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俺の頭を抱える様子と呼んだ名前で、隣に立つ少年が誰なのか気づいたレナエルが勢いよく頭を下げる。しかし、イニャス皇子は俺のことしか眼中にないらしく、レナエルには反応をせずに柵から体を乗り出してまで俺に話しかけた。
「早速ですが、僕もそちらに行ってもいいですか? お手合わせお願いします!」
尋ねてはくるが答えは必要でなかったようで、俺が返事をする前に軽い足取りで受付に向かっていく。仕方ないので、その間に未だ冷や汗をかきながら頭を下げているレナエルを帰すことにした。
「いなくなっても気づかないだろうし、さっさと帰った方がいい。それから、さっきの伝言なんだが、もしかしたら明日は行けないかもしれない。ポエットには近日中に顔を出すと伝えてくれ」
「わ、わかった……」
あれだけ生意気に振る舞っていたレナエルも、さすがに本物の皇族を前にしては声も細くなってしまうらしい。少し距離がある状態では聞き取りづらかったが、こっくりと頷いてはいたから大丈夫だろう。早足に帰っていくのを見送ったところで、手に砂時計を乗せたイニャス皇子が傍までやって来た。
イニャス皇子は、質素な服でもごまかせないきらびやかな顔面を笑顔にして、俺の前に立つ。いったい何がそんなに楽しいのか、弾んだ声で改めて挨拶をかましてきた。
「よろしくお願いします!」
しっかり腰から折ってぴょこりとお辞儀する。断らせる気なんて一切ないらしい。仕方ないので、こちらもしぶしぶながら頭を下げて、杖を構えた。
「お願いします」
結局、イニャス皇子のジョブは分かってない。だが、今更聞く必要も感じなかった。どうせ聞いたって知らないジョブのほうが多いし、この後すぐ、分かるだろうから。
砂時計を地面に置き、短刀を構えたイニャス皇子。近接系は魔法系と相性が悪いのは世の常だが、ここで俺が負けては格好がつかない。これを足掛かりにリュカに合流しようなんて考えられては始末が悪いので、手加減はしていられないだろう。
出方を伺いながら杖に魔力を流す。細く波を少なく、そう意識するのは変わらないが、もうひとつだけ試してみたいことがあった。負けられない状況でのギャンブルは好きではないが、成功する自信はあったし、成功したら勝つ確証もあった。勝ちとはつまり、イニャス皇子の無傷での確保だ。
「いまっ」
予備動作もほとんどなく、イニャス皇子が駆け出す。恐らく、速さだけならクラリスよりも速い。
「しのぶれど」
きっとそのままだったら瞬きの間に目の前に迫っていただろうイニャス皇子だが、二歩目を踏み出す直前、風にまかれて阻まれた。そのまま進もうとしたようだったが、強く巻き上がる風は簡単に足元を掬おうとする。体格が良ければなんてことはないだろうが、俺や俺よりもちいさな体のイニャス皇子では、風を越えられたとしても体勢を崩して風から出た瞬間に攻撃される隙を作るだけだろう。
動きを阻みはするがもちろん風なので相手の様子も見える。驚いた顔、そこから悔しそうな顔に変わる様がありありと見て取れた。
「色にいでにけり わが恋は」
そこに更に台風を重ね掛けする。三倍掛けの風の中からは、早々出られないだろう。まだ数歩分の距離があるが、さすがにこの威力だと俺の方にまで巻き上げられた小石だとかが飛んでくるのでまた少し距離を離す。そうすると、風の巻き上げる砂ぼこりの影響もあって向こう側も見えづらくなった。
今回試してみたかったのは、この台風の遠距離発動だ。今までは、すべての魔法が杖の先を起点に発動していた。だが、完全詠唱の瀑布を作った時は違った。あの時は水が出るか心配で、見逃さないようにと地面を睨んでいたのだが、その地面目掛けて真上から滝が降り注いだ。つまり、杖の先を起点としてはいなかった。
遠距離というには近いが、杖の先から離れていることを考えれば遠距離といってもいいだろう。この成功は大きい。
「イニャス皇子は、従者とか連れてないのか?」
