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紅屋のドアの前で所長たちと別れ、あたしはひとりでドアを開けた。はじめて実戦で使用したライセンスをかざして開錠。電気を付ける。誰もいない事務所をぐるりと見渡して、自席まで歩く。時計の音だけが静かに響く室内で、あたしは込み上げそうになる感情を必死で飲み下した。
椅子に座った瞬間、呑み込み切れなかった溜息が零れて、頭を振る。
――そうだ、月報。これも仕上げちゃわないといけないんだよね。
敢えて違うことを考えてみたけれど、意味のない抵抗だったかもしれない。そんなふうに自嘲気味にパソコンを立ち上げた瞬間だった。開かないと思っていたドアが開いたのは。
「お疲れ、フジコちゃん。初出動が終わったにしては、浮かん顔やね」
「桐生さん……」
慌てて顔を取り繕って立ち上がる。
「お疲れ様です。あの、今日って、まだ、お仕事……?」
「そんなこと言うて。フジコちゃんもまだ残ってるやん」
座り、座り、と笑顔で促がされて、あたしはぎこちなく腰を下ろした。
「あたしは、その、なんというか」
「どうしたん。反省会中やった?」
そこでその優しい声は反則じゃないだろうか。笑おうとして失敗して、ぎゅっと拳を握り込む。
「フジコちゃん?」
大丈夫です。ただちょっと疲れちゃいました。ご迷惑をおかけしてすみません。今日は本当に良い勉強に、――。
言うべきはずだった言葉の代わりに、甘えが零れ落ちる。駄目だ、こんなことでは。もうひとりのあたしは確かに言っているのに、止められなかった。
「桐生さんがいなかったら、なにもできなかったです。あたしがしたことの全部が裏目に出て、リュウくんも怖い目に合わせて」
「ついでに下手したら、僕もフジコちゃんも死んでたかもしれんし?」
その言葉にあたしは声を失った。
桐生さんの声は変わらず優しい。なのに、言っていることはひどく恐ろしい。けれど、それは、本当にそうなったかもしれない、――あったかもしれない未来なのだ。
「っ、……」
あたしの良かれと思った選択が、誰かを殺したかもしれない。奪ったかもしれない。今ここに、みんな無事でいなかったかもしれない。
それは、間違いようもなく恐怖だった。
「あのね、フジコちゃん」
あたしの顔色は、きっと酷いものだったと思う。桐生さんの声音が仕方ないというように和らぐ。
「はい」
「自分の行動を省みるのは大事なことやけどね。僕が最初に止めてたらよかっただけのことでもあって。それで、それをせんかったのは、フジコちゃんには必要経験かなと思っただけ。そして、僕がフォローできると判断しただけ」
「……でも」
「だから、まぁ、さっきのは言い過ぎました。ごめんね。フジコちゃんがどんな選択をしても、そのくらいで僕もフジコちゃんも死にません」
あっさりと桐生さんは言う。そんなふうに言えるようになるまでに、どのくらいの年月がかかるのだろう。どれほどの努力が要ったのだろう。あたしには想像もつかない。
「重ねて言うなら、もしそんなことにうっかりなっても、フジコちゃんの責任やなくて僕の責任やからね。まぁ、そんな蒼くんに大激怒されそうなこと死んでもせんけど」
矛盾だらけの台詞の最後に、桐生さんは小さく肩を竦めた。
「僕とペアじゃなかったとしても、大抵の鬼狩りはフジコちゃんがあの無謀な行動を取ろうとする前で止めます。フジコちゃんも、止められてまで自分の考えを強行するほど馬鹿じゃないやろう? そうであれば、フジコちゃんもその鬼狩りも死にません。あの小さい子が救われたかどうかは、また別問題になるけどね」
「でも、あたしは……」
生きてさえいれば、なんとでもなるだなんて。独善でリュウくんを連れ出しただけだ。
「その答えは、フジコちゃんが出す必要はないよ、きっと。本人がどう思うか、というところやしね。救われたの救われなかったの、なんて言うのは。何年か経ってからようやくわかることもあるやろうし」
生きてさえいれば。あたしがそう思えるようになったのは、何年経ってからだっただろう。当初は一緒に死んでしまいたかったと思っていた。
それでも、あたしは、感謝している。自分の命があったことに。もし、もし、叶うならば。
罪を償った父親とリュウくんがまた逢える日まで、支えていきたいと思う。あたしの勝手にならないように、ちゃんとリュウくんと話をして。すべてはそこから、ではあるけれど。




