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英雄の帰還(ただし、前科4犯)  作者: 菅野鵜坂
第1章 英雄、帰還する(前科1犯)
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プロローグ

 耳をふさぎたくなる程の罵声であった。

 彼の人格を全否定する人々の声。鼓膜が破れてしまえば良いとすら思えるほどだ。

 だが、それでも彼は顔を歪めることは許されない。

 第一級の犯罪者には、その様な権利などあるはずもない。

 逆に、この罵声の全てを受け入れる義務だけが存在するのだから。


 刑場に至るまでの沿道を埋め尽くしている民衆の表情には、軽蔑と憎悪しか存在しない。


 「この売国奴が!」


 一人の男が叫びながら、彼に石を投げつける。

 鈍い痛みが額に走り、次いで生温い液体が流れるのを彼は感じた。

 拘束された両手では、それを拭うことなどできず、ゆっくりと彼の視界は赤く染まっていく。


 「お前達、止めんか!」


 彼を導く警吏が、大声を上げて人々を牽制する。

 それによって投石は止んだものの、逆に彼に対する憎悪は一層強くなる。


 気の毒なのは、先ほど群衆を諌めた警吏であった。

 その気はなかったのだろうが、結果的に彼を庇う形となってしまい、群衆からの非難を受けてしまう。

 とばっちりと受けた形となった警吏は、彼を鋭く睨んだが、直ぐに諦めたように溜息をつく。

 そして、意趣返しのつもりか彼の腰ひもを強く引っ張った。


 転びそうになりながら、彼は歩みを再開した。 

「悪魔!」「非国民!」「人でなし!」「裏切り者!」

 吐き気を催しそうになる罵詈雑言を受けながらも、彼は自分の行為が無駄ではないと感じていた。


 下手に同情されては意味がない。

 刑場へと引かれていく彼は、歴史に名を残す極悪人でなければならないのだから。


 それにしても、額からの出血が止まらない。

 波打つような痛み以上に、視界が奪われることが彼には堪らなく辛かった。

 せめて、最後の光景くらいは鮮明なまま覚えておきたい。

 彼が、否、彼らが守った国、景色、人々を鮮明な姿で覚えておきたい。


 その時、警吏の怒鳴り声が聞こえた。


「貴様! 止まらんか!」


 彼が視界を移すと、人込みから1人の少女が飛び出してくるところであった。

 少女は泣きそうな顔で彼の名を呼ぶ。


「ジェレミー様!」


 彼には、その少女に見覚えがあった。

 帝都を解放し、凱旋した3年前、彼に祝福の花束を手渡してくれた少女だ。

 その光景は、今でも鮮やかに思い出せる。

 少女から渡された花束は、どのような勲章や祝福よりも、彼にとっては価値のあるものだった。


 少女は警吏の制止を振り切り、彼の正面まで走ってくる。


「ジェレミー様……」


 そして、手に持った白い布で彼の顔を拭う少女。

 その表情はしわくちゃになり、今でも大粒の涙をこぼし続けている。

 まるで、罵声を浴びているのが、少女自身であるかのようだった。


 人々から吐きかけられた唾と流れる血を拭った布は、直ぐに元の色を失ってしまう。


 「ありがとう」と思わず彼は礼を口にしそうになるが、そのような人間的な言葉を発することは許されない。

 唇をかみしめて、彼は出てきそうになる言葉を殺す。


「嘘ですよね、ジェレミー様? ジェレミー様が、陛下を誅しようとなさるはずがありませんよね」


 少女は縋るような視線を彼……ジェレミー=ヴィルヌーブに向ける。

 その問いは、群衆が心のどこかに抱いていた疑問だったのかもしれない。

 幾ら罵声を投げつけようが、唾を吐きかかけようが、彼に対する信頼という幻想を捨て切れなかったのかもしれない。


 少女の声は群衆に届き飛んでいた罵声が、一斉に止んだ。


 奇妙なほどに静まり返る沿道。

 警吏すら少女を拘束することを忘れている。

 その光景を見て、熱いものが込み上げてくる。


 だからこそ、ジェレミーは少女に対して……


「何、勘違いしてるんだ?」


 冷たい言葉を投げつけるしかない。


「お前は馬鹿か?」

「ジェレミー様……?」

「全員が全員、お前みたいな脳なしなら、俺も楽に皇位につけたはずだったのにな」


 ジェレミーの言葉を受けて、呆然と立ち尽くす少女。

 その表情には色はなく、流れていた涙も止まっていた。


 死にたいほどの自己嫌悪が彼を襲う。

 自分の部下が戦場で、名誉の戦死を遂げた時と同じくらいの自己嫌悪だった。

 叶うのならば、今すぐにでも死んでしまいたい。


「どけよ、売女」


