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辺りは、吹き荒れた風で酷い有様だった。
昼近くでそもそも練武場にいた人数も少なく、そのおかげで十分距離を空けられていたから被害がなかったようなもので、俺たちの周りは地面の石畳はめくれ、その下の基礎部分までヒビが入っている。
俺のすぐ後ろにいたシャルロットも風に煽られて倒れてしまっているし、なんとか鎌鼬に切られる事だけは避けたらしいクラリスも、なりふり構わず避けたのかしっかりと地面にしがみつくように伏せていた。
驚きや衝撃はまだ残っていたが、それはそれとしてクラリスの安否はちゃんと確認しなければならない。俺がおぼつかない歩き方でそばに寄った時には自分で体を起こしていたし、少なくとも五体満足ではあったが、自分の仕出かしてしまった事が事だけに安心できなかった。
「ク、クラリス、大丈夫か!?」
「……え、あ、ああ、うん。どうやら、倒れた時の打身だけのようだ」
体をひねって背中の方まで確認してから、足を見せてくる。膝には鎧の一部のような膝当てがついているが、その下には細身のトラウザーズのみ。それを膝当ての下まで捲り上げると、ふくらはぎの横に大きな青あざと擦り傷が出来ていた。合わせてシャツの袖も捲ると、腕周りには右肩に肩当てを付けているだけのせいか肘の下から手の甲の方まで大きな擦り傷になっている。
鎌鼬に切り裂かれるよりはずっとマシなんだろうが、それでも広範囲の怪我をさせた事に血の気が引く思いがした。あんな暴発をさせなければ、シャルロットがした時のように余裕で避ける事が出来ただろうに、とんだ失敗をしてしまったと二の句がつげない。
そして、クラリスばかりに気を取られていたが、シャルロットは自力で起き上がって俺の後に続いてクラリスのそばまで来てくれた。しっかりとローブのフードは抑えていたのか被り直したのか、服装に乱れはなかったけどその分ローブの下の怪我は見えない。
「シャルロットは、怪我は?」
情けなく震える声で尋ねたせいか、仕方のない子供を相手にするように笑って、大丈夫だと言う。
「ちょっとお尻をぶつけただけよ。私たちは戦闘もこなす旅人なんだから、この程度の怪我は日常茶飯事なの。だから、そんなに心配する事ないのよ」
念押しするように、大丈夫と言って、シャルロットは俺に手を差し出した。気づけばクラリスも自力で立ち上がっているし、へたり込んでいる俺の姿は確かに見るに堪えない。情けなさに俯いたまま、ありがたく手を借りて身を起こした。
「アスターは大丈夫なのか?」
「えっと、俺か?」
「うん。あれだけの魔法の暴発だ。魔力の消費も大きかったんじゃないかい?」
「……いや、特に、不調はない」
クラリスに逆に心配されてしまったが、俺も倒れた時の打身くらいで大きな体調の変化はない。それを伝えると、なぜだかシャルロットもクラリスも途端に笑顔に変わった。
「それはすごいわ! あんな魔法の後でも魔力が枯渇していないなんて!」
「では、まだ魔法は使える? 回復魔法も使ってみてくれ、ほら、ちょうどいい実験体がいるぞ!」
二人から詰め寄られて、また有無を言わせず回復魔法の詠唱を促される。ほらほらとクラリスの怪我をした腕を指差す手は三本。これは逃げられないと観念して、今度こそおかしな暴発をしないよう緊張しながら杖を握り直した。
「高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山のかすみ たたずもあらなむ」
さっきより丁寧に詠み、その分杖に流れる魔力に集中する。石の光り方は変わらないように見えるが、これで成功させられるだろうか。不安を抱えながらも、魔法の発動に踏み切る。
「快気」
ええいままよ。回復魔法なら信じられないほど酷くはならない事を願いながら術名を呟くと、固まっていた俺たち三人の周りを温かい風が吹き回り、気づけば指さされていたクラリスの腕の傷はすっかり綺麗に無くなっていたし、俺の体もどこも痛くなかった。
