09
「そう、そう。あんな童顔やけどね。鬼狩りの暦だけで言えば、立派な中堅で。おまけにねぇ、嫌なところばっかり見て来てしもたものやから」
嫌なところ。その言葉に脳裏を過ったのは、あの夜の所長の言葉だった。
――俺が殺さなければ、俺ではないほかの誰かが死ぬ。
だから、怖いと思う暇さえ惜しい、と。気負いなく言った所長の言葉は、どんな経験で出てきたものなのだろう。今までの「鬼狩り」としての生き方の中で。
真似をする必要はない、と所長は言った。できるわけがないと思ったし、止めろと言ったという桐生さんはわかりやすく優しくて、わかりやすく所長を大事にしている。
それは、桐生さんいわくの「弟分」だからでもあるだろうし、情けないあたしの過去を否定しないような、そんな所長だから、なのだろうけど。
――でも、今日は、違った。
あたしは知らず、指先に視線を落としていた。そして、それもそうなのだけれど、もうひとつ。
「悪い子じゃないんやけどね」
「わかって、ます」
悪い人ではないということくらいは、きっと。でも、たぶん、だからこそ、だ。
「フジコちゃん?」
桐生さんの反応に、自分が笑い損ねたらしいことを知る。
「えぇと、その、なんというか」
「ん? なに? ええよ、どんなことでも」
聞くくらいやったらね、と。促がしてくれる声に、あたしの口からぽろりとなにかが零れ落ちた。
「怒ってはおられなくても、その、あたしに呆れていらっしゃったんじゃないかなぁ、と」
「蒼くんが?」
なんで? と言わんばかりの声に、あたしははたと我に返った。
……あたし、今、なんて言った?
「す、すみません……! えぇと、そうじゃなくて、そうじゃなくて、ですね」
顔から火が出そうだ。あまりにも子ども染みていたそれを誤魔化そうと、しどろもどろになったあたしに、桐生さんが笑う。
「なんや、フジコちゃん。それが怖かったの?」
「いや、その、……怖い、というか。……はい」
観念して頷いたあたしに、桐生さんは「素直やねぇ」とまた笑った。まるで子ども扱いだ。ついでに言えば、子どものようなことを言った自覚があるだけに居た堪れなさが倍増しだ。
職場で嫌われるのが怖いとか、子どもか。そうは思うけど。わかっているけれど、そりゃ、上司に嫌われたくないと思うのは節理じゃないかな、なんて言い訳も内心でしながら。
「フジコちゃんが蒼くんをどう思ってるのかはわからんけど。さすがにそれくらいで怒りも呆れもせぇへんよ。何歳も年下の女の子相手に」
「……すみません」
「まぁ、僕が思うっていうだけの話やけど。そうやなかったとしても、挽回したらえぇだけの話やし」
あっけらかんと続いたそれに、あたしは肩をすぼめるしかなかった。
「それはそうですよね」
「そうそう。子どもやあるまいし、嫌われたら終わりってことも、仕事ができんってこともないやろう?」
駄目押しに、あたしは先ほどの発言が本気で恥ずかしくなってしまった。
でも、本当にそういうことだった。ここは職場で、所長は上司で、だから、あたしがするべきことは、仕事でちゃんと信頼を勝ち取ることだ。
憧れていた、鬼狩りの仕事で。
その「憧れて」いたという理由が、所長からすれば信じられないようなものだったとしても。
結果を残せば、見方を変えてくれるかもしれない。
「頑張ります」
笑ってみせたあたしに、桐生さんはよくできましたと言わんばかりの笑顔で立ち上がった。そう言えば、桐生さんも今日は外に出る日だった……。
引き留めてしまったことを謝ったあたしに、桐生さんは全然気にしていないふうだったけれど。先に行った所長は果たして苛立ってはいないだろうか。
「僕らは申し訳ないけど、今日はその後も続きで別件の仕事があるから戻ってきぃひんから」
「あ、はい。お疲れ様です」
「明日はまた元気においで」
学校の先生のようなそれに、無理をしないでも自然に笑っていた。やっぱり、桐生さんはいい人だ。気遣いのある優しい人。
「それと、これ。数字、全然違うから。直しといてね。蒼くんに所長印を貰う以前の問題です」
「え、ええ!?」
いい人、とあたしが羨望のまなざしで見上げていた笑顔のまま、桐生さんがどさりと書類を降らせてきた。
これは、あれだ。来月の頭が締切りの本部に提出する、月報……。
「や、やっとできたと思ったのに……」
「一応、違うところには付箋つけといたから。もう一回、ちゃんと資料と突き合わせてみて。あ、でも、それで残業はせんでえぇからね。蒼くんに怒られるし」
そんな殺生な。と思わなくもないけれど、あたしの三倍近いだろう事務処理をされているおふたりからすれば、このくらいはきっと就業中に終わる範囲内なんだ。そうに違いない。
言い聞かせて、あたしは頑張ります、ともう一度、宣言した。
五時までに何が何でも終わらせようと、心に決めて。
ひとりになった事務所で、渡辺さんから頂いた術具が鈍い光を放っている。気にかけて頂けるのは、本当に有難いことだ。縁をそっと一撫ぜして、クロスボウを携帯しているリュックの内ポケットに仕舞い込む。ここなら、忘れることはない。
みっともない行動を取ることなく、任務を遂行できますように、と願いながら。あたしはキャビネットから資料を引っ張り出した。




