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 あたしは、――もう、ひとりは、いやだ。

 誰も死んでほしくない。

 ひとり残されることは、もう嫌だ。それが、誰であろうと。あんな寂しい思いも、怖い思いもしてほしくない。生きて、ほしい。

 あたしが殺さなかったら、やらなかったら、死んじゃう。桐生さんも死んじゃう。


「止まりなさい、ハヤギ・リュウト」


 トン、と音を立てて、鬼が足を踏み出そうとしていた位置に矢羽が突き刺さる。

 踏み出しかけた足を反転させた鬼の紅い瞳と視線が絡んだ。


「特殊防衛官への反抗は、刑罰が加算されますよ」

「意味のない脅しだな。逃げ切ればいいだけの話だ」


 鬼の瞳がゆっくりと細められていく。まるで捕食者だ。けれど、負けるわけにも怯むわけにもいかない。鬼が人間を捕食する側だとすれば、鬼狩りも同じく捕食者でなければならない。

 そうでなければ、規律は確保されない。対等でなければ。

 だから、もう声は震えなかった。


「あなたをここから逃すことはしません。あなたはここで確保されます」


 新たな矢を装填して、鬼を見据える。この武器に強大な殺傷力はない。けれど、頭を撃ち抜けば多少の足止めにはなるかもしれない。

 鬼の腕の中では、変わらずリュウくんが気を失ったまま抱かれている。


 ――ごめんね。


 ごめんね、リュウくん。


「その子を思う気持ちがあるのなら、ここで投降してください」


 そうすれば、量刑は軽くなる。もしここであたしが取り逃がしたら、そしてまた過ちを犯したら。リュウくんは死ぬまで父親と会えなくなるかもしれない。この鬼も生きて罪を償うことができなくなるかもしれない。


「投降してください、リュウくんのために」

「笑わせる」


 言葉通りの嘲笑が混ざった声で鬼が吐き捨てた。


「こんなにも幼い子どもから、たったひとりの親を奪おうとしているのは、おまえではないか」


 同情を買うように、男の指先がリュウくんの頬を撫ぜる。なんでだ、とほんの少し悲しくなった。たとえ、今の仕草が演技だとしても。この場所にリュウくんと一緒に住んでいたのは本当だ。リュウくんの面倒を看ていたのも本当だ。毎晩、この子が寝付くまでここにいたのも、可愛がっていたのも、きっと本当だ。なのに、なんでその手で、被害者を襲わなければならなかったのだ、と。


「あなたは、何人もの人間の女性を襲った。その罪を償わなければいけません。けれど、今なら間に合います。償ったその後で、リュウくんと逢えます。迎えに行けます」


 鬼は鼻で笑って、一歩前に出た。「馬鹿馬鹿しい」


「きれいごとだらけだな、おまえの言う鬼狩りの理論は」


 あたしが「憧れているのだ」と告げた折の所長の顔がふと脳裏を過った。きっとあたしの言うことは全部、「そう」なのだ。それでも。――それでも。


「生きてさえいれば、なんだってできますよ、鬼であれ、人であれ!」


 命さえあれば。未来はつくることができるのだから。あたしが今、こうして立っているように。

 叫んだ刹那、今までの比でない威圧感が正面から襲った。風圧で前髪が舞い上がって、眉尻に残る傷跡があらわになる。あの日、鬼に付けられた――。

 風が熱い。視界が白い。鬼がいたはずの方向にクロスボウは向いている。でも、でも。動いていたら。リュウくんに当たったら? 躊躇が勝った指先は動かない。


 ――あたし、もしかして、死ぬ……?


 ぞっとした感覚が身体を走り抜けていく。けれど覚悟した衝撃はこない。代わりに、頭上で大きな爆発音がした。パラパラとなにかが落ちてくる。粉塵。鬼が放った炎が、たぶん天井に当たった。


「桐生、さん」


 煙の中、あたしは確かに首が飛ぶのを見た。首が飛んで、だから炎は逸れたのだ。


「桐生さん」


 半ば呆然とあたしは呟いた。開けた視界の先に立っていたのは、最後に見たときとなんら変わらない桐生さんの姿で。


「ご、ご無事で……」


 許容量を超えた脳みそが絞り出した台詞は、なんだか時代劇の町民Aの様相だった。笑おうとして失敗した。笑えない。とてもじゃないけれど、笑えない。無事でよかった。それは本当によかった。がくがくと今更になって膝が笑う。もう、いないのに。鬼は。

 もう、――死んでしまったのに。


「もしかして、フジコちゃん。本気で僕があれくらいでやられると思ってたん?」


 可愛いなぁ、といつもと変わらない調子で続けた桐生さんが歩み寄ってくる。当然のごとく、その足取りにも佇まいにも異常はない。全くのいつも通り。


 ――鬼狩りだから? だから、「いつも」なの?


 これはよくあることなのだろうか。頭の冴えた一部分でなにかが延々と叫んでいる。

 けれど、それとは反対に、重力に負けてあたしは崩れ落ちていた。コンクリートの冷たい感触が脚から伝わってくる。立ち上がれないでいるあたしの頭を、まるで小さい子どもにするように、桐生さんの手がぽんぽんと叩く。いつもと同じ温度。――生きている。

 じんわりと戻ってきた思考で、あたしは問いかけた。


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