幸せの輪郭
フィクションです。駄文注意。
僕は2月生まれだが、4月を新年度にした人を恨んだことは無い。
というのも、1月1日から4月1日に生まれた、いわゆる早生まれの人間は、同じ年度、つまり昨年の4月2日以降に生まれた、いわゆる遅生まれの人間よりも幼少期の発育に関して不利らしい。
遅生まれの方が早生まれよりも数か月発育が進んだ状態で同じ学年に放り込まれるわけだから、学習や運動能力の観点で遅れを取りがちなのだろう。
だが一方で、早生まれは受援力という他人に助けを求める能力が高まるらしい。自分の能力の不足を他人の助けをもって補うことを学ぶからだという。
確かにそうかもしれないと、書いてあった記事を見て僕は頷いたが、それは助けを求めることが出来る環境だったからなのだろうなとも思った。
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小さい頃から、僕はゲームが好きだった。
初めてプレイしたゲームは、当時両親がデジタルカメラの写真を保存するためだけにあった低スペックのデスクトップPCでプレイした無料のウェブゲームだったと思う。
どうしてあれが面白かったのだろうかと、今思えば不思議だが、5歳児の僕は心から楽しいと思ってプレイしていた。
毎日同じブラウザで、大量にあるゲームを上から順にプレイしていく。
飽きたら次。
飽きたら次。
いつの間にか一番下までスクロールをしていることが多かった。
それでも幼少期の有り余る時間を潰すことはできなかった。
だから今度は気になったゲームだけをかいつまんでプレイしていく。
いくらかプレイを続けていくと、昼食の時間になり、下の階から母の声が響く。
僕は父の部屋で遊んでいたから、キリの良いところで父と共に母のもとへと向かい、昼食を食べる。
ゆっくりと食べるなんてできなかった僕は口を出来るだけ大きく開いて茶碗からご飯をかきこんでいた記憶がある。
そうして昼食が終われば、再びゲームをプレイする。
こんなにも多くの時間をゲームに費やしていて、僕の両親は怒らなかったのかと聞かれれば、そうではない。
母はゲームにあまり良い印象がなく、ゲームをプレイすることに大変な抵抗があったであろうと思う。
少し先の話になるが、小学生になり自分のゲーム機を持った時には、母が僕の知らないうちにゲーム機を隠してしまうなんてことがあったくらいだから、相当ゲームの印象が悪かったのだと思う。
一方で父はゲーム好きで、ゲームに対しての理解があった。
僕がゲームを楽しいと感じていることに共感してくれていた。
だから母と僕の仲裁人として、ゲームをする時のルールを決めるときには一役買ってくれていた。
母とゲームをめぐってぶつかり、それを仲裁してくれる父がいて、最終的には納得のいく形で結論を出す。
僕のゲーム人生は常にそのようであった。
しかし僕にも反抗期が来た。
あの頃は本当に酷かったと今でも思うが、何かとあれば感情が高ぶってしまい、幸い家の物に当たることは無かったが、庭の石を思い切り地面に叩きつけるなんてことはしょっちゅうあった。
どうしてあそこまで感情が激しく動くのか今では良く分からない。
きっと制御がきかなかったのだろうと思うが、それでも両親や一緒に住んでいた祖母には迷惑をかけた。
高校に入ってすぐ、僕は自分専用のパソコンを買った。
最新ではなかったが、それなりに良い物をゲームをするために買った。
すると高校で出会った友達とゲームをするようになり、高校から帰っても両親たちとはほとんど会話はせず、友達と通話を繋げて話すようになった。
家にいるのに、家にはいない。
そんな状態が日常になった。
そして高校を卒業し、僕は大学に進学した。
大学は実家から通うとなると相当時間のかかる場所にあったため、一人暮らしをすることになった。
もちろんパソコンは一人暮らしをする部屋へと移動した。
大学に入って一年間、僕は部活とゲームをして過ごしていた。
バイトはせず、仕送りだけでやりくりする生活を続けていた。
二年目に入り、ようやく始めたバイトは、3年生から就活があるという体の良い言い訳をもって辞めてしまった。
その頃だった。
一体何のために生きているのかという疑問がふと頭に思い浮かんだ。
時刻は深夜の1時を過ぎたくらいだったと思う。
自室のベッドに寝そべり、真っ暗な部屋で天井を見ながらそう思った。
何のために。
すぐに答えが出せなかった。
そうしてまた新しい疑問が生まれた。
「幸せって何だろう」
ただ、頭にその文字が浮かんだような感じだった。
幸せ。
気が付けば僕は他人と自分の現状や家庭環境などを比べていた。
僕は両親から、私たちは普通の家庭だ、と教わって生きてきたから、自分の家が普通なら他の家もきっと僕と同じか、違うとすればお金がもっとあるくらいだろうと思っていた。
しかし大学で出会った友人と家庭の話をすると大きく違うところがいくつもあった。
