からないか? 有にして無であり、無にして有。有で中心になり、無でも中心となる……」
ジェレミーの言葉を聞いて、文字通り電流が走ったかのようにアリアの体が震えた。
「まさか、これが……。確かに、トイレットペーパーの中心には、何もありません。にもかかわらず、何もないが故に中心となっている……」
「そうだ……。しかし、その無を作り上げるために、心棒として円形の厚紙が存在している」
「厚紙……『有』としての中心。そして、円形の空間自体……『無』としての中心もある」
「それだけでは、根拠として弱いかもしれないが……さらに言える事があるんだ」
ジェレミーがトイレットペーパーの袋をひっくり返して、その底部をアリアに見せる。
「このトイレットペーパーを製造している団体の名前は……」
「ハウス社……です。訳書を記述した、聖者と同じ名前……」
「そして極めつけはこれだ。このトイレットペーパー1ロール毎の長さを見てくれ」」
「32.5メートル!? まさか!?」
「信じられない事だが……」
「第3編第2章第5節……数字だけを取り出せば……」
「325……つまり、32.5メートルの事なんだよ」
「な、なんと……。レネは、そこまで……」
しばらくの間2人は茫然と、トイレットペーパーの袋を見つめるだけであった。