 立ちつくす少女に蔑称を吐き捨て、その細い体を肩で突き飛ばす。

 同時に周囲からの罵声が、先ほどよりも強い物となって再開される。

 投げつけられる石や唾の量も段違いだ。


 ジェレミーは、ゆっくりと刑場への行進を再開する。

 座り込んだまま動かない少女は、警吏に抱きかかえられたまま彼を見つめている。

 その視線は、今まで経験した事のないほどの痛みを以って、彼の胸を貫く。


 ああ、駄目だ……。


 覚悟はしていたが、この胸の痛みは我慢できそうにない……。

 武器も言葉も人を傷つけるが、この少女の双眸ほど、彼を傷つけるものはない。


 ひどく笑える話だ。

 ジェレミーはその痛みに耐えられるほど強くはなかった。かと言って、跪き少女に懺悔するほど弱くもなかった。

 つまるところ、とても中途半端に脆弱な人間なのだ。


 だから、こうすることしかできない。


「ごめん……。それから、あの時の花束、嬉しかった……」


 すれ違うと同時に、少女の耳元で囁いた言葉は、彼女にしか聞き取ることができなかっただろう。


「えっ……」


 少女の狼狽えたような言葉が聞こえた。

 後ろから追いすがるように、少女が彼の名を叫んでいるのが分かったが、それもすぐに罵声にかき消されてしまった。


 ゆっくりとジェレミーは、刑場へと引き立てられていく。

 帝都中央部に位置するヴァレンヌ広場には、彼だけのために拵えた刑場があった。

 広場の中央に設置された刑場は、極悪人には分不相応と思えるほどに立派な物であった。

 石造りの刑台は、広場全体から見えるように配慮されている。

 そして、引っ立てられた彼の正面には、皇族を初めとする国の要人が座る貴賓席があった。


 ジェレミーにとっては、その面子の殆どが友人であり、戦友である。

 最期を親しい者達に看取ってもらえるのは、中々に贅沢なものだろう。

 幼い頃の自分の境遇を振りかえれば、望外の喜びでもある。


 その全員が、ジェレミーを呆れと怒りが混じった複雑な目で見ている。

 彼は広場に集まった民衆に分からないように、苦笑いを浮かべて応える。


 ある者の唇が「馬鹿野郎」と動いたのが分かった。


 まあ、確かに馬鹿野郎だとはジェレミーも自覚している。

 それでも、最適な方法をとれたことを少しは、褒めて欲しい……そんな自分勝手な思いが微妙にあった。


 やがて、一人の警吏が高らかに声を張り上げる。


 「皇帝皇后両陛下、ならびに教皇猊下のご臨席である!」


 その言葉を合図にして、貴賓席の上座には2人の男女が現れる。

 この国を統べるジェレミーの義兄。そして、ジェレミー最愛の姉。

 自分の義兄と姉ではあるが、どこか遠い存在のように思える。

 恐らくそれは、ジェレミーが彼らに抱いている尊敬の念が、尋常ではない程に強い故であろう。


 それと同時に、刑場に現れたのは、ジェレミーの唯一無二の友人であり、刑の執行官でもある青年であった

 彼は、普段通りの質素な法衣に身を包んでいる。

 ジェレミーは、そんな友人の姿に対して、一種の荘厳さを常に感じていた。

 普段は軽佻浮薄な友人ではあるが、然るべき姿になり与えられた役職を演じる姿は、まるで別人のようであった。


 民衆から一斉に歓声が沸き上がる。

 ジェレミーの耳がどうにかなりそうなほどであった。


 しかし、その歓声を聞き、この国は大丈夫だと確信する。

 この歓声の大きさが、すなわち義兄に対する忠誠と信奉の証でもあるのだから。


 もちろん、まだまだこの国には課題が山積みだ。

 それを放り出していくことは心苦しい。

 しかし、ジェレミー1人がいなくとも、問題はないと確信している。


 そんなことを思っていると、刑場に現れた法衣姿の男が、ジェレミーに歩み寄って来る。

 この国の聖職者の頂点に立つ人物であり、同時にジェレミーにとっての処刑人。

 そして、代えがたい親友にして悪友。


「よぉ、馬鹿野郎」


 およそ聖職者とは思えないぞんざいな口調の男。

 この国……ダーレイ皇国国教会の最高指導者である第27代教皇ユゼウ=ピウスが、普段通りの軽薄な様子でジェレミーの肩に手を置く。

 民衆から見れば、極悪人に対して聖職者が説法しているように見えるだろう。

 だが、交わされている会話は、友人同士のそれでしかない。


「悪いな。これって、結構疲れるんだろ?」


 ジェレミーは素直にピウスに謝すると、彼は困ったように肩を竦めた。


「最後の最後で、そんな神妙な顔するなよ。あいつら全員、調子が狂って仕方がないって感じだぞ」


 思わず、貴賓席に座る義兄と姉を見てしまう。

