17 最も優先するのは自分の命
「いい天気だ」
外に出て、空を見上げると空は雲一つない青空だった。
短時間とは言え、むせかえる様な異様な空気を吸い続けていた為か、心の中とは裏腹な快晴に空気を読まない奴だと感じる。
「……お兄ちゃん」
知ってはいたが気が付かないふりをしていた人間の声が背後から聞こえる。
恐らく陰の気に侵されているだろう幼馴染よりも、ずっと前に故郷を離れた不義理者に付いてきてしまった困った奴だ。
「ナターシャ。悪いけどグローリィ叔父さんの家の場所を教えて貰えないか?」
「グローリィさん? 確か、上流街に住んでたと思うけど……詳しい場所はわかんない。多分、お姉ちゃんなら知ってると思うけど……」
ナターシャの答えに振り向くと、ちょうどナターシャもミーシャの家に視線を移したらしく、振り返っている所だった。
「残念だがもう二度と会う事も話す事も無い相手に聞けないな」
「それなんだけど」
俺の答えにナターシャはこちらに振り返る。
「本当にもうお姉ちゃんと会わないつもり?」
「ああ。それがお互いにとって一番いいからな」
あいつは俺に対して悪意や敵意を持ってしまった。あれは今後小さくなることはあっても、無くなる事はもう無いだろう。
「どうして? 昔はお姉ちゃんとお兄ちゃんは一番仲が良かったじゃん。私にとって一番好きな関係だったのに……」
「今と昔は違う。あいつにとって俺の今までの行動は許せない事だろうし、俺にとってもあいつに会う事にリスクがある以上距離は取りたい」
「リスクって何?」
少しだけ語気を強くして、ナターシャが俺に一歩近づく。
「こちらが危害を受ける可能性がある。どんな些細なリスクでも俺は無視できない。これは生き方だ。これまでの生き方でそれが必要だと判断してきたから、今更それを変えられない」
俺が学園を卒業するまではそういった考えは持っていなかった。
今考えれば、ミレーヌさんが俺を赤龍隊に押し込んだのはその性根を改善する目的もあったのかもしれない。信じられない位荒療治だが。
「それって、お姉ちゃんがお兄ちゃんに何かするって事? そんなことするはずないじゃない!」
「かもな。でも、一度敵意を持ってしまったらどうしても心の中には残るんだ。返しのついた釣り針のように深く食い込み、無理に外せば健全な部分までずたずたにしてしまう。どんなに抑え込もうとしても、目の前に俺を害する事が出来る……それこそ、ミーシャでも実行できる何かがぶら下げられたら、あいつは何の躊躇もなく掴むだろう」
そういうやつをこれまで嫌と言う程見てきた。そこに例外は無かった。
「でも、お兄ちゃんの方が強いじゃん。お姉ちゃんは武術も魔術も使えないんだよ?」
「…………それでもだ」
武術も魔術も使えない……ね。
成程、そういう事にしているわけだ。
確かに、当時のミーシャはナターシャが言うように戦う力は皆無だった。
しかし、さっき久しぶりに顔を合わせた時に漏れた魔力量とその後に抑えた制御能力は……。
「身も蓋もない言い方をすれば、戦う力はそれほど関係ない。やろうと思えば毒を使うなり、やれる人間を雇うなりいくらでもやりようはある。効果的な手としては、俺に親しい人間を引き込んで、油断している状態の俺に何かする……とかな」
「……それって、私も疑ってるって事?」
おっと。流石に露骨過ぎたか。
「そういう訳じゃない。あくまで過去の経験を例に挙げただけだ。一度敵意を持った連中は、顔を合わせた時には友好的に笑っていても、そういうことを平気でするって事を言いたかっただけだ」
「そう。わかった」
俺の言葉にナターシャは悲しそうな顔で頷いた。
「お兄ちゃんは私にこのままお姉ちゃんの所に戻って欲しいんだね」
「…………」
「今の私と一緒に居るのは怖い。違う?」
驚いた。
過去の印象が強すぎて子供の様に思っていたが、よく考えたらこの子はもう成人した立派な大人だった。
「理解してくれるのなら助かる。でも、別にお前の事が嫌いになったわけでも、もう会いたくないと思っているわけでもないんだ」
俺に対して敵意も悪意も無い事はもうわかっているからな。
でも、どちらがより大切か。ミーシャに何かを頼まれた時に断る事が出来るかは別の話だ。
「うん。それもわかってる。でも、そうして欲しいならちゃんと口に出してお願いして欲しいな」
お願いか。確かに、こっちの都合なのにナターシャに決定と言う名の責任を押し付けるのは卑怯だよな。
「ミーシャの傍にいてやってくれ。俺の方は何とか一人でやっていく」
「わかった。宿に戻っても私からは会いに行かない事にするから、用がある時はお兄ちゃんの方から部屋に来てね」
手を振って、ミーシャの家に戻っていくナターシャの背中が扉の向こうに消えるまで見送ると、町に向かって身を向ける。
確か、上流街に住んでいるって言っていたな。
「とはいえ、これで監視の目は付けられた……か」
それはいいが、ここからグローリィ叔父さんの家を探すのは結構大変そうだ。
マーモットさん。案内人が目的地の場所を知らないのは聞いてないです。