5
宿は木の柱に漆喰の壁だったが、他の建物のほとんどは壁が土壁のようだった。皇太子の勇者一行が泊まれる宿として、曲がりなりにも他より良い造りだったのだろうか。
その宿は、この町の中で一番大きく、立派で、目立つ建物のそばにあった。真っ白な石造りのその建物は大聖堂らしく、リュカとエルヴとロイクの三人でそこに向かい、俺はその間必要なものを揃えると良いとずっしり重い金貨袋を渡されて放逐された。
そばには、なぜかシャルロットとクラリスの女性二人が。
「ついていかなくていいのか?」
「そうね。私、ハーフエルフだから聖堂関係者には良く思われていないのよ」
「あー……亜人に偏見だとか言ってた、あれか」
「ええ、それそれ」
未だにローブのフードを目深に被って顔のほとんどが見えないシャルロットが、そのフードを少しだけめくって耳を見せる。ただの人間にしては明らかに尖った耳だが、長く伸びて目立つ、というほどではない。めくったフードから溢れてきたたっぷり量のある金髪であれば、それだけで隠せそうなくらいだ。
それでも、用心に用心を重ねて宿の中でさえフードを取れないくらい、この町に亜人は存在してはいけないと思われているのだろう。
「この町や、聖堂の近くだけだからいいのよ」
シャルロットは、なんて事無いように言った。俺には、耳と、頬と、ほんの少し持ち上がった口の端だけでは、その気持ちは分からなかった。
「……クラリスは?」
小さく頷いて返すだけで精一杯で、もう一人の、クラリスに話を振って逃げてしまった。きっとそれに気づいていたはずなのに、二人とも全く表情を変えない。
ただそれは、逃げても意味がなかったからかもしれない。
「殿下の旅の仲間じゃないのよ、あたしは」
クラリスから返ってきた答えも、シャルロットに負けず劣らず重苦しい。聞かなければよかった、という後悔が顔に出ている事はなかっただろうが、会話の返事を返せない時点で筒抜けだろう。
「国から選ばれたのはあたし以外の人。あたしは、強くなりたかったから、殿下に頼み込んでついて来させてもらった。だから、せっかく勇者の旅の祈願のためにお偉い大聖堂が迎え入れてくれるのに、お呼びじゃないおまけが付いてくわけにはいかないのさ」
乱暴さとはすっぱっぽさを混ぜた話し方はわざとらしく、手振りに垣間見える上品さが貴族の出なのだろうと感じさせる。
シャルロットとは違って、苦悩を顔に貼り付け、腰に下げた二振の剣の柄を握っていた。細かい傷と胼胝のある剣士の手は、その剣の柄を握った形の拳が良く似合う。この世界の事をなにひとつ知らない俺でも、貴族とか、女とかの括りに収まる人がそれだけの手になる苦労には、相当の覚悟も付随していると想像できる。
「だからあたし、貴方の事好きだ。一緒に強くなろう」
そんな人に一緒にと誘われて、嬉しくならないわけがない。
「おう、よろしく頼む」
ずっと纏わりつくようにあった、剣が握れない絶望感と先行きの見えない目標への不安が、少しだけ軽くなった。
やっと店を回り始めたが、市井で買い物をした事がほとんどないというクラリスと、この世界の事をなにも知らない俺があちこち目移りしながらものを選びきれないでいたのを、シャルロットはとても上手く誘導しながら買い物してくれた。そういった事も含めてのこの人選だったのかもしれない。
服から始まる身の回りのものを揃えた後、最後に杖を見繕うため武器屋に向かった。
刃物系の武器を使えないなら、弓を覚えて弓術士になる選択肢も無くはない。ただ、その次の上級職で詰む。だから結局は魔法系ジョブになる必要がある。という事で魔法系に必須の杖なのだが、思っていた以上に種類があるようだった。
「小さい杖もあるんだな」
小さいとは言え、長刀と同じくらいの長さはあるが、エルヴとシャルロットが持っている身の丈の大きさと比べればとても小さく見える。
「幻術師は短剣を装備する事も出来るの。短い杖は、そういう取り合わせの都合で選ぶ人がいるわ。でも、値段で見るとやっぱり杖そのものの性能は劣るから、最初は長い杖の方が良いんじゃないかしら」
