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話し込みすぎたせいか、この店の仕事が早いからか、本題に入る前に料理が届いた。
宿の朝食は上等そうな盛り付けはされていたがあくまでも朝食であって、それほど凝った料理というわけではなかった。けれど、たった今提供された昼食は、大衆食堂の飯にしてはしっかりしたすじ肉の煮込みとそれを挟んで食べるのにぴったりそうな柔らかなパンがゴロゴロ詰まれた籠が付いてきて、思わずまた腹が鳴る。おざなりに手を合わせて、早速パンをひとつ、半分にちぎってすじ肉の塊をソースもたっぷり絡めて挟んだ。
もちろん、朝食も美味かった。全体的に素材の味そのままといった感じだったが、その素材自体が美味いので十分だった。ただ、緊張したり運動したり、程よく疲れた体に濃い味付けの肉は何よりも染み渡ってしまう。だからどうしても、こんなもんか、で流してしまった朝食よりもこっちに感動を覚えてしまった。
「……アスター、それ、美味そう」
夢中になって肉を挟んだパンを噛み締めていると、なんだか震えているようにも聞こえるクラリスの声で周りに意識を戻される。行儀悪いとは思いながら、口の端についたソースを指で拭って軽く舐め取りながら、こちらを凝視するクラリスに目を向けた。
クラリスは、正確には俺の手の中の即席バーガーを見ていた。そして、その隣のシャルロットも、クラリスほど露骨ではないが同じようにこれを見ている。
俺は一呼吸置いてから、溶けたバターがかかった潰し芋とピクルスが肉の付け合わせとして盛られた皿の端に、名残惜しくも一度即席バーガーを置いて、新しいパンを手に取った。今度はさっきよりも丁寧にふたつに割って、片方にクラリスの皿から取った芋を塗り、同じくクラリスの皿から取った肉を乗せる。どちらからかは分からないが、生唾飲み込む音がした。最後にもう片方のパンを乗せて、クラリスに差し出す。恭しく受け取られた後、後押しするために残っていた自分のバーガーを手に取って、大きくかぶりついた。
「……君はっ、天才だ!」
全く大袈裟な評価ではあるが、さっきまでの魔法に対するものよりは素直に受け止められるな。
「シャルロットも作ろうか?」
最初の一口は、それでも戸惑いと恥じらいで小さな一口だったが、その後の一言以降は夢中になってかぶりついているクラリスとは違い、シャルロットは羨ましそうに見ながらもまだ戸惑いの方が大きいように見えた。だからクラリスにだけ作って渡したわけだが、興味は尽きないのか自分の皿と美味そうに食べるクラリスとを見て手が進んでいないので尋ねてみる。しかし、やはり控え目に首を振られてしまった。
ところで、この昼食はほぼ定食の形でスープがついてきている。色は黄色だが味はトマトのような酸味のある実がぐずぐずになるまでしっかり煮込まれたスープだ。肉の方が甘じょっぱ辛い味の、パン、もっと言えば米が欲しくなる味だが、そのコッテリ具合をさっぱりさせてくれる味で、もちろんこれもほんのり甘いパンによく合う。
肉を挟んだパンをペロリと食べ切って、次のパンはさっきよりも小さめにちぎる。そしてスープに浸す。美味い!
