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スマートフォンのアラームが、鳴り響いている。
早く消さないと、またみっちゃんに煩いって怒られる。この部屋の一番の欠点は壁が薄いことなのだ。そう思う程度には頭は回るのだけれど、まだ覚醒には至っていない。布団に包まったまま右腕を伸ばして目当てのものを掴む。アラームを解除して、ついでに時刻を確認。……八時、ニ十分?
「あ! 仕事……!」
叫んで飛び起きて、数秒。あたしははたと我に返った。
「そうだ。今日、土曜日だった」
紅屋は土日休みの週休二日制の勤務体系だ。勿論、緊急招集が入れば土日もあったものではないし、そうでなくとも「持ち番」の当たり月は不規則な勤務体系になってしまうらしいけれど。
カーテンの隙間からは、良い天気だとわかる光が一筋入り込んでいた。すっかり覚めてしまった頭で、あたしは一度伸びをする。そして、窓辺に寄ってカーテンを引いた。予想通りの清々しい春の青だ。
食堂のカウンターで一汁三菜のしっかりとした朝食を受け取って――繰り返しになるけれど、あたしはこの研修生寮に在寮する一番のラッキーは、時間内にさえ足を運べば、美味しいごはんを食べられることだと思っている――、きょろりと周囲を見渡した。土曜日の九時近いということもあって、寮生の姿はまばらだ。そのなかで、右奥の窓際の席でひとり優雅に珈琲を飲んでいる同期の顔を見つけ、あたしはいそいそと駆け寄った。
寮にいるもうひとつのラッキーはこれだなぁ、なんて思いながら。
「あ。みっちゃん、おはよう!」
「あんたはいつでも元気ねぇ」
あたしの大盛り仕様のプレートをちらりと見て、みっちゃんは溜息交じりにソーサーにカップを戻した。朝からお疲れ気味というか、お疲れマックスのご様子だ。
「どうしたの? 昨日、遅かったりしたの?」
「むしろ、今、帰ってきたところよ。ウチの事務所、今月が持ち番で。全く、初っ端から当たるなんて運が悪いというか、なんというか」
「あー、大変だね、それは」
お疲れ様、とあたしも眉を下げる。「持ち番」というのは、緊急通報があった時に一番に駆け付ける役目を担う事務所のことだ。地区ごとに持ち回りで組まれていて、一ヶ月交代で回されているそうなのだけれど。
二十四時間いつでも出動可能な体制を取らなければならないので、今日のみっちゃんのように夜勤も発生することになる。おまけに、緊急通報の対応以外にも、街中を巡回する仕事も追加されるそうで、それはそれは忙しいことになるらしい。……桐生さんいわくのそれに、あたしは六月に回ってくる持ち番に、今から恐れおののいている。
「あたしのところはまだだけど、怒涛の忙しさらしいね」
「怒涛。まさに、そうだわ。怒涛よ、怒涛。今日はこのまま寝て過ごすの」
そのわりには珈琲を飲んでいるんだなぁ、と思ったけれど、余計なことは言わないことにする。お疲れのみっちゃんの沸点はいつもの二割増しで低くなるのだ。
もくもくと焼き鮭の身を解していると、みっちゃんがおもむろに会話を再開した。
「あんたのところは小規模事務所だから、どこかと抱き合わせになるのよね、確か」
「そう、そう。と言っても、特Aの事務所は回ってくる回数が少ないらしいんだけどね」
三人きりの事務所で(おまけにあたしはほぼ戦力外なので実質ふたりだ)、持ち番を一月もできるわけがない。ということで、同じような条件の小規模事務所と合同で持ち番に当たるのが通例だそうだけれど、桐生さんいわく「それはそれで気を遣うから面倒くさい」らしい。
とどのつまり良くも悪くも、あのふたりに釣り合う事務所はほとんどないのだとあたしは理解した。実際のところ、ウチよりもお相手の方が気を遣っているのではないかなぁと思ってしまったことは内緒だ。
「いいわね、と言いたいところだけど。その分、重大緊急案件が発生したら、持ち番であろうがなかろうが声がかかるものね。特Aは」
「はは。うん、まぁ、……そんなことが起こらなければいいなぁとは思うんだけど」
特Aにお声がかかるような緊急案件とか。想像するだけで恐ろしい。愛想笑いを浮かべて、あたしはごはんを口に放り込んだ。
「そういえば。このあいだ、恭子先生、様子を見に来てくれていたのよ」
「え、嘘! いつ、いつ。逢いたかったなぁ」
「あの日よ。あんたが遅くなって、こともあろうか所長様に送ってもらって帰ってきた日よ」
勢い込んだあたしに、みっちゃんが冷たく言い放った。あ、これ、絶対、根に持ってる。確信して、あたしはえへらと微笑んだ。
「大丈夫だって。みっちゃん。あの、そのときも言ったと思うけど、所長、そんなくだらないことで怒ったりしない……と、思うよ?」
「……あんたにわかるわけがないわ。あの瞬間のあたしの絶望を」
みっちゃんの恨み節に、あたしは耐え切れなくなって、ついと視線を逸らしてしまった。
……いや、でも、あれって、あたしが悪いのかなぁ。




