東京異世界ロープウェイ 4
東京でのサラリーマン生活が始まった。仕事は取引先を周り商談をまとめたり、イベントの企画などに携わる営業マンだった。仕事は楽しかった。商談をまとめれば賃金も上がった。都会での生活、そこには日本でも最先端の文化や暮らしがあった。
上京して初めて住んだ街は、東京でも外れにあった。そこは故郷のように緑も多くあり、街は何処か田舎を思わせるようだった。都心まで電車で一時間という距離でありながら、まだ田んぼや畑が残っており、田舎でもなかった舗装されていない道路があったりと、ここが本当に東京なのかと思わせるような街の佇まいだった。駅前には、人情味のある商店街があり、そこでは町民同士が触れ合う盆踊りが行なわれたりして地域の人どうしの交流も盛んで、自然に触れ合う豊かな公園もあり、たとえ九州の田舎から離れていても寂しくもなく、人間何処へいても住めば都だと思うようになっていた。そんな生活環境に住んでいたので、その時の私は金銭感覚もそれなりにあった。
しかし、数年経ち都心のマンションに移ってからというもの、朝も夜もなく動いている街でお金もでき、勝手に自分は東京で成功した人間なんだから、それなりの生活をするのが当然との如く、欲しい物は本当に今必要なのかと考えることもなく、自分の懐に入って来たお金は持っているだけ衝動買いするようになった。そんな贅沢三昧の生活は例えば、用もなくホテルへひとり一杯千円もするコーヒーを飲みに行ったり、目的もなく高いタクシー代を使って都内を散策したりと、欲望の赴くままに生活は派手になり、お金の有り難さすらわからなくなっていた。
そんな生活を送っていると、上京時、あんなに気になっていた路上生活者への気遣いも皆無となり、出勤途中にブルーシートで段ボールを覆い、寒さで身を震るわせているホームレスの人々を見ても、その人達に視線を向けることもなく、また恥ずかしさから目を背けることもなく、ただその光景は大都市の一風景なんだとの感覚が自分の脳裏に叩きこまれ、その人達が毎日そこに見えて居るのに、自分の心の中ではホームレスの人達がまるでそこにはいない、見えない存在となっていた。しかし、そんな私の人生の中でバブルのような時代は、いつまでも続かなかった。
それから五年もすると景気が悪くなり、私の営業成績も下降線を辿った。そしてついに会社までもが倒産してしまった。その時私はこんな大きな会社が倒産するわけが無いと思った。しかし、会社から解雇通知をもらい改めてそれが現実なんだと解った。
その後の勤務先は、面接に行っても大手企業に務めていたプライドから、その他の仕事に馴染めず、何処へ行っても正規職員として勤務することはできなかった。それからの私は、毎日がお金との戦いだった。あんなに高収入だった給与も、独りやっと食べれる程の給与しか貰えず、住むところも都心に拘ったせいか、木造風呂なしトイレ共同の古い傾きかかったアパートしか借りることはできなかった。フルタイムで一生懸命に働いても、銭湯代すら高すぎて毎日は無理だった。もはや食べるだけが精一杯。理容代、家賃、被服代、光熱費、人間として生きて行くために必要な全ての物が、始末しても始末しても買えなかった。
そんな時、病気でインフルエンザになった。会社は他の者に感染するからと一週間程休むよう言われた。時給制のフルタイム雇用である。たちまち生活は困窮し住宅費も滞納するようなり、結果路上生活者となった。すると会社は助けてくれるどころか、ちゃんとした住居がない人は雇わないと私を解雇した。非正規雇用になり、結婚を諦め、マイホームを諦め、車購入を諦め、賃貸の住む家さえ諦めた。ひいては社会から、生きることさえ否定されたように感じた。この街では、一度この境遇まで落ちてしまうと、まるで蟻地獄のように、なかなか一人では這い上がれない。やはり都会では金がものを言う。
ホームレスとなってからの私は、上京した時の夢どころか、この街で毎日生きて行くことすらできない貧困状態に追い込まれた。あのとき、見ていた駅のホームレスの人達も、当時は私の視界に入っていたにもかかわらず、所詮、自分とは無関係の人だと思い、すっかり都会の生活に染まり他人事のようになっていた。
それがこの街ではふとしたきっかけから今、まさかあの時私が見ていた人達と同じ立場になろうとは思っても見なかった。ホームレスとなり、地べたに座り、五歳児の視線から通行人を見ている。その視線は、地表面から近く、目の前を歩く人々の砂埃を地下街の照明が照らし出し、白く浮遊しているのが見える。この通路は、ビジネス街へと繋ぐ地下通路である。地下といっても地下街のように通路に向かって左右に商店も無く、商店の代わりに点々とホームレスが段ボールを敷き座っている。左右に商店でもあれば立ち止まる通行人もいるのだろうが、ホームレスだらけの通路では、人々の歩く速さも商店が立ち並ぶ地下街とは違い、ただでさえ歩くスピードが速い都会の人であっても、この場所だけは、車にたとえれば、通常の地下街を歩くスピードを一般道路とすれば、さながらここは、みんな高速道路なみの歩行スピードで通り過ぎて行くように見える。やはり、こんなに多くのホームレスのトンネルを抜けることは、誰であっても気が引けるのかもしれない。