東京異世界ロープウェイ 5
この公園には、良く見ると数名のホームレスがいる。その人達は、全て生まれた時からホームレスだったわけではない。それぞれ何らかの訳あって今の状態になっている。ホームレスの居る場所も同じ東京でも公園であったり、地下街であったりと様々である。寒く無いところ、暑く無い所、雨露が凌げるところ、食事が手に入りやすいところ、空缶が多く拾えるところなど、自分の住みやすいところに長期間居るようである。
私も、この公園でホームレスとなって半年が過ぎた。最初はすぐに働いて住むアパートを見つけ新しい生活を始めるつもりだった。しかし住むところを持たない者は、やはり安定した職にも就けず、毎日を日雇いバイトで繋ぎ、食べることにも事欠く生活になった。そうなるとなかなかその生活から抜け出すことはできなかった。そんなある日、独りの七十歳くらいの目じりに親指大の黒いほくろのある老人が、私が居る公園へ段ボールを抱えやって来た。彼は、ホームレスをもう十年ほどやっているとのことで、ここに来る前は、同じ東京でも東部にある公園に住んでいたらしく、そこが都市開発で新しくなるため閉鎖になりここに移って来たとのことだった。
「この隣に寝床を作って良いかい」老人は私に申しわけ無さそうにそう言った。
「いいですよ、だってここは私の家じゃないので・・・・・・」
「そんなふうに言ってくれると何か嬉しいよ」老人はそう言ってお近づきのしるしにと、私に弁当をくれた。
「こんなに高い弁当頂けないです」私はそう言って弁当を受け取らなかった。すると老人は、
「何も遠慮することはないよ、別に盗んだ物でもないし、これはある弁当屋の廃棄分で外に捨ててあった物だから」
「え、こんな新しい物が捨てられているんですか?」
「そうもったいないもんよ、捨てるんなら作らなければいいのにな、しかしそうなると、俺たちも困るし」それから私はその弁当を有り難く頂戴し老人と二人で食べた。 食べながら私が老人に名前を聞くと、
「吾輩はホームレスである。ホームレスに名前なんかいらんだろう」とそう言って、しばらくして
「徳って呼んでくれたらいいよ」と言った。私は年配の人にそんなに気安く呼べず
「呼び捨てするのも何だから徳さんって呼んでもいいですか?」
「いいよ、それでいい、ところでおたくは、何て名前で呼んだらいいかな」
「私は、哲也と呼んでもらえば・・・・・・」
「それじゃー 哲ちゃんと呼ばせてもらうよ」
徳さんと私はそういってすぐに仲良くなり、それからいつもこの公園で一緒に暮らすようになった。路上生活者にとって同じ仲間がいることは、心強く感じる。何せ病気で失業して以来東京には知り合いも無く、前の職場の人との付き合いも失っなってたので、ここ半年ろくに人と話もしていなかったからだ。
ある日の事である。公園にある池の中を覗いて見ると、ガマガエルがたくさん泳いでいるのが見えた。こんなところにガマガエルとは、私は田舎ではなく大都会東京でこんなに多くのカエルがいるとは驚きだった。しばらく、水面を見ているとカエル同士が交尾を行っていた。するとそこへ徳さんが現れ、
「ガマガエルの雄は大変やねこんな雌より小さな体して雌の上に乗っかり交尾している」そう言いながらじっと徳さんはカエルを見ている。
「この大きいカエル体に乗っかってる小さいのが雄なんですか?」
「そう雄が雌より小さいのよ、この時期はカエルにとって恋の季節、子孫を残すため必死なんだよ」
「子孫か、俺には子孫はいないしね」
「哲ちゃん子供いないのかい?」
「だって俺、結婚してないから、徳さんこそ、子供いるんでしょう」徳さんは少し黙り込み小さな声で語り出した。
「子供はいるよ、この東京にね、しかしどこにいるのかわからない」
「わからないって・・・・・・」
「俺は離婚して三十年になる。確かに結婚して子供も二人いたけど事業に失敗してね借金抱えて離婚よ」
「それは大変失礼なことを聞いてすいませんでした」
「いいよそれよりこのカエルは、しばらくすると卵を産みオタマジャクシになるんだ。もうすぐ池は賑やかになるぞ」
そう言って徳さんは、カエル達の恋の季節を池の傍から見ていた。
それから一週間程が経ち、ガマガエルの卵が何本もの細長い透明な管の中に黒い卵が連なって産み付けられ、その後小さなオタマジャクシが池に中をたくさん泳いでいるのが見えた。
