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魔法とは、想像力がすべてだ。
シャルロットが説明してくれた通り、自分の頭の中で考えたことを魔力で現実に生み出すのが、この世界の魔法だった。最初に作った鎌鼬や颪が暴発しがちだったのは、魔力の扱い方が未熟だったのもあるが、俺の想像が甘かったせいもある。逆に、台風で自分にまで影響が出るような中心の気圧の変化まで再現してしまったのは、台風とはそういうものだという知識が擦り込まれているからだ。
想像だけでは補えない、たとえば風の魔法で岩を作り出すことは出来ないといった制限ももちろんある。しかし、それでも自由度はとても高い。
そこから考えるに、一度作った魔法を作り替えることも出来るのだろう。ひとつの名前で複数の魔法を発動させたり、ひとつの魔法を複数の名前で発動させたりも出来るはずだ。
「それが出来たら苦労はしないんだよ」
深い溜息を吐く。目の前には、濡れた地面と器にたっぷり残った水。
まだ日の高い午後に、また練武場を訪れて飲み水を確保するため瀑布の魔法と向き合っていた。まずは上の句の詠唱で様子を見たが、杖の先から弧を描いて飛び出した水の一部を器に掬って飲んでみた結果、なんとも言えないえぐみのある味に言葉を失ってからの今だ。
見た目は透明な水だし、匂いだってしない。なのに口に含んだ途端舌の根がしびれるようなえぐみがあって飲み込むことも出来なかった。買っておいた水でしっかりと口をゆすいだから、これで腹を壊すことはないと思いたいが、この後試す最短の句で出す水がこんな味だったらおしまいだ。
魔法とは思い込みで、擦り込みで、条件付けだ。この後飲んだ水の味で、この瀑布という魔法で出る水とはこういうものだと、俺の中で決まってしまう。それを覆せる性格でないことはよく分かっている。
ひとつの句から三種類の魔法を作るとき、最初にそれぞれの威力の魔法を発動させるまでは擦り込みは完了していないようなので、次がこの瀑布で出来る最後のチャンスだった。
「また別の魔法を作るなんて面倒くさいこと、絶対に嫌だ。絶対に成功させる。これで出来なかったら次も出来る気がしない、できるできるできる……よし」
自分を追い込むための気合を入れて、杖を構える。
「わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人には告げよ あまのつり船」
初句だけで魔法を発動させるとき、消費魔力が少なくなる分魔力も随分操りやすい。それを更に精度を上げるために詠唱もして、魔力の波を極力静かにさせたところで次の詠唱をしようと再び口を開いた。
「ねぇ、何してるの?」
「っひ、あ、っぶ、ねえ!」
突然かけられた声に、詠唱を始めようとしていた口から悲鳴が漏れて、魔力がおかしな暴走をしそうになったので思わず杖から手を離して取り落としてしまう。集中しすぎていたせいか、すぐ後ろの柵越しに人が来ていたことに気づかなかったらしい。杖から手を離した拍子に両手を上げて腰まで引けた間抜けな格好になっていたが、そのまま首を回して乱入者を確認した。
「あんた、えっと、ポエットの姪……だったか?」
「レナエル・ポワンカレよ。覚えて。あなたは?」
「アスター」
柵にもたれて、昨日会った時と同じようにぷっくりと頬を膨らませたレナエルは、俺に名前を聞きながらも興味はなさそうで、どうせまたポエットと喧嘩でもしたんだろうという様相だった。
杖を拾って土埃を払って、俺に視線をくれようともしないレナエルに近づく。
「ここで何してるんだ?」
「伯母さんから伝言。町を出てく前にもう一回顔を見せろ、だって」
「そうか、分かった」
見た目はそれほど幼く見えないが、こうして拗ねている様はまだ子供らしい。ちゃんと年齢は聞いてなかったが、思っていたよりは幼いのかもしれない。そうであれば、突然現れて伯母と親しくする俺に対して良い感情はなくても仕方ない。
何か話しかけるべきかと悩む。この短期間だけ見るとポエットと行動することが多かったが、かといって特別親しいわけではない。結局は客と店主の関係であることに変わりないので、こんな風に嫉妬をされたからとて言えることはなかった。どうせ俺は数日のうちにこの町を出るのだから、嫉妬している暇があったらポエットの言うことを聞いている方が余程有意義だろう。
「ねえ、今なにしてたの」
「飲料水を出す魔法を作ってた」
「そんなことも出来ないの?」
「あんたも、親の言うことを聞くことすら出来てないだろ」
「それは! だって!」
ついつい子供の挑発に乗ってしまって嫌味を返すと、さすがに返す言葉は持っていないのか地面を睨みつけながら唇を噛みしめている。
「ポエットには明日の昼頃行くって伝えてくれ」
「……分かった」
不貞腐れながらも返された返事を確認して、またレナエルから離れる。一度集中は途切れてしまったが、これはこれでいい気分転換になった。
杖を構えて、また魔力の流れを落ち着かせるところから始める。
「わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人には告げよ あまのつり船」
詠唱をすると魔力が流れる量が多くなっていくが、油断するとそれが少なくなったりもする。その波を小さく、増え幅を緩やかにすることを目的に魔力を回し、集中を高めていく。一番弱い威力での魔法なので、適当に一番魔力が高まった時にドーン! では済まない。
「滝の音は」
杖の先から細く水が出る。滝よりはホースからの放水といった量だが、飲み水として使うならちょうどいい。何度か器をすすいでから、改めて器に溜めて矯めつ眇めつ眺めた。器の底が、綺麗に見える透明度の水。鼻先にそれを持ってきて、器を回して傾けて、匂いも嗅ぐがほんのりと器の木の匂いがする程度で水自体は無臭のようだ。
意を決してその水を口に含む。
舌先を湿らす程度では味はしない。もう少し多く流し込む。口の中のほとんどに行きわたるくらい入れても、いやな味はなかった。常温の水、と想像していたとおりの水にしてはあまりにも無味無臭な気もするが、口に含むたびにえずきそうなさっきのえぐみのある水に比べるべくもない。
飲み込むと、食道を滑り落ちていく感覚がする。今日も朝から走ってきたし筋トレもした。体温が上がったままでは、常温の水でも胃まで届く様が分かるらしい。
「これで明日まで腹を壊さなかったら、成功か……?」
食中毒やらウイルス感染やら、数日たってから症状が出るものが多すぎる。安全を求めるなら明日まででは時間が足りないが、そんなには待っていられない。
明日一日待ってみることにして、なんともなければ明後日出発する。そう決めて、今日はまた体力作りでもしに行こうかと砂時を拾うため振り返ったら、そこにさっきよりもひとり分顔が増えていて飛び跳ねるほど驚いてしまった。
「イニャス皇子? な、なぜ、ここに?」
すでにポエットのところに帰ったかと思っていたレナエルがいることにも驚いたが、その隣に、皇都で出会ったリュカの弟王子、イニャスがにこにこと良い笑顔で立っていることに目を疑った。
イニャス皇子は、市井の人間のような粗末な服を着て、こちらにひらひら手を振っている。顔は一切隠していないから見間違いようないが、だからこそ着ているものや周りの風景から浮いていて違和感がとんでもない。レナエルはよく、あの隣になんでもない顔で立っていられるものだ。
「お久しぶりです、アスター様!」
俺の戸惑いに気づいていないはずがないのに、やはりこちらの反応や返答は必要としていないらしいイニャス皇子。腹ではなく頭が痛くなってしまって、ポエットに作ってもらうべきは痛み止めだったかと後悔が生まれた。




