神様にどつかれた
夏なのでちょっとオカルトな話。
これは数年前の出来事だ。
きっと偶然や科学的な理由があっての結果なのだろうけれど、世の中のすべてを理屈で割り切ってしまっては面白みがない。
私は不思議な出来事に遭遇しても、あえてすべてを解明しないでいることがある。
話半分くらいに読んでもらえば良いと思う。
当時、私は市をいくつか跨ぐ距離の引っ越しをしたばかりだった。
それまで天体観測に使っていたお気に入りのスポットが遠くなってしまったため、近場で良い場所が無いかを探している頃だった。
探し方はありきたりで、Googleマップで明かりの少なそうな駐車場や展望台を探し、実際に訪れてみるというもの。
平日、仕事の合間に候補を探しておき、週末にドライブがてら下見をするのがお決まりとなっていた。
その日も候補地の一つを下見するため、車を走らせていた。
場所は、その昔、鬼が住まうとされた山が一望できる景勝地。
麓には温泉があり、湯に浸かってから天体観測に向かうことができる、なかなかいいスポットだった。
道の駅や温泉を横目に、展望台へ続く山道を進む。
舗装されてはいるものの、対向車とすれ違うのは苦労しそうな道だ。
数十分ほど登ると、高台の開けた場所に駐車場が現れた。
そこからの眺望もなかなかのもので、山並みが一望でき、思わず写真を何枚か撮ったほどだった。
だが、今回の目的地はそこから遊歩道を歩いた先にあるため、周囲を見渡す。
山の中へ続く丸太階段を見つけ、そちらへ足を進めた。
入口には整備用の募金箱があり、人の手で管理されている雰囲気がある。
気になると言えば、募金箱の上に、割れた大黒様らしき像の頭が置かれていることくらいか。
何かの理由で割れてしまい「頭だけでも」と置かれたのだろうか。そんなことを考えながら階段を上る。
数メートルおきには、道標の代わりだろうか、腰ほどの高さの柱の上に仏像が置かれ、俳句のようなものが刻まれていた。そういうコンセプトの遊歩道なのだろう。
ただ、仏像はどれも遊歩道ではなく、山や谷側を向いている。せっかくだからと覗き込んでみたりした。
階段を登りきるとベンチがあり、ちょっとした休憩スペースになっていたが、周りは木々に囲まれていて天体観測には不向きだった。
不発に終わったかと思いながら見渡すと、まだ上り道がある。なるほど先があるのかとそちらへ進む。
ここからは丸太階段ではなく、獣道か、水が流れたあとのような荒れた道だった。
一応、道の端にはロープが張られており、迷わないようにはなっている。
ただ、夜に来るのは現実的ではないなと候補からは外した。
せっかくここまで来たのだから、昼の景色だけでも見ておこうと奥へ進む。
獣道はやがて尾根を進む道となり歩きやすくなったが、本当に道なのか、それとも木と木の隙間が道の見えているだけなのか。
何度もGoogleマップで現在地を確認しながら進んだ。
「そろそろ着くだろうか」「そろそろ開けたところに出るはずだ」
そんなことを何度か考え、いい加減引き返そうか迷い始めたとき、足が止まった。
道とも言えぬ道を塞ぐように、倒木があったのだ。
よく見ると折れているのではなく、根本から不自然なほど大きく曲がって道を塞いでいる。
引き返そうか迷っていたタイミングでそれを見つけたこともあり、なんだか「これ以上は行くな」と言われている気分になって引き返すことにした。
いい予感というものは信じても碌なことにならないが、嫌な予感というものは信じて損はない。
「しまったな、変なところに来てしまった」
そんなことを考えながら、そそくさと来た道を戻った。
駐車場まで無事に戻れたので、とりあえず一服することにした。
当時はまだ紙巻を吸っていたので、持ってきていたお茶を飲みながら紫煙をくゆらせる。
山で変なことがあったときは、煙草を吸って落ち着くと良いと聞いたことがあり、今までもそうしてきたのだ。
──翌日、ひどい風邪をひいた。
ちょうどコロナが流行っていた時期であり、例に漏れずそれだった。
熱に魘されて寝るに寝られない夜を過ごしていると、突然、寝室のシーリングライトが消えた。
リモコンを踏んでしまったかと思い操作するが、うんともすんとも。
ブレーカーが落ちているわけでもなく、試しに別の部屋の照明と取り換えてみると無事に点灯した。
「買ったばかりのLEDが切れてしまうなんて、初期不良だろうか」と、ぼんやりした頭で考えながら夜を明かした。
翌日は、たしか風呂場の電球が切れた。
こちらは引っ越してきた当初からついていたものなので、寿命だったのだろう。
その次は読書用の行燈の白熱電球。さらに廊下の電球。
ここまで来るとオカルト云々ではなく、「この家に問題があるのではないか?」と不安になってくる。
漏電でもして変なことになっているのではないか。風邪も長引いていて全然治らない。
「運が悪いな」と思いながら電話で母にそんな話をすると、
「台湾の叔父さんがそういう話が好きだから、話してみてもいい?」とのこと。
別に隠すことでもないので承諾した。
数日後、母を通じて叔父から連絡があり、「住所と生年月日を教えろ」と言う。
なんでも、向こうの仏教だか道教のお師匠さんがその話を聞きつけ、占ってくれることになったらしい。
廟に祀られている神様の遣いが、遠路はるばる日本の我が家まで様子を見に来てくれたそうだ。
母が叔父にどう話し、叔父がどう伝えたのかはわからないが、お師匠さん曰く、
「最近、変わった場所や普段訪れないようなところへ行ったか?
そこへ行く途中に神社があるはずだ。あなたはそこの神様に挨拶をしなかったので、左肩をどつかれたみたいだね。
今度、改めて挨拶に行ってきなさい。ただし、絶対一人で行ってはいけないよ」
とのことだった。
「神社なんてあったか?」と思いGoogleマップを開くと、駐車場までの山道の途中に、確かに神社があった。
思えば、石造りの鳥居や石灯籠が立派だったが、「車を停める場所がないな」とスルーした場所だった。
台湾の言い伝えでは、人間には頭と両肩に火が灯っており、それが悪いものを寄せ付けないように守っているのだという。
今回、神様に肩をどつかれたことで火が弱まり、その状態で山に入ったため、変なものが憑いてしまったらしい。
この話が私に伝わると、翌日には母から符水に使う呪符が届いた。
台湾では一般的なおまじないで、キョンシーが額に貼っているようなお札を燃やし、その灰を水に入れて聖水のように使うのだ。
子供のころに経験があり慣れてはいたが、自分自身に行うのは初めてだった。
お作法を母に聞くと、
「晴れた日の午前中に、灰を入れた水で身体を洗うように、汚れを水に押し付けるイメージで行うこと。残った水は川があればそこに流すのが良く、間違っても道に撒いてはいけない。次にそこを歩いた人に憑いてしまうから」
とのことだった。
言われた通りに実行し、水は玄関前の用水路に流した。
その後、いい加減私の免疫も仕事を始め体調も回復し、家の電球が切れる問題もぴたりと収まった。
(ちなみに、最後に切れた電球は玄関の外灯だった)
体調が万全になった頃、友達に「景色の良いところがあるからドライブに行かないか? 近くに温泉もあるよ」と声をかけた。
今後、神様には礼儀正しくしておこうと思う。