ある日の事、そのオタマジャクシに足が生え、池の中から出て一斉に森に向かって進んで行くのが見える。もの凄い数のカエルの子である。カエルの子といってもまだ完全にはカエルにはなっていない。オタマジャクシにただ足が付いているだけである。そのオタマジャクシの集団は、公園の池から出て次々に迎え側の道路に向かって歩き出した。本来ならば、カエルの子供達は山や森に向かって歩いて行くのだが、都市化された公園には大きな森は近くには無い。その為、大通りを渡りこの公園から少し離れた小さな森を目指し歩いて行く。途中、鳥などに食べられる者、歩行者に踏みつけられる者、車に引かれる者など、この近辺はカエルの子供にとってはまさに生存競争である。池から上がる人間にとっては低く感じる一メートル程の崖も、カエルの子にとっては、まるで断崖のようである。力尽きて仰向けになり干からびて死んでいる者もいる。それを車が次々に踏んで行く。
徳さんはその姿を見て、
「いくらなんでも可哀想で見てられない」と僅か三センチ程のカエルの子供を古いポリバケツの中に入れている。
「徳さんいったい拾ってどうするんですか?」と私は徳さんに聞いた。
「本当はこんな事するのは自然の法則に反しているのだけれど、せっかく生まれて来た命を、山に向かいたいと言っているのにこのままここで死なすのはやるせない、まるで俺らを見ているようでね」そう言って徳さんは、カエルの子でいっぱいのバケツを持ち近くの公園の森へ向かって行った。
そんな優しい徳さんとの公園暮らしは、ホームレスとして独りぼっちだった私の心を寂しさから和ませ、あらゆる生活の不安を二人で考え助け合う家族のような存在になっていた。それは、この公園に強い雨が降れば、徳さんの案内で濡れない場所に一緒に移ったり、仕事が無ければ二人で空き缶回収もした。徳さんも高齢なので、なかなか日雇いの仕事も見つからず、私が日雇いでもらった日給を使い弁当を買いに行ったこともあった。それでも雨が続き私も日雇いの仕事が無いと、二人でスーパーや公園のゴミ箱を漁った。夜の繁華街を回ると、無造作にゴミ袋に捨てられた多量の残飯が、飲食店やスーパーのゴミ箱に捨てられていた。それを見て決まって徳さんはこう言った。
「こんな手も付けられていない弁当もあるし、売れなかった惣菜もある。いったいどうなっているんだ。みんなこんなにたくさん捨てるぐらいなら最初から多く作らなければいいのにもったいない。ここには、こんなにたくさんあるのに、何で俺たちの前には無いんだ」そんな徳さんの悔しい思いは、ひしひしと私の心に届いていた。
日曜日のある日、朝起きてトイレに行くと、いつも朝から手洗い場で顔を洗っている徳さんの姿がない。何処に行ったのだろうと、周りを見渡すがいない。きっとまた食べ物の調達でも行ったのかと思い、独り日曜日だが、日雇いの仕事へ出かける。しかし、その日の夕方私が公園へ戻って来ても、公園のいつもの場所に徳さんは居なかった。私は心配し、公園の近辺を探した。すると、高速道路のガード下で寝転がっている徳さんを発見した。
「徳さん、徳さん、こんなところに居たんだね、心配したよ徳さん」すると徳さんは、私を見て「何をそんなに慌てているんだい、俺はいつも日曜日は、ここに来るんだよ」
「何で、こんな車の騒音と排気ガスの多いところ居なくても、公園の方が良いんじゃないの?」私のその言葉に徳さんは
「俺は、公園の日曜日が嫌いなんだ」
「何で、嫌いなの?」
「日曜日は、家族連れが多くってね、つい自分の家族のことを思い出して辛いんだよ」
「徳さんも家族に会いたいでしょう?」
「そんなこと言ったって、今こんな明日の生活もわからない状態で会えるか?」徳さんは寂しそうな顔をしてそう言った。そして、その後更に私に向かってこう問いかけた。
「哲ちゃん、哲ちゃん、たとえどんな状態になっても、悲しくても、辛くても、生きていかなければならないんだよ。人間希望があるから生きていけるんだ。俺もきっといつかこの生活から抜け出して、家族に会うつもりだ。哲ちゃんも、がんばれよ」徳さんは、日曜日の昼間は公園から離れて、ここにいるのは、そんな寂しい思いからだと私に打ちあけてくれた。