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東京異世界ロープウェイ  作者: 福長 稔
東京異世界ロープウェイ1
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東京異世界ロープウェイ 1

大都会東京にロープウェイがあるとは知らなかった。都会を眼下に貧しい都会の生活から人間としてごく普通の生活ができる場所。その場所へ繋いでくれる一本の糸がある。それが東京異世界ロープウェイだ。

夜も深まり静かになった都会の街を、幻想的な満月の光が照らしている。朝刊を配るバイクの音が遠くで聞こえる。路上に捨てられた空き缶が時折吹く風で飛ばされ転がる音がする。こんな静寂で人気の無い街を確認したかのように、腹を空かした数匹の野犬が、そこかしこから通りへ出て食べ物を漁っている。そんな私も人間なのに空腹のあまりその犬達と同じく食べ物を求めこの場所にいる。

 犬達は、居酒屋の裏口に置いてあるカラス避けのビニールネットを噛み砕き、中にある残飯の入ったゴミ袋をしきりに引っ張り出そうとしている。しばらくすると四個ほどあったゴミ袋は、ほとんどが犬達に持ち去られ残りは一個だけになってしまった。

「だめだ、このままでは全て犬達に食べられてしまう」そう思った私は、すぐさま残りの一個を取るためうつ伏せになりネットの中へと入る。ネットの下は、既に犬達に噛み砕かれたゴミ袋の残飯汁で水浸しになっており、しだいに私の上着もその汁で汚染され冷たくなって行く。

 いままで月明りでかろうじて薄暗く見えていたゴミ袋も、満月が一時雲に隠れてしまいあたりは真っ暗で何も見えない。手探りで何とか掴んだゴミ袋は妙に重く感じる。それは野犬が私が掴んだゴミ袋を噛んだまま離さないためだ。私もこんなところで負けてなるものかと手に力が入る。だって今、そのゴミ袋を野犬に奪われると今日もまた夕食にありつけない。犬も私も生きるために必死でゴミ袋の取り合いをしている。始めは鳴くこともなくゴミを漁っていた野犬も、そのうちに興奮し

「うーうーワンワン」と大声で吠え出した。その声を聞き不審に思った居酒屋の男性店主が店から傘を振りかざし出て来た。

「この野良犬が、また来やがったな、今日は許さんぞ」

と怒鳴り声を上げる。ネットの中で傘で叩かれ隣にいた野犬がゴミ袋を放し逃げて行く。そればかりか主人は、私も犬だと思い肩や背中を何度も何度もバシッバシッと音が出るほど傘で叩き続ける。私は最初は見つかるまいと必死で痛さをこらえていたが、あまりの激痛にとうとう我慢できず叫び声を上げた。

「痛い、痛い!」

月が雲に隠れ暗くなっていた辺りは、しだいに雲が取れ満月の明りが私の体全体を照らす。

うつ伏せでビニールネットに絡まれた私は、逃げることさえできない。その姿を見て主人は私が自分と同じ人であることわかり、絡まったネットを外しながら私にこう言った。

「何だ、人間か、こんなもん盗って汚いだろう」その言葉に私は、

「すいません、すいません」とただひたすら謝り、たとえ叩かられても叩かれても、痛くても痛くても、決して放さなかった残飯の入った黒いゴミ袋を持ってその場を離れた。

 その後私は、ホームレスで居住地が公園である自宅に戻りその黒いゴミ袋を開ける。袋の中は所々に穴が空き泥が混じり食える所も僅かである。しかし私はそんなものでも何とか食えるところはないかと付いた泥を選り分け手で食べる。ほんの少し前まで野犬が漁っていた残飯を今食べている。それがたとえ空腹の為、生きる為だとはいえ、あらためて傘で叩かれ赤く腫れあがった自分の肩や腕を見ていると、そこには人としてのプライドや尊厳も無く、ただ、ただ、ここまでして、社会の中で暮らし生きていかなければならないのかと思い、情けなく、悲しく、心の底から涙が湧き出て来て止まらない。


2この冬一番の寒さで体の体温が奪われて行く。耳の奥からは、海辺で波が砂を洗うようなザーザーという音が繰り返し、繰り返し、鳴っている。その音はまさに、自分の体が命を絶やすまいと、必死に体の隅々まで血液を送る鼓動の音であり、生命持続限界のサインでもある。臥床した体で動きが鈍くなった自分の腕を、何とか体を反り、手の平を見る。


 これまでこんなにじっと、この体の一部分を見たのは初めてだ。健康でいた頃は肌色だった手の平が、血の流れが滞り紫色に変色している。立ち上がることができないほど全ての筋肉と関節が拘縮し、魚の干物のように固まり、動かせなくなっていく私が今そこにいる。もうこれ以上身体に負荷が掛かり続けると、人間という動物は、この地球上で生きる限界を超え、そこから先は死へのカウントダウンが始まる。凍死?あるいは餓死?この近代国家の日本において、人間として最低限の生活さえできれば決して遭遇することが無い現実が間近かに迫り、ただ今はその立場をひとり受け入れ耐えることしかすべがない。路上の隅から段ボールを纏い、体を震わせ、上目遣いで見る光景は、沢山の群集が物言わず前を向いて歩く姿。青年、中年、高齢いろんな人間が働らくため、この街で生きる為に会社に向かっている。


 私もほんの少し前までは、同じ人間としてここを歩いていた。しかし今となっては心も体もすっかり疲れ果て、それでも、かろうじて残っていた人間の尊厳すら動物として生きるために剥ぎ取られ、日々ここで時を刻んでいる。この人達はいったい、今何を考え歩いているのだろう?果たしてこれからも、私があの時感じていたように、自らの安泰の人生が続くとでも思っているのだろうか・・・・・・


 全て今を生きる大人達の始まりは、人の手を借りて生まれた赤ん坊。それから多くの人の世話になり大人になってしまうと、途端にさも独りで大きくなったような顔をして、自分は偉い、他人の世話になどならない、自分こそが自立した人間なんだとみんな言う。


 しかし、そう言う人に限って外出して便意を催した公園のトイレで、たまたまトイレットペーパーが準備されていないと、たちまち慌てふためき憤慨し、誰が悪いだの、責任者は誰なんだと人を責めて自分の正当性を訴える。大人になり成長し、自ら用を足すことができるようになっても、排泄という人間の日々起こる生理現象でさえ事前に予期し、ぺーパーを持ち歩く準備すらできない未だ人任せの自立した人間だ。こんな人は、社会は支え合い協力し合って生きていることを知らない。果たしてどこが自立しているのだろうか?

 それに引き替え私は、公園に捨てられた野良猫のように人間との糸は、ほとんど寸断され繋がっていない。可愛い野良猫ならば慈悲で餌をばら蒔いてくれる人もいるだろうが、

「大人なら当然働いて食えるんだから」と人は言う。だから私には、そんな慈悲の糸すら繋がらない。そんなふうに考えると、何処までも続く都会の砂漠の中で、たったひとり路上生活者となった私こそが誰にも頼らない自立した人間ではないだろうか。    



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