とりわけ、お金の使い方に関しては使い方が違っていた。
友人曰く、「大学に行かせられて、一人暮らしをさせてあげられて、部活で使う道具の費用を出してあげられて、服や靴などの生活に必要な物を買ってくれる家庭は裕福」らしい。
服や靴に関しては僕が全くと言っていいほど関心が無いため、それを見かねて必要最低限に買ってくれているのだということを友人に話したが、それでもだ、と返された。
そこで初めて僕は知った。
僕は恵まれている。
他にも、考えれば考えるだけ僕が恵まれている理由がどんどんと見えてきた。
用事があって実家に帰るとなった時には、電車ではなく両親のどちらかが迎えに来てくれること。
頼めば簡単に自動車学校に通わせてくれること。
病気になって動くことの難しい時にはわざわざ実家からご飯や薬を届けてくれたこと。
家庭環境に大いに恵まれて育っていた自分が、どうして幸せに疑問を持つのか理解が出来なかった。
SNSで毒親と検索し、毒親と呼ばれる親を持つ人の投稿に目を通すと、僕が恵まれていることなんてさらに明確になった。
だから思った。
「僕はこんなにも恵まれているのだから、きっと既に幸せに違いない」
そうだろうと思った。
だが、心のどこかでそれは違うような気がしてならなかった。
変に心に欠けた不満足感があったからだ。
これが埋まった時に初めて幸せなのではないかと思った。
だから一体何が不満足に感じているのだろうと思った。
金には特段困っていなかったし、ゲームをするにも何をするにも必要な物は全て揃っていたからだ。
その日は考えるのに疲れていつの間にか寝てしまった。
次の日になって、僕は驚いた。
昨日の疑問がいまだに僕の脳を徘徊していたからだ。
眠れば忘れるだろうと思っていたが、それは朝日を浴びても影を保っていた。
何気ない一日の始まりだと思っていたのに、僕は「幸せ」に憑りつかれたままだった。
何をしようにも「これをして幸せなのだろうか?」という疑問が僕に投げかけられる。
「分からない」と答えてその場をやり過ごし続けるが、ふとした瞬間に「今は幸せか?」と投げかけられる。
「知らないからほっといてくれ」なんて言葉が通じれば良かったのだが、どうやら話の通じない相手らしく、時間が経つにつれて疑問を投げかける声は大きく響くようになった。
ついにはゲームを友人とゲームをしている時でさえ、声は強く大きく、僕の頭で響いた。
それをかき消すように友人と会話をしながらゲームをし、出来る限り声を聴かないようにしていた。
その日は出来るだけ何も考えずに寝てしまおうと、夜中までゲームをし、倒れこむように眠りについた。
しかし声は消えて無くならなかった。
それどころか、声はさらに強く僕の脳に響いた。
そんな日が何日も続いていた時、またもやふと思った。
「友人とゲームをしているこの時間は幸せを感じていない気がする」
自分でも良く分からなかった。
友人と会話をしながらゲームをすれば、間違いなく楽しくはあったのだ。
しかしそれはただ「楽しい」だけで、「幸せ」とは違う気がした。
そう思ってからか、僕はゲームをする機会がめっきり減った。
ゲームをしていても楽しくなくなったのだ。
正確に言えば、楽しさはあるものの、それが極端に小さくなったのだ。
「幸せ」という基準に囚われた僕は、次第に何をしても楽しさというものを感じなくなっていった。
楽しいことをしているたびに、それをしていて幸せかどうかを判定する回路が僕の脳に出来上がってしまっていた。
どこかへ友人と遊びに行っても、それが楽しいんだが幸せなんだか、もう良く分からなくなって、素直に楽しむという行為自体が出来なくなってしまった。
むしろ、その行為自体が無駄なのではないかと考えるようにもなっていった。
「幸せ」に向かって歩むべきであるのに、無駄足を踏んでいてはいけないのではないかと思うようになった。
しかし、「幸せ」が何か分かっていないのに、どうしてそれに向かって歩みを進められるだろうか。
僕はついに歩みを進めることすら出来なくなってしまった。
何もできなくなってしまった。
ベッドに寝そべったまま、何もしない。
ただ「今は幸せか?」という問いに「幸せではない」と答え続けるだけ。
そんな日々が続いたある日、友人と出かける用事が出来たので、その友人に何気なくそのことを話してみた。
「幸せって何だと思う?」
僕が訊くとその友人は苦笑いをしながら、
「いきなりすっげぇ難しいこと言うやん。えぇ~なんだろうな……」
と言って、何もないところを見つめながら少し考え始めた。
少しして友人が口を開くと、
「分からない」
と返ってきた。
「わからないかぁ……」
と返す僕に、彼は平然とした顔で
「そりゃそうだろ」
と言った。
幸せを分からないといったその友人は、僕より遥かに幸せそうに見えた。
また別の友人と食事に行った時、その友人にも僕は訊くことにした。
「幸せって何だと思う?」
