59 俺の名は
柄を握り腰を落とす。
完全に魔術師のそれではない構えに母さんは悲し気な表情のままぽつりと呟く。
「……アレクは私を殺せないよ」
「……殺せるさ。あんたは俺にとって越えてはいけない一線を越えた」
残りの魔力はそれほど多くは無い。
王都魔術師隊隊長レベルの魔術師を仕留める事が出来る魔術は少ない。
無駄打ちが出来ない以上これに頼るしかない。
「それでも殺せない。アレクがどういう人間なのか、私以上に知っている人がいると思う?」
「自惚れが過ぎるな。たかが10年そこら一緒に過ごしただけで何を言っている? 俺はそれ以上の年月を王都で過ごしてきたし、既に両手で数えきれない程に人を殺してもいるんだ」
叔父さんから情報を得ているなら、北方戦線での俺の所業も聞いているはずだ。
「それでも殺せない」
カッとなる心を抑えつけ、柄を握りしめる手の力も緩める。
問題ない。ああやってこちらの意識を乱そうとしているだけだ。
「なら、やってみればいいんじゃない? どうせこの位置関係だとアレクの剣の方が速いでしょう? 話に聞いただけで実際に目にしたわけじゃないけど、王都騎士団の隊長レベルの剣の腕だって聞いてるし」
まるで聞き分けの無い子供を諭すかのような声色に、大きく息を吸って腰を落とす。
サリィの魔力に大きな変化はない。
既に展開している魔術はあるが、新しい魔術を展開する前に刃は届く。
……殺せる。確実に。
「……キリがないね。そのままウジウジしているなら──」
地面を蹴る。
サリィが右手をこちらに向けた動作が合図となって一気に距離を詰める。
展開されていた術が向かってくるが、最低限の動きで躱し、最後の一歩を踏み出す。
──発動は間に合わない。
どんなに術の発動が速い術者であろうと、本気になった剣士の一刀を、この間合いで潰す事は不可能だ。
あのミレーヌさんでさえ出来なかったのだ。いかにサリィと言えども出来る筈がない。
右手が動く。
剣を抜く動作を意識する前に抜き放たれたそれは、数分たがわずその細い首を──
「…………」
──サリィの悲し気な目と目が合った気がした。
即座に手首を返すと刃の先を脚へと変わる。
軌道修正した事で若干歪な軌道を描いたものの、抜き放たれた刃はサリィの右足に食い込み──直ぐに火花が散ったかと思うと表面をなぞって大地を抉った。
「な……ガッ!」
直後に顎に襲う衝撃。
咄嗟に左腕でガードしたが完全に衝撃は殺せずに後ろに弾かれ、更に追撃の魔術が立て続けに俺の体を直撃し、後方に転がりながら大地に放り出された。
次に見えたのは黒く塗りつぶされた空。星の光さえ見えなかった。
「ほら。言ったでしょう?」
それ以上の追撃はかけてこなかったようだ。
サリィの言葉に大きく息を吸い込むも、痛みで動く事は出来ない。
「……最初から……治癒魔術以外の対物障壁を纏っていたんだな……」
だから、挑発出来た。
「そりゃぁ、こっちだってまだ死にたくはないもの。でも、これでアレクに殺されちゃうんだったらそれでもいいと思ったのは本当だし、首を狙っていたら殺せていたかもしれないよ?」
ようやく治癒魔術が効いて来たらしく全身から痛みが抜けていき、何とか首を上げると首筋を摩っているサリィが近くまで来ていた。
「本当にすごい腕なんだね。まさか、一瞬とは言え傷をつけられるとは思わなかった。最初に首を狙われていたら、いくら治癒魔術を使っていても大出血は免れなかったんじゃないかな」
「……あんたにはまだ聞かなきゃならない事があったのを思い出した。それだけだ」
剣を抜く直前に見たサリィの瞳が……似ていたのだ。
失ってしまったあの瞳に。
断じて、目の前の魔女を殺す決断が鈍ったわけじゃない。
「……はぁ。そう。じゃあ、聞いてあげる。答えられる事なら答えてあげてもいいよ」
倒れているにも関わらず、俺の間合いの外で足を止めたサリィの声に何とか上半身を起すと、胸の中からペンダントを取り出し、掲げた。
鎖につけられているのは、薄い赤色の結晶。
「……こいつに身に覚えがあるはずだ」
「…………そっか。会っていたのね」
惚ける風もなくそう言ったサリィ。
最初から誤魔化すつもりは無かったのか、最初にグリフォンの結晶を見せていたから言い逃れ出来ないと諦めていたのか。どちらかは分からない。
「最初に聞いておきたい。俺が望めば…………こいつを復活させる事は出来るか?」
「無理よ」
サリィは間髪入れずに首を振った。
