東京異世界ロープウェイ 3
私は幼少の頃よりとにかく鉄道という部類の物が好きだった。それは小学生の頃だった。私は、暇があると終着駅である田舎の駅で止まっている列車を見ていた。進行方向に向かって列車が通るレールを見ていると、たとえ見えることはなくても今見えている二本のレールの先が憧れの東京に繋がっているんだという感覚が何とも言えずたまらなかった。
それからの私は、地元九州の高校を卒業すると、子供の頃から憧れだった東京に就職した。上京する時は、小学生の頃から乗りたかった寝台列車に乗車し、東京駅で下車、そこから会社のあるところまで電車を乗り継いだ。とにかく大都会東京は人が多い。駅のホームを出ると、多くの乗継線への乗客の波が合流し、私が少しでも歩行するスピードが遅くなると、たちまち人の流れが変わり左右から次々と追い越されて行く。
しばらく歩いていると、地下道の壁にもたれ掛り座っているひとりの年老いた老人男性が居た。老人の風貌は、肩まで長く伸びた白髪と顎ひげ、目は虚ろで焦点が定まっていない。身なりは、上がよれよれの紺のジャージ、下は緑色の綿ズボンである。そのズボンは、そこかしこに綻びがあり、股間の部分はチャックが壊れて開いたままだ。良く見ると、その部分だけ濡れており失禁している。私は一瞬、田舎では見ない光景に、彼に命の危険が迫っていると感じ、その時早く彼に近寄り介抱しなければ危ないと思った。しかし周りを見ると、これだけ多くの人が歩いているのに誰ひとり彼に声をかけるどころか、視線を向ける人すらいない。それを見て私はもしかしたら、この街では、この部類の人には関わってはいけない人なんだと自分勝手に判断し、彼に近寄ることもなくその場を後にした。
その後、さらに電車を乗り継ぐ為に別のホームへ向かう。長い階段を上ったホームには、既に多くの電車待ちの乗客が並んでいる。ホームは、これだけ短時間に次から次に電車が到着するのに、それに伴い同じように人も新しくホームへと湧き出て来るので、ホームで待っている人の数は少しも減らない。そこへ私が乗車する電車も既に満車状態で到着した。
数える程の降車客に続き、私も駅員に押されながら電車内へと吸い込まれる。車内は、つり革を掴むことさえできない程、もうこれ以上は乗れない状態だ。それでも駅員はまだ少しでも乗せたいのか、乗客の体を押して車内へと送り込む。車内はまるで人が狭い樽の中の漬物のように蓋をされ、もう身動きできないほど辛いのに、さらに漬物石のような大きな圧力で、電車という室内スペースの空間に人の体の水分が抜かれてしまうかのように押し込まれて行く。私は四方を乗客で挟まれ、胸を圧迫されて息をするのも辛い。それでもまだこの電車は満車ではないのか、辛うじて最後に駅員から体を押された乗客も電車の中にやっと納まり、入口のドアが閉じられた。すると、待ちくたびれたように発車のベルが鳴り、電車は少しずつ動き出す。そのとき、一人のサラリーマンらしき男性がうめき声をあげた。
「痛い、痛い、指が指が挟まっている。挟まっている」良く見ると男性の人差し指が何と入口のドアに挟まっているではないか。私はその言葉に当然、外にいる駅員が気づき電車を緊急停止するだろうと思った。しかし、電車は止まるどころかスピードを上げてホームから離れて行く。男性は何度も何度も指を引っ張りドアから指を外そうとしているが、なかなか外れない。そのうち力尽きて彼は外すのを諦め結局、次の駅までこのままの状態でいるつもりのようだ。
そのとき、私は混雑している乗客の隙間から彼の両目を見た。すると彼の目は痛みで瞼が落ち、微かに見える白目の血管も赤く充血していた。この光景を見た時、私は学生時代田舎で、ひとり高速バスに乗車し旅をしていた時のことを思い出した。
当時バスの最前列に座り、フロントガラスから車窓を眺めていると、前方を走る一台のトラックを発見した。そのトラックは出荷のためであろうか、たくさんの穴が開いたコンテナ籠を山積みしていた。その籠の中を目を凝らし良く見ると、生きたままの鶏が間隔も開けず一つの籠に何匹も重なり押しつぶされて入れられているのが見えた。そして私はその中の一匹の鶏の目を見た。するとその鶏の目は、充血し外からの風と上下からの同じ鶏の圧迫に必死で耐え忍んでいた。おそらくこの鶏も食肉となる運命だと薄々感じている様子だったが、私は最後ぐらいこんな過酷な状態で輸送しなくても、雨風よけのカバーや余裕のある鳥籠で運んでも良いのにと、そのとき思ったものだ。
まさに今の彼の目は、あのときの鶏のような苦痛と諦めの目をしている。駅員もこれだけ乗客が分刻みで押し寄せてくると、まず危険回避のため、ホームに人が溢れないよう電車内に可能な限り乗客を乗せることが仕事なんだろう。私は車内を見渡し、いったいこの乗車率はどれくらいなのだろうかと思った。人と人とが交わり合い立っていることすらままならない。これでは人では無く私もまるで出荷される家畜のような扱いである。
やはり都会では、こんな境遇でも我慢しなければ生きていけないのだろうか・・・・・・