「はぁ?幸せ?なんでいきなりそんなことを……」
「いや、実は最近幸せって何だろうって考えててさ。他の人はどうなんだろうって」
「……幸せねぇ……マジで難しいな……」
その友人も前の友人と同じような反応をした。
でもその友人は前の友人とは少し違ったことを僕に言った。
「俺は人を助けてる時が一番幸せだって感じる」
「というと?」
「俺はさぁ、今介護を学ぶために福祉系の大学に通っているだろ?俺の両親はどっちも介護系の仕事しててさ、その影響もあるんだけど、まあ、それで、介護とか福祉ってのはすっげえ大変なんだけど、その分やりがいがあるっていうか、人のためになってるっていうか……そういうことをしてたらさ、幸せなんじゃねえの?」
「人のためか……」
人のために何かをすることが自分の幸せになる。
彼の考えは僕の頭に少しだけヒントをくれた気がした。
彼はそのすぐあと、
「っていうかさ、死ぬなよ?」
「は?死なないよ」
「ならいいけど」
僕は毛頭死ぬ気は無かったが、彼は僕が突然変なことを言い始めたから気がおかしくなったのかと思って心配してくれたらしかった。
僕はまた恵まれていると思った。
またある日、さらに別の友人と話す機会があったので聞いてみた。
「幸せって何だと思う?」
僕がそう言うと、友人は5分くらい考えた後、
「楽しいことをしている時が幸せだと思う」
と、答えた。
「楽しいことをしている時って本当に幸せなのかな?」
僕は友人の答えを否定するかのようにそう言った。
(もちろん否定するつもりは無かったのだが、僕自身すでに楽しさと幸せはイコールで結べないのではないかと考えていたため、否定しているように友人には聞こえていたと思う。)
「う~ん……そう言われるとまた難しいなぁ……」
友人はそう言って悩み始めた。
「幸せか……考えたこともないな……」
ついに良く分からないという結論に至ったのか、面倒になったのかは定かではないが、彼は僕に質問をした。
「ってか、なんでそんなこと聞くの」
「幸せがなんだか分からなくなっちゃって……」
「ゲームしてても楽しくないの?」
「最近はゲームもしなくなったよ。楽しくないっていうか、楽しめない感じ」
「ふぅん……」
友人は僕の笑顔を見て嫌気がさしたのか、僕から目を逸らして何かを考え始めた。
僕はそんな友人に言った。
「楽しいことをしてて幸せって感じるの?」
「幸せかどうかって言われれば違うような気はするけど……少なからず幸せに近いんじゃないかな?」
友人はそう言うと笑顔でこう言った。
「カウンセリング行けよ」
「カウンセリング?行かねえよ」
「いや、行った方がいいって。だってこういう類の質問ってか疑問って、俺たちには解決できそうにないだろ?」
「まあ……まだ20年しか生きてねえしな。それはそう」
「だったらもっと年上に聞くべきじゃね?」
「確かに。ずっともっと生きてる人だったら答えを知ってるかもしれないな」
「答えを知ってなくても、モヤモヤくらいはどうにかなんじゃねえの?カウンセリングって専門家がやるんだろ?お前みたいな疑問を持ったやつを何人も相手にしてきたんだったら、何かヒントくらいはあるだろ」
「そうだな」
僕は確かにそうだと頷いたけれど、別にカウンセリングに行こうとは思わなかった。
それほどの問題ではないと思ったからだ。
だが、早いうちにこの問題を解決しておいた方が良いとは思った。
その友人との予定が終わると、二週間ほど予定のない期間に入った。
予定が無いから、別に外に出ようとは思わなかった。
昔からアウトドアよりはインドアだった僕は予定が無ければずっと家にいた方が疲れなくて好きだった。
何もしないまま、ただ「幸せ」と向き合って一日一日を過ごした。
だがそれらしい答えは見つからなかった。
一週間ほど経って、気晴らしに映画を見ようと適当なアニメの映画を見た。
そのアニメでは主人公が幸せを目指して過ごしていくという内容だった。
主人公は作中、主人公が「楽しい」と思う方へ思い切り進んでいた。
ただがむしゃらに楽しい方へと進んでいた。
楽しいことが幸せになるのかという僕の疑問にまた一つヒントを得たような気がした。
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結局、僕は幸せが何か理解していないし、これから先の未来で理解できるような気がしてもいない。
きっと今まで通り幸せを探しながら生きていくのだろうと思う。
恵まれた人生を幸せだと思えない僕はきっと贅沢者なのだ。
贅沢を目の前に、横目で幸せを探しながら生きていこうと思う。
読んでいただきありがとうございます。
友人に見せたところ、身の上話みたいだと言われたので明言しますが、すごくフィクションです。
幸せっていうテーマで色々書いてみました。
良ければ皆さんの「幸せ」を教えていただけると次回の作品に活かせると思いますので、コメントをしていただけると嬉しいです。




