07
「えぇと、その、あたし、小さい頃に、鬼狩りの人に助けてもらったことがあるんですけど。そのときの鬼狩りの人の姿に憧れて」
ぼかした表現にはなってしまったけれど、嘘は言っていない。十歳の春、あたしの人生は大きく変わって、夢も変わった。
「それで、頑張って、育成校に入ったんです。あたしもいつか、誰かを助けることができる立派な鬼狩りになれたらな、と思って」
育成校を受験するときが、人生で一番、勉強を死ぬ気で頑張った期間かもしれないなぁ、なんて。ちょっと懐かしく思いながら、答える。
ほんの少しだったとしても、鬼狩りとしての素質があって良かった。どれだけ筆記の成績が優秀でも、面接や実技で素質がないと判断されると落とされてしまうのが受験の実情。おまけに、合格者の八割は、鬼狩りの家に生まれてきた子どもたちなのだ。そういう意味でも、あたしは自分が受かったのは、努力は勿論したけれど、それが報われたことも含めて、奇跡のような幸運だったと思っている。
「ほう、そうか」
じっとあたしを見つめていた渡辺さんが、どこか困ったふうに頭を掻いた。
「憧れ、ねぇ」
変なことでも言っただろうか、と。首を傾げたあたしに、渡辺さんが言おうとしたなにかを遮って、我関せずだったはずの所長の声が響いた。
「じいさん。もう三十分過ぎてるぞ。いつまで油を売ってる気だ」
「す、すみません!」
反射のように謝って、時計を確認。いつのまにやら、時刻は九時を十分以上過ぎていた。
時間管理の不出来を嘆くあたしの肩をぽんぽんと叩いて、渡辺さんが立ち上がる。
「おー、怖い、怖い。ここの上司はおっかないねぇ」
「あ、いえ。その、あたしが……」
「また遊びにおいで、ラッキーちゃん」
「あ、あの」
さりげない温かさは、やっぱり近所の大好きなおじさんみたいで。
「ありがとうございました」
頂いたもののお礼をもう一度告げたあたしに、渡辺さんはにかりと笑顔で応じてくれた。きっと、これもあたしを後押ししてくれるお守りのひとつになるはずだ。ライセンスや記章のように。
そうだ。そうして、怖くないものを積み上げていけばいい。
「ナベさんも早う店を開けてあげんと。お客さんに怒られるよ」
「緊急だったら、ここまで探しに来るさ」
「まぁ、それはそうやろうけど」
それはそうだろうけど、できればお店にいてあげたほうがいいのではないかなぁと思わなくもない。桐生さんが言っても聞かないのなら、あたしが言ったところで意味はないだろうが。
「おまえさんも、たまにはわしにも武器を整備させてくれ」
ドアを開けて出ていく寸前、渡辺さんは所長に向かってそう言った。そういえば、所長の武器って、トンファーだったっけ。直接見たことはないけれど。
なにを隠そう、あの桐生さんとの問答のあと、もう一度、所長の任務報告書を見直したのだ。ライセンス名簿を見れば一発(ついでに年齢の謎も解けるのだろうけれど)ではあるのだけれど、それは反則のような気がしてやっていない。
――みっちゃんに言わせると、これもあたしの頭が固いってことなんだろうけど。
つい先日のことだ。会話の流れで、件の憧れの鬼狩りに逢いたくないのか、と問われた時のあたしの反応に、合理主義な才女は呆れ顔を隠さなかった。
「俺は……」
「ひとりでできるのは知っているが、わしもたまには懐かしみたい、それだけだ」
言いたかっただけなのか、所長の返答を待たず、渡辺さんは出ていった。階段を下る足音が徐々に遠くなっていく。あたしも仕事にとりかからないと、と。一息吐いてパソコンのロックを解除したところで、不意にまた所長の声がした。
「今のウチは、たまたまおまえを連れていけるような任務が入っていなくてな」
「……あ、はい!」
数瞬遅れて、あたしに話しかけられているのだと気が付いて、慌てて立ち上がる。てっきり、桐生さんにだと思っていた。所長は基本的に就業中に必要なこと以外は口にしないし、その矛先が向くのは、当たり前ではあるけれど、九割方、桐生さんに、だ。
所長の机の前に向かう。
「それもあくまで、そうだったからなだけだ。次にランクBの任務が入れば、桐生に聞いていると思うが、おまえも出ることになる」
「はい」
「問題は、ないんだな?」
顔を上げた所長と目が合って、あたしは勢いだけで答えようとしていた声を一度呑み込んだ。
あたしの感情だけで返事をするのは不誠実だと思った。あの夜の、所長に。
「はい」
実物を目の前にして、怖くないとはきっと思わない。出立前、感情が揺れることもあるとは思う。それも認める。けれど、任務は任務として、研修生として最低限の働きはできるはずだと自負している。
そのために学校を卒業して、ここにいるのだから。
もちろん、早いうちに、内在する恐怖にも正面から打ち勝ちたいとも思ってはいるのだけれど。