予想通り、さっぱりした味と水分を含んだおかげでほとんど噛まずに飲み込めてしまったので、物足りなさにちぎって浸して口に運ぶ動作に止めどころがない。けれど、そうしていると狙い通り、シャルロットが真似をしてくれた。
確かに、大口開けてかぶりつくなんて戸惑っても仕方ない。であれば大口開けずにすむ食べ方にすればいい。
「シャルロット、この肉のソースだけパンにつけても美味いぞ」
スープに浸して食べていたパンの最後の一口はソースをつけて見せると、素直にそれを真似するシャルロット。それを食べてゆっくり笑む口元に、やっと安心出来た。
「おいしい。ありがとう、アスター」
「どういたしまして。でも、悪い事を教えてしまったらすまない」
「そんな事ない。ここは、行儀や作法に煩いようなところじゃないんだもの」
楽しそうに言って、シャルロットは夢中で食べすすめていたクラリスを見る。視線に気づいたクラリスが恥ずかしそうにもぐもぐ動く口元を隠すのを余計に微笑ましそうにしながら、今度はこっちに内緒話をするように声を潜めて提案した。
「ね、ここでは、食事の最中でもお話ししてもいいんでしょう?」
あまりにも照れ臭そうに言ってくるものだから驚いたが、確かに、例え口の中に物が入っていなくても食事中に会話する事を行儀が悪いと言われる事もあるだろう。そういうところでしか食事した事がなければ、この店の賑やかな様子に居心地悪くなってしまっても仕方ない。
だが、郷に入っては郷に従え。行儀なんて最低限でいいのだと頷くと、シャルロットは嬉しそうに頷き返してくれるし、クラリスはまた大きな口を開けて肉も芋もたっぷり挟んだパンにかぶりついた。
「それじゃあ、話の続きなんだけどね? やっぱり、魔力が大きすぎると思うのよ、アスターは」
「もっと慎重に詠唱する、とかではどうしようもないか?」
「毎回そう出来るならいいけど、実戦ではそんな余裕はないでしょう?」
「ああ、確かに。……だが、詠唱なしでは発動出来る気がしない」
杖と指輪のおかげで魔力が流れている事自体は感じ取れるが、その魔力を操作出来るかと言われると全く出来ない。訓練して出来るようになるとしても、時間がかかるだろう。
どうしたらいいのか尋ねようとしたところで、肉のソースもスープの一滴も芋の一欠片も綺麗にパンで拭いきって、残った少しのピクルスを摘んでいたクラリスから提案が飛んでくる。
「短縮詠唱はどうだ?」
「ええ! それなら簡単に、すぐ試せる!」
まさかのそれほど魔法について詳しくないらしいクラリスからの提案だが、簡潔な名称は詳しく説明されなくてもそれが有用だとよく分かった。そして、それは俺にとってあまりにも都合が良い。
シャルロットもそれは選択肢のひとつとして考えていたのか、わくわくが隠せない様子でクラリスに同意している。あれやこれやとクラリスと話しているが、クラリスがその短縮詠唱についてどこで知ったのか、どの程度知っているのかを含めた話の断片から察するに、俺の想像通り一度決めた詠唱を短くするのが短縮詠唱らしい。それ以外の詠唱方法でも簡略化などで対応出来るが、いずれにせよ込められる魔力も相応に減る。短縮詠唱で強い魔法を使えるようになった時には、元々の詠唱で発動する魔法も同じだけ強くなっているとの事だ。
通常の詠唱では大きすぎる魔力が暴発するなら、短くした詠唱なら正しく魔法が発動するはず。分かりやすくてとても良い。
「どうかしら、アスター?」
「ああ、出来ると思う」
「よかった! 早速、練武場がまた開いたら試してみましょう。もしダメでも大丈夫よ。他にも方法はあるからね」
「そういえば、あの詠唱について聞きたかったんだ。詩のようだったが、元々知ってたのか?」
「うん? ああ、あれは、俺の故郷の詩なんだ。あれを使った遊びがあって、そのために覚えた」
どうしてか俺以上にやる気を出して、一番皿の上に残った物が多かったシャルロットが残りを一生懸命に食べ始める。それを追って俺も残り少しを食べながら、暇を持て余したらしいクラリスの質問に答えた。
「ひとつの詩に間違いはないんだが、上の句と下の句に分ける事が出来るから、短縮詠唱はしやすいと思う」
「なるほど。まさに、あんたにぴったりの詠唱詩だったわけだ」
ちょっと悪い顔で笑うクラリスは、最初から上の句か下の句のどちらかで詠唱していれば暴発なんてなかったんじゃないかと言っているも同然だったが、その僅かな皮肉を心地よく感じるとは思わなかった。確かに、それは俺も思った事だったからだ。
やはり、失敗は失敗として処理されて、きちんと成功してから褒められたい。
練武場が再開する午後からの目標は、無事の成功とそれをこそ褒められる事に決まった。