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七つ影の勇者  作者: ななし


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【第4章 鉄と沈黙の夜】

 火は小さくなり、鉄の匂いだけが夜を支えていた。

 眠れずにわたしは大聖堂の通路を巡った。石の床が冷たく、足音が月光に吸われていく。

 老兵が焚き火のそばでうたた寝をしていた。肩に外套を掛けると、彼は片目だけ開けて微笑んだ。


 「リーナ様、交代は?」


 「まだいいわ。……皆は?」


 「眠れる者は眠り、眠れぬ者は剣と一緒に起きております」


 彼の言葉の端に、酒の匂いが混じった。恐怖をごまかす匂い。

 わたしはうなずき、祭壇跡の外縁へ向かった。崩れた柱の影で、金の瞳が月を裂いた。

 レオンがいた。

 見張っているのではない。観察していた。焚き火、兵の位置、出口、影の流れ。

 彼はわたしに気づいていたが、目だけで夜を測り続けた。


 「眠れないの?」と声をかけると、彼は短く首を振った。


 「夜が騒がしい」


 その言葉が合図だったかのように、甲冑の擦れる音が近づいた。

 兵士長が二人を従え、荒い息でわたしの前に立った。手には剣。刃先が揺れている。


 「死体が見つかった。外壁の下だ。首の角度が不自然だった。――影の仕業だろう」


 「待って。ここで断じるべきじゃない。確かめる前に刃を――」


 わたしの言葉は最後まで届かなかった。兵士長は一歩踏み出し、レオンへ剣を向けた。

 月が雲に隠れ、焚き火がぱち、と小さく爆ぜた。

 レオンは動かない。ただ、息をひとつ整えた。

 わたしの背中が冷えた。夜が傾いたのを、肌で感じた。

 呼吸が戦いの始まりだった。

 兵士長が踏み込み、鋼の線がまっすぐレオンの喉元を射抜く。

 金属音は鳴らない。レオンの指が二本、刃を挟み、力の方向だけを奪った。


 「離せ!」兵士長が吠える。


 レオンは首を傾げるだけだった。怒りはない。判断だけがあった。

 わたしは駆け寄り、二人の間に声を投げた。


 「やめて! ここで血を――」


 「やめている」レオンの声は低かった。「止めるには、切らずに済ませる順番がいる」


 彼は刃を解放すると同時に、兵士長の手首を軽く払った。

 力ではない。向きの問題だ。腕から剣が抜け落ち、石の床で乾いた音がした。

 膝が折れる。倒れる前に肩を支え、地へ導く。痛まないように、だが逃がさないように。


 「殿!」兵が飛び出した。わたしは両手を広げて止めた。


 「武器を下ろして。彼は殺していない。誰も――」


 言い切る直前、胸の奥を針が刺すような痛みが走った。

 振り向くと、暗がりでミラが柱に背を当て、震える指で花弁を集めている。

 赤い花がひとつ、ふたつ、足もとに咲いては消え、彼女の呼吸のたびに揺れた。


 「……痛いの、やめて……」彼女は誰にでもない声で囁く。


 兵士長の目が見開かれ、恐怖が形になる。

 彼はわたしではなくミラを見た。震えが怒りの形を借り、言葉になる。


 「やはり化け物だ。泣きまねで心を操る――」


 「違う!」わたしの声が強くなる。「彼女は受け止めているだけ。あなたたちの痛みを」


 レオンがわずかにこちらを見た。

 その目に温度はない。けれど、誰よりも早く、彼は兵士長の視線の行き先を読み、

 次に起こる暴走を止める体勢に入っていた。


 「殿、下がってください」わたしは兵士長の前に膝をついた。「今は、恐怖のほうがあなたを斬る」


 沈黙が落ちた。

 焚き火の音だけが、夜の穴を埋めた。

 兵士長は拘束を受け入れた。老兵が縄を回し、結び目を二重に確かめた。

 彼は震えながらも、わたしに向かって唇を強く噛んだ。


 「……影が、笑っていた」


 わたしは首を振った。「誰も笑っていないわ。あなたの恐怖が、笑いに見せただけ」

 レオンは剣を拾い、鞘に納め、地面に突き立てた。火花が小さく散った。

 彼はわたしに背を向けたまま言った。


 「夜明けまでの秩序は保った。それ以上は、今はいらない」


 「レオン」わたしは呼びかけた。「あなたは何を守ったの?」


 「順番だ」彼は振り返らなかった。「斬らずに済む順番を」


 柱の上で衣擦れの気配がした。

 見上げると、仮面の男――カイリが腰をおろしていた。焚き火の光が仮面の片方だけを照らす。


 「見事だね」彼は柔らかく言った。「静けさを切り分ける技は、勇者にこそ似合う」


 「褒めなくていいわ」わたしは言い返した。「ここは裁きの場じゃない。夜を越えるための場所よ」


 カイリは肩をすくめた。「なら、続けるといい。君のやり方で」

 老兵がうなずき、兵たちは武器を下ろした。

 ミラは花弁を胸に抱き、目を閉じて呼吸を整えた。

 わたしは彼女の額に手を当て、熱と脈と、震えの速さを確かめた。

 生きている。

 この夜はまだ、わたしたちの側に残っている。

 ――祈りは灰になった。それでも、守る順番は残されている。

 わたしは息を整え、夜明けのない空を見た。

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