「その子とグリフォンは違うのよ。貴方は私の魔法が魔法生物の作成だと知ってあの子もそうだと思ったのかもしれないけど……。結論から言いましょう。その実験は失敗したのよ」
“実験”。
その不穏な単語に俺の心に在りし日のアリスの笑顔が浮かぶ。
「貴方も体験したから知っているでしょう。今も昔も赤龍隊は王都魔術師隊の中で最も多くの死者を出した部隊だった。当然、その長である私はどうにかしようと考えていた。そんな折に身につける事が出来た力だもの。試さない筈はないでしょう?」
サリィは右手を軽く振りながら何やら呟く。
すると、仄かな光と共に何とも奇妙な人形が現れ……おかしな動きをしながらこちらに近づいてきた。
「作れるのなんて精々そんなもの。もっと修練すれば違うのかもしれないけど、それはずっとずっと先の話でしょうね。人間に似た何かを作り出す事は出来ても、それに魂を入れた所で“子供をあやす道具”程度にしかならない」
テコテコ歩いてきた人形は、俺の近くまでくると足に縋りついてくる。
その様子に何となく見覚えがある気がした。
「だから、その方法は直ぐに諦めた。でも、私は魂の入れ替えも行う事が出来たから、命の籠った“箱”が最初から準備してあれば、それほど大きな力では無くても此方の意図した存在は作れるかもしれない。そう考えた」
「それが……」
声が出ない。口に出来ない。だが──。
「……あの年は凄く厄介な流行り病があってね」
俺の言葉が出る前に、サリィがしみじみとした口調でまるで関係ない事を口にした。
「王都で沢山の人が死んだ。貴方も知っている通り、いくら治癒魔術でも怪我は治せても病気は治せない。それでも、沢山の人が私の元を訪れたわ。当時の王都で最も治癒魔術に長けた私をね」
その話は俺も王都にいた頃に聞いた事はあった。治癒魔術が病に効果が無い事は少しでも魔術に関わる人間ならば常識だが、それでも、人はほんの少しでも希望を求めるものなのだろう。それこそ、王都随一の力を誇った治癒術者ならば……と。
「その中にはね……ミレーヌちゃんの旦那さんと……生まれたばかりの子供もいたわ」
ドクンと。
心臓が大きく跳ねた気がした。
「おかしいよね。誰よりもそのことを知っているはずのミレーヌちゃんが。私に縋って頼んできた。助けて欲しいって。救ってほしいって。でも、当然の事だけど私に治す事は出来なかった。でもね……。ふと、思ったのよ」
ミレーヌさんに子供?
そもそも、あの人は結婚していたのか?
戦場に出る軍人であるならば、独身であるべきだと。そう口にしていなかったか?
「最強の術者であるミレーヌちゃんの子供なら……。最適なんじゃないかって」
背筋に冷たい何かが差し込まれた気がした。
顔を上げ、サリィを見る。
その表情は何か諦めた様な色を出しているように見えた。
「私の魔法生物は、命を吹き込めるだけのポテンシャルはない」
「……やめろ」
「でも、“死体”としてなら模倣は出来る。誰にも見破れない。何故なら、人の本質は魔力にあるから」
「……よせ」
「病の元は人の魔力を蝕む何かだという事はわかっていた。だからこそ、良質な魔力を持っていたミレーヌちゃんの旦那さんと子供にも感染したんだろうね。ミレーヌちゃんが感染しなかったのは……強すぎたからかな? それは分からないけど。彼らにとっては想定外だったろうね。でも、私にとっては凄く幸運だった」
「やめろと言っている!」
俺は何とか立ち上がると、剣を再び握る。
俺の脚に縋りついていた人形はころころと地面の転がった。
「どうして? 聞いてきたのはアレクだよ?」
「俺が聞きたいのは……そんな話じゃない!」
「同じだよ。結局は同じこと。わかってるでしょ?」
サリィは一歩後退し、それでもこちらを見たまま続ける。
「それを復活させたいんだよね? それは無理なの。だから、どうして無理なのかを順を追って話してる」
「……それは……」
「私だって話したくないよ。でも、それがアレクの望みみたいだからそうしてるだけ。その子はグリフォンと違って復活できない。何故なら、もう死体が無いから」
俺の手にしたペンダントを指さしてサリィは告げる。
「そう、あの時、私の前に最強の魔術師になれる可能性を秘めた死体があった。私はその死体に私の魔力を存分に混ぜた流浪の魂を吹き込んだ。命を吹き込まれた死体は産声を上げて……私はその子を自分の子として育てるために隊を抜け、ラーグラントに戻る事にしたのよ」
血の味がする。
いつの間にか唇を嚙みちぎっていたのか口内に血が滲み、手にしていた赤い結晶は地面に落ちた。
「アレクセイと言う名を付けて」