 ダーレイ皇国第27代皇帝グラハム=ヴィルヌーブと、その妻リーネ=ヴィルヌーブは、ジェレミーの視線に気付くと軽く頷いてみせた。


 その表情は、手のかかる弟を見守る義兄、もしくは姉としてのものであった。

 皇帝や皇后という、堅苦しい肩書などそこには存在していない。


 「いくつになっても、弟は弟なんだよ」


 ピウスが訳知り顔で、何度も頷いてみせる。


 「まあ、そうなんだろうな……」


 ジェレミーとしては、不服ではあるが、理解はできる。

 それと同時に、嬉しくも思う。

 彼らの「弟」であることは、何よりの誇りだと断言できる。


「さて、そろそろやるか……。いつまでも無駄話はしてられないしな」


 気だるげに、ピウスがため息を吐く。

 聖職者……しかもその頂点にある人物の仕草としては失格だろう。


「ああ、頼む」

「了解。一丁、ビリっとやっつけますか」


 ジェレミーの短い言葉にピウスは一つ頷き、広場を埋め尽くす民衆に向き直る。


「これより、元ダーレイ皇国軍第三混成師団長、ジェレミー=ヴィルヌーブ大公に対する刑を執行する!」


 透き通ったピウスの声と同時に、広場は荘厳な静寂に包まれる。


 宗教家は一流の役者でなければならない、と昔ピウスが言っていたことをジェレミーは思い出す。 


 (なるほど、確かにこいつは一流の役者だ)


 とジェレミーは、親友の堂に入った演技に内心で舌を巻く。


「ジェレミー=ヴィルヌーブは、ダーレイ皇国解放の英雄として、民衆の支持を受けた。しかし、それは仮面に過ぎず、密かに義兄であるグラハム=ヴィルヌーブを誅し、その地位を手に入れんと画策を巡らせた」


 ピウスは先程とは正反対の冷徹な表情を、ジェレミーに向ける。


「ジェレミー=ヴィルヌーブ。自らの罪に相違はないか」

「一切ない」


 ジェレミーの言葉に深く頷いたピウスは、再び言葉を紡ぐ。


「大審問会により、ジェレミー=ヴィルヌーブには異世界送りの刑を言い渡された。そして今日、この時、第27代ダーレイ皇国教会教皇である、私が……皇国、神、そして諸君ら国民の正義の代行者として、かの者に刑を執行する!」


 空を覆う雲を突き破る程の勢いで歓声が上がる。

 正に熱狂と言うにふさわしい。


 それを確認して、ピウスが両手を掲げる。

 すると、ジェレミーの目の前にどす黒い霧が漂い始める。


「かの者を、神の慈悲すら届かぬ異世界に追放する!」


 徐々に霧が、ジェレミーの体を包み込んでいく。

 この霧に完全に包まれた時、ジェレミーはピウスの言ったようにここではない世界へと追放される。


 代々の教皇にのみが使用できる最大の禁忌魔法が、有史以来初めて行使された時であった。


「ジェレミー=ヴィルヌーブ。最後に何か言い残すことは?」


 ジェレミーは貴賓席に目を移す。

 幾多の苦難を共にした仲間が、彼を見つめている。

 その視線を受け止めて、口を開く。


「呪いを……末代までの呪いを! この世界にあらずとも、この世界に呪いを!」


 役者としての才能は、ジェレミー自身がないと知っている。

 それを証明するかのように、目の前のピウスは苦笑を浮かべていた。


 「もうちょいさ、気のきいた台詞を吐こうぜ。一応、演劇好きを標榜してるんだからさ」

 「昨日から考えていたんだけど……一応は」

 「えっ……そうだったのか……」


 いたたまれないと言ったようなピウス。

 そういうふうに素で返されると、ジェレミーとしても立つ瀬がなかったりする。


 少しの後、ピウスが急に真剣な表情になりジェレミーの耳元で問うてきた。


「本当に言い残す言葉はないのか?」


 既に黒い霧はジェレミーの体の大部分を覆っており、親友の言葉すらかすれて聞こえる。


「そうだな……。体には、気をつけて欲しいかな」

「ったく。最後まで、お前らしいな……」


 苦笑交わし合う、悪友二人。

 これまでに何度も見られた光景ではあるが、それもこれが最後だろう。


 この後、ジェレミーはここではない世界へと飛ばされる事になる。

 飛ばされた先が、まともな世界かも分からない、それどころか流れ着いた瞬間に死んでしまうような死の世界かもしれない。


 だが、不思議とジェレミーには恐怖はなかった。

 自らの最善を尽くした結果ならば、それも受け入れるべき事なのだから。


「まあ、あれだ。色々大変かもしれないが、楽しんでくれや」

「楽しめる暇があれば良いけどな」

「大丈夫だろう? 何せ、俺達が作った未来なんだからな」


 悪戯小僧のようなピウスの笑みが、ジェレミーの見た最後の光景であった




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