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この町の練武場は、ところどころ草の生えたむき出しの地面が、森との境目にあったのと同じ柵で囲まれた小さな広場だった。人もいない貸し切り状態のそこで、邪魔にならない柵の下に砂時計を置いて、地面に杖を突きたてる。
「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」
少し離れたところの地面を睨みつけながら、詠唱をした。それなりに魔法を使ったり戦ったりと経験したが、それとは少し系統の違う緊張を抱えながら魔法を発動する。
「瀑布」
杖についている水晶は、鎌鼬や颪の時と同じ光り方をした。だから台風よりは消費する魔力が少なく、威力も弱いはず。しかし、何もないはずの中空から突如吐き出される大量の水は、今まで睨みつけていた地面に向けてまっすぐに落ちて行ったが、あまりの量と勢いで跳ね飛んでくる飛沫が俺にもかかる。慌てて杖に流す魔力を止めて強制的に魔法をかき消すが、すでに体の全面がしっとりと濡れてしまった。
「……水が出たから、よしとしよう」
身に着けている服以外に拭けるものも持ってこなかったので、仕方なく袖で顔をぬぐう。杖を抑えるために体よりも前に出していた袖はしっとり湿っているが、背に腹は代えられない。
地面には水たまりが出来ている。数日雨が降っていないおかげで、地面が乾いていたからすぐにしみ込んでなくなってくれるだろうが、そうでなかったら始めから町の外に出て人の使わなそうな街道横で適当な場所を探していただろう。
しかし、量だけは思った以上に出た。単純な物量としての攻撃力には期待出来る結果だ。この水が飲料水に出来なかったとしても、何かしらには使えるだろう。そうなると改めて飲み水確保の魔法を作らなければいけないが、ひとつ目の懸念点である水が出せるかどうかは確認出来たから、飲み水もなんとかなると思いたい。ただひたすら、別の魔法を作るのが面倒くさいと言うだけで。
「まあ、それは明日以降だな。薬が無事に出来てるといいんだが」
万が一に備えるための腹下しの薬を確保するためにあれだけ頑張ったのに、その薬が出来る前に下手なことをして腹を下してしまえば本末転倒。飲んでも平気な水を作る魔法の修練がこの町に来た目的だからさっさと終わらせてしまいたいが、もう少しの辛抱だ。
代わりに、あの森での経験を生かしてもうひとつ魔法を作ることにした。
「君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな」
これは少し、魔力の操作を適当にした。雑に使っても発動するのが重要なので、鎌鼬にも等しいガタガタの魔力操作のまま完成を目指す。
「忌避」
俺の周囲の、それなりに広い範囲に魔法の影響が広がる。特に風の魔法というわけでもないが、穏やかに吹く風でその範囲が見えた。おおよそ、俺が両手を広げて三人分並んだ範囲。戦闘中は仲間とも一定の距離をとるため、きちんと立ち位置を選ばなければ三人入らないかもしれないが、体感ではそれほど魔力の消費もないので連発したっていいだろう。
そうまでして作ったこの魔法は、初めてのバフ魔法。毒をはじめとした状態異常回避の効果を持たせた。……はずだ。
「本当に効果が出てるか、分からないな?」
何も考えずここで使ったが、この場ではちゃんと効果が出ているか判別つかないことに気づいた。やらかしにひとりで気まずくなって、挙動不審になりながらまだ半分以上時間が残っている砂時計を受付に返す。ひとりしかいなかったからか、派手な魔法を使ったからか、俺の様子を観察していたらしい受付の男にはまだ居ればいいのにと引き留められたが、ひきつり笑いで誤魔化した。
足早に宿に帰って、初日に買った毒消しの薬をつかんでまた飛び出す。ここの森は特に出入りを管理されているわけでなくてよかった。
木々の隙間から建物の影が見えるかどうかのところまで進んで、念のためもう一度杖を構える。
「君がため 惜しからざりし 命さへ」
