06
「えー、だって、仕方ないやん。ナベさんに頼んだら、経費で落とせるんやから」
「経費」
思わず呟いたあたしに、桐生さんは「僕ら、一応、公務員やからねぇ」と応じて、所長に釘を刺した。
「というか、そもそもとして、蒼くんが壊さんかったらいいだけの話やからね、これ」
「それで。今日は何の用だ」
分が悪いと判断したのか、所長が話を元に戻した。今までに一体、どのくらいの数の備品を壊しているのだろうか、と。一瞬、そんな疑問が浮かんだけれど、深くは考えないことにする。
「このあいだみたく、じいさんの茶飲み話に突き合わせるなら、三十分以下にしろ。就業中だ」
三十分は認めてあげるんだぁ、と思ったのはあたしだけではなかったらしい。ご機嫌に目元を緩めた渡辺さんが、紅屋に入って来た。あたしもそっとドアを閉じる。
自席に戻る手前。桐生さんが所長の死角で笑いを噛み殺しているところを見てしまったわけだが、賢明なあたしは気が付かなかったことにした。
「実は今日はちゃんと用があったのよ」
「用が? 所長にですか? それとも桐生さん?」
空席になっているあたしの隣に、我が物顔で腰を下ろした渡辺さんは、ずい、と風呂敷包みを差し出してきた。
「いやいや、ラッキーちゃんに」
「あたしにですか?」
「そうよ、これよ」
期待に満ちた渡辺さんの瞳に押されるようにして、机の上で風呂敷を解く。出てきたのは、鈍色の手錠だった。
「これ……」
「ラッキーちゃんもそろそろ出動があってもおかしくないだろう? だから、それよ」
顔を上げたあたしに、渡辺さんの顔にいつもの悪役でございと言った笑みが浮かぶ。出動――鬼狩りの任務の中でも、ある意味で一番の花形とされる――とは、鬼の確保にほかならない。その際に使用する術具の一つだ。それを付けることで、鬼の強靭な力を抑えるもの。
「あぁ、よかったやん。フジコちゃん。本部からの支給品もあるけど、ナベさんが作ったヤツはやっぱり違うで」
「そうなんですか?」
「支給品のヤツ、たまに壊れることがあるんよね。僕、昔、B+にかけたとき、壊されたもん。それ以来、支給品は信用しないことにしました。ナベさんが一番。ねぇ、ナベさん」
「煽ててもなにも出んぞ、桃弥」
豪快な渡辺さんの笑い声を聞きながら、あたしは手の中の術具を重く感じてしまっている自分を自覚した。
向き合っていかなければならない。決めたはずの最終期限が一気に目前に迫ってきたような、そんな気分。
――って、そもそも最終期限は、研修生になった時点で過ぎてるんだから。なにを今更、ビビってるんだ、あたしは。
「フジコちゃん?」
「あ、すみません!」
前からかけられた桐生さんの声に、あたしははっと笑顔を作った。
「嬉しくて、つい。じっくり堪能しちゃってました。ありがとうございます、渡辺さん」
「いやいや。あんたみたいに元気な可愛い子がここに来てくれて、わしも嬉しくてなぁ」
余生の楽しみができたと、突っ込みづらいことを渡辺さんが続ける。愛想笑いを繰り返したあたしを他所に、桐生さんは「ほんまに孫とじいさんみたいになってるで、それ」と言い放つと仕事に戻ってしまった。紙を繰る音がする。
「初出動、楽しみだろう?」
「そう、ですねぇ」
あはは、とあたしは笑った。風呂敷から手錠をそっと除けて、布地を畳む。藍色のそれは、渡辺さんが愛用しているものだ。
「渡辺さんに頂いたこれ、ちゃんと持っていきますね」
たぶん、いつも通りに笑えていたと思う……のだけれど。あたしから風呂敷を受け取った渡辺さんは、微かに眉を寄せた。そして、
「ラッキーちゃんは、なんで『鬼狩り』なんかになりたかったんだい?」
「え、ええと」
今まで数多の鬼狩りを見てきたであろう渡辺さんに、「なんか」と言われてしまって、あたしは言葉に迷った。
「坊主どもと違って、ラッキーちゃんは、鬼狩りの家の出でもないだろう?」
所長と桐生さんをふたり纏めて坊主呼ばわりできる人も、貴重なんだろうなぁ、と思いながら、「そうですねぇ」とあたしは頭の中で理由を整理し始めた。渡辺さんいわくの坊主どもは微塵の興味も示さず、各々の仕事に眼を落としている。
――そういえば、おふたりとも、今日ももう少ししたら、外に出るんだったっけ。
特Aライセンス保持者だから、なのか。このふたりだから、なのか。あたしには判別も付けられないけれど、鬼の確保といった外の仕事がなくても、事務処理に、本部の呼び出しに、と。あたしひとりが定時に帰るのが申し訳ないくらいにはお忙しそうだ。
――昨日も夜、遅かったみたいだしなぁ。
少しでも手伝えるものがあればと思いはするけれど。だがしかし、あたしにできることなんて、無用な足引っ張りをしないこと、くらいしかないのが現状だろう。