周りを見回しても、それらしき人影さえない。城内ならともかく、皇都でさえない場所にひとりで来るとは考えたくないが、よく考えたら皇族に護衛や従者がついているところは見たことがなかった。エリーズ様も図書館には御者ひとりだけの馬車で出勤してきていたし、アントンも一緒に出掛けたときはひとりで来ていた。本当にひとりなら、面倒だからポエットに任せてしまってもいいだろうか。
イニャス皇子に付き人がいるならこのまま台風が消えるまで待ってもらって任せてしまいたかったが、いないなら俺が対応するしかない。すでに出ようとはせず大人しくしているようだし、台風を消した瞬間にまた飛び掛かってこないことを願いながら、魔法を解除した。
「もういいですか?」
「……はい、お手合わせありがとうございました」
むっすりと納得いっていない様子ながら、わずかに頭を下げてくるあたり育ちがいい。
「いったいどうしてこんなところに? おひとりで来たんですか?」
「いえ、さすがに共を連れてます。宿に置いてきました」
「城の人は知っているんですか?」
「……黙ってきました。お気になさらず。誰も気にしないですから」
「左様ですか。でも、リュカが知ったらいい顔はしなさそうですね」
俺が説教してやる義理はないのでリュカを引き合いに嫌味だけさせば、気に食わなかったのかきつく睨みつけられた。自覚があったのかは分からないが、これで改めて身の振り方を考えてくれたらこちらも助かるのだが、この調子だとうまくはいかなさそうだ。
「初歩の魔法であんなに悩んでいたくせに、本当に強いんですね」
今のを強さとみていいかは俺としては微妙なところだが、これで納得してくれるなら儲けものだろう。俺が黙っていると、イニャス皇子は鼻で笑って項垂れた。
「馬鹿にしたければどうぞ。この程度でリュカ兄さまと一緒に行きたいだなんて、滑稽でしょう」
「リュカが求めているのは、強さではないです。まだジョブさえ不明だった俺を気に入ったくらいですから。だから、ジョブの種類による有用性でもないでしょう。それが理解出来れば、連れて行ってもらうことも出来るんじゃないですか?」
知らんけど。
最後の一言を言わないように、しっかりと口を引き結んでイニャス皇子から顔を背ける。ついでなので自分の砂時計を見ると、そろそろ砂も落ち切りそうな頃合いだ。
「……ジョブが、暗殺者でもですか」
「さあ、そこまでは分かりません。気に入らないのなら、変えればいいのでは?」
砂時計を拾って、帰る準備をする。準備と言っても持ってきたものは水を掬う器位だが、イニャス皇子が来て適当に地面に放っておいたせいで砂まみれのそれを、軽く瀑布で水を出して濯いだ。
挨拶をしてさっさと退散しようとイニャス皇子を振り返ると、俺の適当な返事が気に食わなかったのかさっきよりも憎々しげに睨まれていた。
「俺を睨んで、何か変わるんですか? そもそも、俺がリュカと一緒に行動したのはほんの数日です。その俺に答えを求めたところで、得られるものなんてないです」
「でも、あなたは唯一、リュカ兄さまが自分で選んだ人です」
「へえ、そうだったんですか。でも、ほかの面子のほうが頼もしかったですし、選んだのが誰にせよ、断るほどの理由がなかったからリュカもそれで了承したんじゃないですか」
いい加減、駄々をこねる子供の相手も面倒になってきたので、次に口を開こうとするのも構わず続ける。
「リュカは親切ではありますが、親切なだけでは勇者として務められないでしょう。イニャス皇子はそれを理解していないように思えます。勇者のリュカに憧れているのなら。もっと理解出来るように考えてみてはどうですか?」
今まで以上にヘイトが俺に向いて付きまとわれる可能性もあるが、だとしてもイニャス皇子の性格的にはまずは反論のためリュカについて考える時間に費やすだろう。その間に、俺ももう少し安心して勝てるようになれば、諦めさせることも出来るはずだ。
リュカが対応すべきことではあるのだろうが、あちらの方が重要な使命を負っているわけでもあるのでこれくらいは請け負ってもいい。とはいえ、やはり報告として手紙を出すことは考えておかなければ。




