09
「あれ。所長?」
帰り支度を整えて、事務所を出る。廊下にいたのは先に出ていたはずの桐生さんではなくて、いつぞやの高校生のような姿の所長だった。
もしかして、桐生さん。余計極まりない気を回したのではないだろうな、と。疑惑を抱いていると、所長が口を開いた。
「代わった。あいつ、右足やられてたからな」
「え……?」
「おまえが気にすることじゃない。あいつのミスだ」
「で、でも」
「仮におまえに原因があったとしても、おまえの教育係はあいつだ。おまえが犯したミスも含めて、責任はあいつだ」
そう言われてしまえば、あたしには返す言葉がない。
というか、全然、そんなふうに見えなかったのに。所長は「仮に」と言ってくれたけれど、間違いなく原因はあたしだ。思い当たる節が多すぎて黙り込んだあたしに、所長が溜息交じりに付け足してくれた。
「本当にたいしたことはない。医局に叩き込むのに苦労したくらいだ。おまえが次に出てくるころには治ってる」
「……だったらいいんですけど」
「だから気にするな」
はい、とは言いにくかったけれど、これも一つの教訓とすることにして、あたしは頷いた。
だから所長、現場にやってきた瞬間に、「この馬鹿」呼ばわりしたのかなぁ、とも疑いながら。
「そもそもとして、おまえたちふたりになにかあれば、責任は俺にある。そういう意味で言えば、あいつの怪我は俺の責任だな」
「所長」だもんなぁ、と思って、ふと桐生さんの先ほどの台詞を思い出した。紅屋を大事にしているって、つまり、こういうことでもあるのかもしれない。
「あいつは嫌がるだろうが」
「たしかに。嫌がりそうですね」
「嫌がっていればいいんだ。次からしないようになるだろう。あいつは昔から無駄に年上風を吹かせたがる」
所長がそんなふうにあたしに桐生さんのことを話すのははじめてで、もしかして、あたしの存在を少しは認めてくれたのかもしれないなと思った。
「送っていく」
話を打ち切って壁から背を離した所長を、あたしは気が付いた時には引き留めてしまっていた。
「そういえば、あの」
「なんだ?」
あたしの呼びかけに、律儀に足を止めて所長は視線を合わせてくれた。所長だなぁ、と思った。
聞きたいことはいくつもある。どうでもいいようなことも、知りたいなぁと思うようなことも。
……まぁ、これから、いくつでも聞いたらいいのだろうけど。でも。
研修生見習いから研修生になって、紅屋にいることを正式に許されて。このタイミングで最初に聞きたいことは、この一ヵ月の一番の疑問だな、とあたしは決めた。
「桐生さんと所長っておいくつなんですか」
「なんだ。気になるなら調べたらすぐにわかっただろう」
いささか唐突だったはずのそれにも、所長の声は「そんなことか」と言わんばかりだった。聞いたら答えてくれるよ、と。勝手に壁を作ったあたしに教えてくれた桐生さんの言葉を思い出しながら、眉を下げる。
「いや、それはちょっと、さすがに」
「あいつが二十七で、俺が二十五」
あっさりと告げられたそれに、あたしは内心、ほんの少し驚いた。ある程度の予想はしていたけれど、それでもやっぱり思っていた以上に若い。というか、あたしと五歳しか変わらないとか。
「ちなみに、おいくつのときにライセンスを取得されたんですか?」
「十五」
それは、なんというか本当に規格外だった。所長も育成校の出身じゃないのだなとも改めて知る。そして、この人も本当に子どもの頃から、実戦の真っただ中にいたのだな、と。
「じゃあ、十歳の頃から、もう鬼狩りの実践に出ていたんですか」
それは、あたしの日常が崩されたのと同じ年だった。
「珍しい話じゃない。特に俺や桐生のような、古い家の出身者には。最近は、育成校に行かせる親もそれなりに多いが、自分の家の術式に拘るところもやはり多いからな」
「所長もお家で学んだんですか」
「いや、……俺は、紅屋で育ててもらった」
御三家の「天野」なのに? との疑問をあたしは寸で呑み込んだ。聞いてはいけないこと、というものは、間違いなく存在する。答えてくれるから、あたしが知りたいから、で、よしとしてはいけないものが。
だから「そうなんですね」と、応じるに留める。桐生さんの言っていた紅屋の先代。所長の叔父だという人が所長を育て上げたのだとしたら、それは十分に所長が紅屋を大切に思う理由になると思う。
どんな人なんだろう、と。あたしは自然と想像を張り巡らせた。後を譲ったということは、もう現役を引退されているのかもしれないけれど。いつか逢えたらいいな。そんなことを考えていると、所長の口から懐かしい名前が飛び出した。