指さされた先に並ぶ、身の丈大の杖達。それだけを見ても、無機物だけで出来たもの、植物だけで出来たもの、それぞれが混ざったものと色々あった。これは選ぶのに苦労しそうだ。
「装備出来る武器には補助装備というものがあってね、魔術師だとそれが宝石装飾品なのよ。だから杖も、植物だけのものより鉱石とか金属が使われていた方が相乗効果が大きいの」
また別の方向を指さされて目を向けると、無骨なものが多い他の武器に比べて、華やかなアクセサリーが並んでいる。そちらは、無機物だけか植物だけかがきっちり分かれているが、髪飾りも含めておよそ考えられるアクセサリーは一通り揃っているので、これはこれで目が滑った。
「まずは、杖を選びましょう? そうすれば、その杖との相性で装飾品も選べるものが限定されてくるわ」
言われるがままに杖のコーナーに寄って、適当に手に取ってみる。特に、何か起こる事も感じるものもない。
エルヴが持っていた杖は、大きな木の枝を切って形を整え、間に石を嵌めたような造りだった。
シャルロットの杖は、木肌がそのままなところは同じだが、一本の若木を根本から切ってそのまま使っているように先端で分かれた枝に青々とした葉がついている。
それと違って、並んでいる杖には加工された木製のものもある。箸を長く大きくして、鉱石や宝石で飾りをつけたようなものだ。金属で出来ている方は、鉄パイプの先を加工して模様を刻んだり、それそのもので何かの形を作ったりしているように見える。
「魔法には、属性があるの。回復、バフ、デバフの他にも火、水、風、地よ。杖もそれぞれに特化した造りになっているものもあるけれど、まずは平均的な能力にした方が良いと思うけど……アスター。貴方は、使いたい魔法とかあるかしら?」
「……いや、分からない。なら、これとかか」
「ええ、正解! そうね、それなら、ついている石も優しいから、最初の杖にするのにちょうど良いと思うわ」
手に取った杖は、金属の柄の先端が丸く輪のように加工され、そこに宝石が嵌まっている一番多い形の杖だ。他と違うところをあげるとするなら、柄から石がついている部分に変わる境目にも、ひとつ小さな丸い石が通されている事だろうか。柄の材質は鉄。大きな石は水晶で小さな石はオニキスらしい。使われている材質の割にほとんど重さを感じないので、やはり魔法か何か仕掛けがあるんだろう。
これを見て、シャルロットはすぐに装飾品の方からひとつのネックレスを取ってきた。杖と同じようにシンプルな、チェーンの先に柱状の水晶がついているネックレスだ。
「杖の石と同じ種類の石だから、これなら無難よ。つけてみて」
言われるがままネックレスを首にかけると、持った杖から暖かいものを感じるようになった。おそらく、これが魔力だろうか。
「悪くはないようね……。次は、これを試してみて」
渡されたのはブレスレットだ。金属のプレートと動物の皮で出来ている。杖との共通点はプレートかと思ったが、よく見ると鉄ではなく銀なのでむしろ同じ材質のものはない。けれど、ネックレスの代わりにそれをつけるとより杖と手が暖かくなる。
「あら、やっぱりこれはダメだわ」
「ダメなのか?」
「悪くはないのよ? でも、ちょっと強すぎて魔力の無駄遣いしちゃってるの」
手づからブレスレットを外しながら、シャルロットは難しい問題に行き当たったとばかりに唇を歪めた。そして、少し考えた後に指輪をふたつ持ってくる。
杖を持つ右手には、親指に鉄の土台に四角い黒水晶がついた指輪。反対の左手には、中指に金の土台に同じ黒水晶だが丸く削られたものがついた指輪。ひと目見て、共通点も違うところも分かる選択に違わず、さっきまでのふたつと魔力の感じ方が変わった。
温度ではなく、流れが分かる。自分の体から杖に、杖から指輪に、そして指輪から体に。魔力が巡り巡って血液の流れに混じっていく。
驚いてシャルロットを見ると、シャルロットも大きく頷いた。顔が見えなくても分かる、満足そうな仕草だった。