08 15年って世間的には長いんだな
手続きが終わり、役所を出たら既に空は茜色に染まっていた。
街道を歩く人たちも心なしか足早で、皆家に帰るモードに移行したのだろう。
「予想通り遅い時間になったな」
流石に手続きに半日はかかりすぎだと思うが、全て手作業ではこんなものなんだろう。
俺は貰ったばかりの身分証(仮)を懐に入れると嘆息する。
「お前がしっかり手続きを終わらせていたら必要のない時間だったがな。これでは町の案内も出来ずに終わる」
のっそりと現れたスキンがそんな事を言ってくるが、元々今日は仕事だった筈なんだから文句言わないで欲しい。
「案内に関しては勝手にしてくれるって言う案内人に明日頼むさ」
「そうだな。そうしろ」
スキンは頷くと、俺の前に出て歩き始める。恐らく、当初言っていたように宿に案内してくれるんだろう。
「所で、俺の宿題はちゃんと解いたか?」
「宿題って何だよ?」
特に何かを渡された覚えはない。
「宿に知り合いがいるという話だ。まさか、忘れているのか?」
「……あー……」
言ってたな、そんな事。
何となく怖いが思い出せない事を気にしていても仕方がない。
「何とかなるだろ。お前の時と同じように顔見たら思い出すと思うし」
「本当かよ」
「多分な。それよりもいくつか聞きたい事あるんだけど」
「何だ? 答えられる事なら答えてやる」
答えられる事……ね。予防線張って来たな。
「さっき役所で“伯爵様直属の騎士”って言われてたな? 俺的にはいくつか突っ込みどころがあったんだ」
「ああ、それか」
素直に頷いた所を見るに、この質問は想定内だったんだろう。
「俺の記憶ではここって子爵領だったと思うんだけど、伯爵様の管轄になったのか?」
何処の伯爵様なのかは知らないが。
「何? そこから?」
だが、俺の質問にスキンは歩みは止めずに、しかし振り返って聞き返してきた。
そんなに変な質問だっただろうか。
「この町の領主様は今も昔もラーグラント様で変わらない。確かにお前が暮らしていた頃は子爵だったが、伯爵に昇爵されたんだ」
「え? そんな簡単に昇爵って出来るもんなの?」
そんなポンポン変わるイメージがわかないし、あまり聞いた事も無いんだが。
「何でお前が知らないんだ……。お前の前職は王都魔術師隊だろう?」
「何か関係あるのか?」
「お前それ本気で……。いや、いいや。お前はそういうやつだよ。とにかく、ここの領主様は伯爵様になった。それがわかっていればいい」
お手上げとばかりに両手を軽く上げて前を見たスキンに軽くイラっとするが、詳しく説明されても仕方ないし、それが事実と言うなら事実で呑み込むべきだろう。
「色々言い返したい部分はあるがわかった。じゃあ次。お前って騎士なの? それって名前だけの騎士じゃなくて、ちゃんとした騎士爵?」
「騎士爵だな。この領地限定、俺の代のみの名誉職ではあるが」
いや、当代のみと言っても立派な準貴族だ。
「凄いな。限定的とはいえ貴族の末席ではある訳だ。そうなると、尚更不思議だな。あの時の上官は兵士長と呼ばれていたが、恐らく平民だろう?」
身分が下であるのに、職位は明らかに上に見えた。スキンの態度もだ。ただ、兵士長を呼ぶ際にスキンは役職名を付けずに『キブルさん』と呼んでいたのは確かに違和感があった。
「……その辺は色々あってな。お前も王家の直属だったなら多少は分るんじゃないか? 役職と立場が上下する事はよくある事だろう?」
あー。確かに。
例えば、俺は曲がりなりにも小隊の副長であり、それは上官からの……遡れば陛下から認められた正式な物だ。しかし、実際の現場では俺達赤龍隊よりも白龍隊や黒龍隊の隊士の方が立場的には上だった。
その為、他の部隊の隊士との共同になる場合は、小隊の副長だった俺よりも、白龍隊の一般隊士の方が上官扱いになる。当たり前すぎて忘れていた。
「確かにあるな。なるほど。伯爵様の部下よりも本部の人間って事か」
「そういう事だ。そういう人間だったからこそ、王家直轄、更には役職持ちだったお前への態度が変わったわけだ」
今は無職だけどな。
「次に会う時が怖いな……」
「問題無いだろう。ウェンディも注意するらしいからな」
それがあるから怖いって言ってんだよなぁ……。逆恨みとかされないかね?
「質問はそれ位か? もうじき宿に付くから過去の人間関係をよく思い出しておいた方がいいと思うぞ」
「ああ、そうだな」
とはいっても15年だもんな……。俺にとってはあっという間だったが、改めて思い出そうとすると全く思い出せん。
……ま、顔を見れば思い出すだろ。
「ついたぞ。ここだ」
スキンが足を止めたのは2階建ての建物だった。
開放的な出入り口があり、見た目は宿と言うよりも食堂に見える。
そこそこ繁盛しているのか、何人かの人間が出入りしていた。
その人たちを自然に躱しながら、スキンは扉を開けると中に入る。
俺もつられて中に入ると、当初の予想通り食堂のようだった。宿の食堂にしては人が多いから、もしかしたら食堂を兼ねた宿屋なのかもしれない。
「いらっしゃいませー! お食事ですか? お泊りですか?」
そんな俺達に向かって声を掛けてきたのは、この宿の関係者だろう。言ってきた内容からもそう思う。
年齢的には10代後半位か? まだ若干幼さを残したかわいらしい顔つきで、長い茶髪の背の低い女の子だ。
その子は最初にスキンを見て、僅かに口の端を上げると次に俺に視線を移し──。
最初は驚いたように目を見開き、ついで花が開いたような満面の笑顔を浮かべた。
スキンを見る。
呆れた様なその視線は、「この子の名前を言ってみろ」と言っているように見える。
そうだな。
……頼む。この子が誰だか教えてくれ。