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練武場に戻ると、既に修理は終わって再開していた。聞いていたよりも早い時間だが、受付にいた男は何て事ない顔をしている。
出来る限り周りから距離を取ったところで場所取りをして、早速クラリスはさっきよりもずっと離れたところに駆けて行った。隣に立つシャルロットは、万が一のためと杖を構えている。どちらもにこやかで楽しみにしてくれているのは分かるが、対応に本気を感じて緊張してしまう。
「じゃあ、行くぞ、クラリス」
「ああ、いつでもどうぞ」
無駄に力の入っている肩肘を揺すってほぐしてから、杖を構えた。
短縮詠唱で、実践で使える最低限の威力は保った術。強すぎても、弱すぎてもいけない。しっかりと発動したい術を頭の中に思い浮かべてから、口を開いた。
「由良の門を 渡る舟人 かぢをたへ……鎌鼬!」
杖先の石が光って、そこから風が起こる。渦巻いた風が一つの塊になって飛び出して、途端に平たく鋭い、想像通りの鎌鼬として飛んで行った。
クラリスは、剣を構えてそれを全て受け止める。
一瞬後、打ち消された鎌鼬の余波が収まったところで見えたクラリスは、弾けんばかりに笑って剣を鞘に収めながらこちらに走って来た。それだけで、成功した事は窺える。
「アスター! ちょうどいい……ピッタリだ!」
飛びついてきたクラリスを何とか受け止めはした。けど、興奮冷めやらない様子のクラリスは、そのままがっしり俺の肩を掴んで、いかに今の攻撃が凄かったのかを言ってくれる。
興奮でまとまりのない言葉を要約すると、クラリスが防げるギリギリの強さで、これならこの町や山を越えた先の皇都周辺のモンスターは敵ではない、だそうだ。加えて詠唱の長さも実用に耐えうる程度、というのを合わせてピッタリだと言っている。
「ありがとう、クラリス。怪我はないんだよな?」
「大丈夫。この通り無事だ。……回復魔法も試したかったか? ん?」
「いや、それは全然。怪我がなくて何よりだ」
「アスター、本当に、今のは凄かったわ。通常、魔術師ジョブを得てすぐに使える魔法の威力なんて、もっと弱いものよ?」
「そうだ。十分鍛錬を積んだ国軍の魔法兵が常用するくらいの魔法だった。あんたみたいな新人が使えるもんじゃないよ」
それぞれから目一杯に褒められて、これを望んでいたはずなのにどうにも気恥ずかしくて仕方ない。暴発の時も全力で褒められていたのだから、成功すれば当然同じ程度には褒められると予測しているべきだった。
暴発の時は興奮で勢いよかったが、魔力の強さはそれで分かっていたからか今はそこまで興奮しているわけではない。けど、その分成功したこの魔法の威力を様々なものに例えられた。シャルロットは魔法に詳しいし、クラリスは従軍時の遠征経験から多くのモンスターと戦った事がある。それでどこそこのこういうモンスターまでなら相手に出来ると言い連ねられて、何も知らないからどれくらいの事かは分からないながらも凄い事だけは伝わってきた。
これで、無事の成功も褒められる事も達成されてしまって、少し肩透かしを食らった気分だった。
嬉しい気持ちはもちろんある。けど、どうしてか自分はもっと出来ると思ってしまっているせいで、満足感が薄い。
喜んでくれているクラリスと、安心してくれているようなシャルロットには申し訳ないけど、もう少し無茶をしてみてもいいだろうか。
「なあ、まだ試してみたい事がある、から、手伝ってくれないか?」
言っている途中で、手伝ってもらう必要はないと気づいたが、とは言えこの二人が俺を置いてどこかへ行ってしまう事も想像出来ずそのまま続けてしまった。
「もちろん。どんな事を思いついたの?」
後悔ですぐにでも覆しそうになったが、シャルロットが肯定してくれる方が早かった。隣から、俺の肩を支えるように手を置きつつ顔を覗き込まれて、「教えて」だなんて言われたら、流石にもう否定して断るなんて出来ない。
「詠唱詩を、もっと細かく区切ってみる」
「もっと……連続攻撃するって事?」
「そう。だから、ちょっとクラリスには大変かもしれないけど、大丈夫か?」
「おそらく、問題ないね。一発一発がさっきよりも弱くなるんなら当たってもどうにか出来るだろう」
「じゃあ、頼む」
「本当に怪我したら治してくれよ?」
「……治す、けど、怪我しないのが一番だからな」
いつまでも一番弱気な事を言っているのが俺であるのが情けなくなってくるが、そうすぐに怪我をする事に慣れはしない。
そんな葛藤も知らず、クラリスは相変わらず楽しそうに笑いながら駆けていく。さっきと同じくらいの距離まで離れて準備が出来たと手を振るのに振り返してから、シャルロットとも顔を合わせて用意がいいか確かめた。頷いてくれるのに頷き返して、杖を構える。
「由良の門を」
魔法発動に必要な手順は、魔力の練り上げ、発動イメージ、事象の定義。魔力の練り上げとなる詠唱は省略が可能。発動イメージは頭の中でしているだけで具体的な行動はない。そして、事象の定義として名付けがあるが、同じ名前でも詠唱の長さで効果が違うのなら定義そのものが完全ではないとも言える。
そして、俺の予想通り、詠唱詩を名付けだと意識して読み上げると、魔力の練り上げと発動が同時に起こった。
「っ!」
さっき飛んで行った鎌鼬の半分程度の大きさの鎌鼬が一発、速さは変わらないまま飛んで行く。
魔法には名付けが必要だと知っているクラリスは、俺の読み上げた詠唱詩の後にもう一言続くものだと油断していたのか、慌てて剣を振り上げ鎌鼬を切り裂くようにかき消した。
「渡る舟人」
間髪入れず二発目。これは危うげなく受け止められる。
「かぢをたえ」
三発目も同じだった。けれど、これでこの詠唱方法に慣れる事が出来た。
「ゆくへも知らぬ 恋の道かな」
下の句は一度に続けて読んだが、しっかりと二発の鎌鼬が飛んで行く。「ゆくへも知らぬ」で発動した鎌鼬の後ろに隠れるように「恋の道かな」の鎌鼬が出来たのは、なかなか殺意が高いのではないだろうか。
クラリスはこれも全て対処しきった。両手に構えた剣でそれぞれを切って捨てるたびに、その背中でチョコレート色の髪が跳ねる。頭の高い位置でポニーテールに結われた真っ直ぐな髪は、まさに馬の尾のように揺れていたけれど、今が一番それらしく見えた。
残心をしっかり終えて辺りの砂埃も収まったくらいで、クラリスはこちらに大きく手を振ってくる。それからその手を口元に添えて、こんな開けた場所でなかったら周りの迷惑になるような大声で俺を呼んだ。
「アスター! 君は! 素晴らしい!」
声だけで笑っているのが伝わってくる。
隣のシャルロットも、釣られて笑った。
「これからあたしが走り回る! 今の魔法で、狙ってみてくれ!」
そんなに大きな声でなくても伝わるのに、最後まで叫び切ったクラリスは早速走り出した。結構動き続けているはずなのに尽きない体力に感心しながら、俺も杖を持ち直す。
「わかった! 行くぞ、クラリス!」
同じくらいの声量で返してしまったのは、まだまだ試したい事があった俺自身も、わくわくしてしまっているからだ。
結局その後、練武場の使用時間が終わるまでクラリスを相手に魔法を打ち続けて、それでもまだ満足し切らない俺たちを、シャルロットが呆れながら宿に引っ張って帰ったのだった。