57 おかえりなさい
今夜は雲が多い為か闇が深い。
時折雲の合間から除く月光と星の光が本来ならば唯一の光源なのだろう。
そんな暗闇の中を、俺が辿っているのは霧とも呼べない微かな残光。
匂いにも似た赤みがかった気配を目印にして歩いていた。
どれくらい歩いただろう。
流石にまだ町までは距離がある位置。
街道迄後少しの距離にある原野の途中。寄せられた大き目の岩の上に一人の女が座って夜空を見上げていた。
足を止め、距離を開けて眺める。
女はこちらに気が付いているだろう。気が付いていないわけがない。
にも拘らず、口元に薄っすらと笑みさえ浮かべ、空を見上げていた。
「……意地悪な天気だね」
ぽつりと。
そんな事を呟くと、ゆらりとこちらに顔を向けた。
「こうして2人だけでお話しする事が出来るようになったのに、光も差さない一面の黒。……まるで、あの女みたい」
「ミレーヌさんの事を言っているのか?」
俺の返答にその女は微笑むと、岩から降りてローブを払った。
暗闇ではあったが、闇に目が慣れた今なら色位の判別は出来る。
赤を基調とした黒線が入った赤黒いローブ。正面からは見えないが、恐らく、背中には赤い竜の刺繡が入っているはずだ。
見慣れた……それこそ、目に焼き付くほどに視界に入れてきたローブだった。
「不思議だな。君はミレーヌさんと面識は無かったと記憶しているが」
「あははっ!」
女は笑い、右手で髪先を弄る。
「無理に合わせなくてもいいよ。どうせもうわかっているんでしょう?」
「……隠すつもりもないのか」
「ないわ。こうして何の濁りも無い状態で対面した以上、魔力の質を隠す事は出来ないもの」
言うや否や、女の体から魔力が湧きたつ。
……特徴的な……赤黒いそれを。
「貴方は魔力の質を見抜く特殊体質を私から受け継いだただ一人の子。だからこそ、あんな町からは出て行って、もう関わり合いにならない方が良かったのに」
「何も知らなければそうしたかもしれない。だが、知った以上は見過ごせない」
「……そうね。貴方は昔からそういう子だった」
女は一歩後ろに下がる。
だが、それは逃げるためでは無い事はわかっている。
あくまで、距離を取っただけだ。
「再会した時の態度は、魔力の質を誤認させ、特定を避けるためだな?」
「そうよ。私の魔力はどうしても赤色に寄ってしまうから。この色に一番近いのは怒りと敵意だから、不本意だけどああいう態度を取らなければならなかった」
右手を握る。
指にはめたリングが熱を持つ。
女は右手をユラユラと揺らしながらこちらに向けている。
「嬉しかったのが半分。このタイミングで帰ってきてしまって困惑したってのが半分だった。だから、とりあえず追い返してどうやって王都に戻そうか考えてたんだけど……」
「考えがまとまる前に余計な事をした奴が出た。だな?」
「うん。本当に余計な事をしてくれた。開拓村が近くにある事は知ってたけど、普通魔獣の住処に侵入する?」
呆れた様な女の声に思わず首を振ってしまった。
「……開拓しているのだから当たり前だ。その為に魔術師隊から隊士が随伴していたんだろう」
「へー。魔獣を駆逐して開拓するつもりだったの?」
世間知らずもここまでくると酷いが、思えば昔からそういう所があった人だった。
「……グリフォンが死んだのは知っているな?」
「勿論。あの子と私は繋がっているもの。でも、完全に存在が消えたわけじゃないから……」
女の言葉が終わる前に黒い結晶を左手の上に乗せて見せる。
「スキンを向かわせて回収しようとしたわけだな? こいつが残れば復活するのか?」
「……はぁ……。これまで自分しか使えなかったから気にした事なかったけど、厄介すぎるわね。その能力は」
ため息を吐く女に気にせず結晶を握りつぶす。
思いの他簡単に砕けた結晶は、赤い靄を残して辺りに散っていった。
「これで魔獣の襲撃は出来まい」
「……そうねぇ。残念だけど、違う方法を考える必要がありそう」
女は困ったような笑みを見せると……次の瞬間には歓喜の表情を浮かべ、真っ赤な瞳をこちらに向けた。
「でも、かえって良かったかもね。それはそれであなたを追い返す必要は無い訳だから。これからは親子水入らず、2人で一緒に暮らしましょう」
「……このタイミングでそれを聞かされる身になってくれ。最悪だよ母さん」
落ち着きのなかった母さんの右手の動きが止まり、即座に母さんの周りだけでなく俺を囲むように赤い魔力の塊が散らばった。
「暫く会わないうちに聞き分けが悪くなったみたいだから、可愛そうだけどちょっと痛い思いをしてもらって、動けなくなった所を運ぶことにするわ。あ、そうそう。今更だけど言い忘れていた事があったわね」
簡易魔術。
いや、このレベルをそんな名前で呼ぶのは適切じゃない。
詠唱魔術を超える威力を誇る無詠唱魔術の使い手。
ヴァルメリアの【赤き魔女】──元赤龍隊隊長サリィ・デモンズ。
「おかえりなさい。アレク」
その優雅な動作と満面の笑顔とは裏腹に、凶悪な魔術の牙が俺に向かって殺到した。