上の句だけだと、範囲はぐっと狭くなって自分だけにしかかからない。ただし、多岐にわたる状態異常をすべて防げるようになっている。
そのまま、人の歩いた跡を逸れて苔を踏みしめ、茂みの中に進んだ。苔から飛んでくる胞子も、茂みの枝や茎を折って出てくる樹液も、体に付くことはない。呼吸で吸い込む直前や、体に付く直前、枝葉で出来た擦り傷に至っては樹液と混ざった血さえも蒸発するように消えていく。
「高砂の」
茂みを掻き分けていくらか進むと再び人の歩いた跡に出た。検証は十分出来たところだったしちょうどいいと、こさえた擦り傷を直して町に帰ることにする。
一口に毒の森と言っても、毒の効果として出る状態異常は様々なものがあるらしい。だから今作った忌避では、痺れや眠気までは確実に防げるようにした。そして、今はまだ魔法を使うモンスターに出会ってないが、今後はそういうのも出てくるだろう。その時のため物理的な毒だけでなく、攻撃力や防御力の低下といったデバフ魔法も防ぐ効果があるように考えた。
騎士団に行ったときに話を聞いたが、状態異常にかかった後にそれを回復させることも出来るらしい。最初にシャルロットから魔法の説明を受けたときに、回復魔法は体内にまで影響しないと聞いていた。しかし、それはごく基本の話であって、バフやデバフには適用されないこともある。また、それこそ蘇生魔法をはじめとした少し特殊な魔法もその原則に当てはまらない、ということだ。
俺はそれを、うまく自分の中に落とし込めなかった。
シャルロットの説明で納得しきっていたというのもあったし、ではバフやデバフはどんな原理なのかと聞いても騎士団にいる魔法使いたちはそこまで理解して使っていないために説明がなかったせいもある。だからデバフを使えるようになるという幻術師には興味が湧かないし、バフや回復魔法を増やすよりも攻撃魔法の練度を上げることを優先してきた。しかし、あの森で駆け回って光明を得た。状態異常にかかる前に防ぐためのバフなら、想像しやすいから創造も出来るだろうと。
そうして今回バフ魔法が成功して、それが少し自信になった。
「アスター、なんだい、また森に入って無茶でもしてたのかい」
「ポエットじゃないか。魔法の練習をしてたんだよ。無茶はしてない」
「へえ、熱心だね」
森を出たところで、ポエットがやってきた。俺には森に入ったことを非難するようなことを言うくせに、ポエットだって森に向かっているように見える。
「あんたは魔法の腕は十分なんだから、体力を増やした方がいいんじゃないかい?」
「……それはちょっと自覚がある。頼むから言わないでくれ」
皇都を出るまでは色々と目まぐるしかったし、あまりにも環境が変わったからそれに慣れていないだけだと思っていたが、リラリアまでの道中をただ歩いているだけだとどうしても自覚せざるを得なかった。
思い返せば、この世界に来た際になぜだか俺の体は数歳分若返っている。エルヴに鑑定してもらって出た情報の通りなら十六歳の体で、このころはまだ成長途中だった。そしてその分、筋力も体力も少なくなっている。
「魔法でやりたいことも大体出来たし、次は体作りをする。けど、それには飲み水の確保の心配がない方がいい」
「なんだ、そこまで考えてたのかい。じゃあ野暮なことを言ったね」
「いや、元軍人に指摘されるなら自覚してるよりも悪い可能性もある。もうちょっと考えてみるよ」
「そうかい。ま、いいさ。頑張んなよ。約束通り、薬は明日には出来る。昼頃取りに来な」
「分かった、ありがとう」
手を振ったポエットとすれ違って、森に入っていくのを見送る。
魔法で飲料水を作れるようになれば、最低限必要な魔法は揃う。まだやりたいことがないわけでもないが、森でポエットの足を引っ張ったのも体力不足が原因だったので優先すべきは体力作りだろう。
「短期目標が次から次へと湧いてくるんだから、たのしーなあ」
ため息交じりのつぶやきが漏れる。自分への呆れや疲れがないわけではない。それでも、何をしていいか分からないなんて状態よりもよっぽどマシだと、俺は知っていた。