予想していなかった結果に、なんと言っていいか分からずにいると、二人はそれぞれ自分の体を検分し、また飛び切りの笑顔を輝かせる。なんとなく、この後の展開が読めた。
「ねぇこれ! すごいわ! 三人いっぺんに治そうとしたの? 違うの? なのに全員治ってしまったの? 凄すぎるわ!」
「複数回復の魔法は高度だと聞いたぞ! 王城に務める魔法使い系統たちも修練を重ねてやっと出来るようになると言っていた! それを初めてで! とんでもない事だ、分かっているのかアスター!」
興奮する二人に詰め寄られるままに詰め寄られて、かと言ってでこぼこしたままの地面を後退するわけにもいかず、とにかく凄いと褒められている事しか分からない賛辞を右から左に聞き流した。褒められるのは嬉しいが、こちらは予期せずやってしまっているので失敗のつもりでいる。それをこんなに褒められてしまっては素直に受け取る事が出来なかった。
止まらない二人から助けられたのは、練武場の管理人が来たからだ。俺も気づいていなかったが、しばらく二人の後ろで待ってくれていたらしい。だが、止まらなさそうだったので割って入るように来てくれて、ようやく二人は口を閉じてくれた。
管理人からお叱りはなかった。練武場という場所柄、物が壊れる事はよくある事だそうだ。石畳が剥がれた程度なら土魔法ですぐに直せるからと特に修繕費なども求められなかったが、壊れた石畳のまま使わせる事は出来ないため退場を命じられた。他の利用者たちも同じように、昼過ぎには再開出来るようにするからの言葉を最後に締め出されてしまった。
「昼飯でも、行こうか」
わずかな迷惑がる視線と、多くの興味深そうな視線を向けたまま散らばっていく他の利用者たちを掻い潜り、俺たちはクラリスの言う通り昼飯に繰り出す。
他の利用者たちの半数程度はまた戻ってくるつもりなのか、練武場の隣にある大きな食堂に吸い込まれて行った。流石にあの視線を向けてくる連中の中で落ち着いて食事が出来る気もしないので、それとは違う飯屋を探して歩く。昼飯時なだけあって、あちこちからいい匂いがしてくるせいで腹の虫が鳴いた。
結局、入ったのは俺の腹の虫が鳴いたところから一番近い店だ。気を遣わせた事に申し訳なく思っていると、クラリスもシャルロットも微笑ましそうに見てくるものだから居た堪れない。
「さて、アスター。食事が来るまで、さっきの反省会をしましょう」
全員がこんな店が初めてなので手間を省くために店員のおすすめで同じ注文を済ませてから、シャルロットがそう切り出した。落ち着いた様子に、さっきのような手放しの褒め言葉が飛んでくる事はないだろうと、俺も積極的にそれに頷く。
「確認するけど、体調に変化はないのよね?」
「ああ。あの回復魔法で傷も治ったし、強いて言うなら昨日歩き通しだったせいで少し足に疲れと痛みがあるくらいか。この痛みの方は、回復魔法じゃ治らなかったみたいだ」
「ええ、そうね。それは回復魔法の性質なの。治せるのは、基本的に皮膚と皮膚にごく近い部分だけ、っていうね」
「そうなのか? 詳しく聞いても?」
「もちろん。あのね、回復魔法に拘らず魔法は対象の周りを包んで影響を与えるの。バフデバフも同じ。例えば、攻撃力を上げるバフを味方にかけるでしょう? でもそれは、筋力を上げているわけではなくて、皮膚に張り付いた魔力が筋力の代わりに働いているという事なの。元々の筋力足す魔法の擬似筋力、という感じ」
「なるほど……だから回復魔法も作用するのは外傷だけなのか」
「あたり。皮膚の切り傷なんかと一緒に筋肉や内臓が傷ついていたら、魔法も裂けた皮膚から入り込んで治せるけどね」
「なら内傷はどうやって治すんだ?」
「ポーションを飲むしかないわ。それか、内傷目掛けてナイフを刺すとかかしら」
「……聞くだけで痛い」
顔を顰める俺を、シャルロットはコロコロと笑ってそんな事にならないように気をつけろと言う。その隣でクラリスも、しれっとしながらさっき大きな擦過傷のあった腕を指差している。彼らにとって日常茶飯事だという程度の傷であんなに取り乱していた俺が、よっぽど物珍しかったようだ。