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怪鳥は、あっさりと首と羽の半ばまでを切られて倒された。切り口から流れ出る血が、ドス黒くはあったが赤くてなんだか不思議な感じがする。
現実感が無いせいだろうなぁ、と緊張が切れたせいか呑気に思っていたら、突然片腕を掴まれ引き上げられた。
「こらこら、もっと優しくしてあげなよ、ロイク」
「失礼した。まだ盾は離せないもので」
全身に鎧を着込んだ上に、背負うのはバスターソード、片手に持つのは大楯。それでいて空いた片手だけで俺を引き上げ立たせた男は、怪鳥を切り捨てた男に困った子を見るように嗜められて所在なさげにペコリと俺に頭を下げた。
「……いや、腰が抜けていたので、助かった。ありがとう」
重装備なのに軽々と持ち上げられた事が信じられず、こちらも少しふわふわした返事をしてしまった気がする。だが、相手はさっきよりも丁寧に頭を下げて金髪の男と場所を交代するために一歩下がった。
「あの、鳥。倒してくれてありがとう。おかげで、生き延びられた」
たった今容赦なく剣を振るったのにそんな事を感じさせない穏やかな笑顔の男に、こちらも重装備の男と同じように丁寧を心がけて頭を下げる。相手は、それでも俺の中にあるわずかばかりの警戒も分かった上で、にこやかなまま頷いて礼を受け取った。
「色々聞きたい事が、お互いにあるだろう。けど、もう日は落ちてしまうし、君もとても疲れているように見える。今日のところは、私たちと一緒に宿に行かないかい?」
「……素性の知れない俺を、一緒に? ありがたい話だが、後ろの人らは納得してないのでは?」
少し落ち着くと、金髪の男には重装備の男の他に男女混じった三人のお供がいると気づいた。そのうちの二人はローブを着て顔のほとんどを隠しているから表情は分からないが、それでも俺に対して懐疑的でよく思っていない雰囲気は伝わってくる。しかし、金髪の男はそれを見もしないで変わらない笑顔のまま無視をした。
「気にしなくていいよ。気になるなら、なんとかするけれど」
「……いや、いい。分かった。それじゃあ、よろしく頼む」
「こちらこそ」
頷いて、では行こうと関所の方へ促される。改めて見た関所とその前にいる兵士達から、距離は思っていたよりも離れていた。火事場の馬鹿力というやつなのか、それだけ必死にあの怪鳥から逃げたのか、そりゃあ疲れ切った足もガクガク震えるだろう。
気力だけで引きずりそうになる足を持ち上げて、途中で脱いでいた靴も履き直して、なんとか彼らについていった。だから、金髪の男と兵士達が何かやりとりしていた内容も、ほとんど頭に入ってきていなかった。
宿では、見張りとして重装備の男と同じ部屋に入れられたが、それも気にならないほど疲れ切っていた。男が何か尋ねてきていた気もするが、答える気力もなく真っ直ぐに目についたベッドに進み、倒れ込む。足のついた木板の上に質の悪い綿を詰めただけの布団を敷いた寝床はひどく寝心地が悪かったが、ほとんど気絶の勢いでそのまま寝てしまった。
朝、筋肉痛なのか寝苦しいベッドのせいなのか痛む身体に苦しみながら起きた時、下敷きにしてしまっていたはずの上掛け布団がずるりと肩から落ちた。隣のベッドで起き上がって装備を整えていた男を見ると呆れた顔でいたから、俺が寝た後色々と世話を焼いてくれたのだと分かって気不味くなった。
男が装備を整え終えたら食堂に移動すると言うので、その前に俺も部屋に備え付けられた小さな水瓶とその蓋代わりのタライを使って顔を洗う。その間考えていた事は、一番認めがたい事を認める事だった。
つまりここは、死後の世界ではない。
薄々は分かっていた、というよりも目を逸らし続けて来た。太陽が時間経過で動いて運動した分疲労が溜まって知らない文化があって、その上に人の営みがある。こんなところを死後の世界とは思いたくない。こんなもの、元いた場所と変わらない。死んでからも、生物としての生活が続くのなら、死の意味がない。
「おい、こっちはもういいぞ」
「……ああ、今行く」
なんでか厄介な事になってしまった、とため息吐きながら、早朝からあの重装備を真面目に身につけた男に連れられ階下の食堂へ向かった。
宿の人間以外他の客は誰もいない食堂に、もうそろっていた他の四人。主役は金髪の男で、後は胸甲をつけて剣を二本下げた女が一人に、ローブに大振りの杖の男女が一人づつ。昨日と変わらないメンバーなので、この面子だけで旅をしているのだろうか。一応バランスがいいパーティだとは思う。
「やあ、おはよう。よく眠れたようだね」
「おはよう。おかげ様で」
二人がけの小さなテーブルに座った金髪の男に、その前の席を勧められる。他の四人は周りのテーブルについているが、目はしっかりとこちらを向いて警戒しているようだ。
その中で、冷静に話を聞くのは少し難しい。緊張でじわじわ汗をかいている。
「まず、何よりも先に聞いておかなければいけない事がある。君は、なぜあの草原にいた?」
相変わらず穏やかに笑んでいるが、ほんの少しだけ空気が張り詰めた。前置き通り、それはとても大切な質問なんだろう。
「……気付いたら身一つとこの衣服で草原のど真ん中で倒れていたんだ。どうしてそんな事になったのか、俺も何も覚えていない」
助けられた事もあるし出来る限り誠実でいたい。ついでにまるっきり嘘を吐くのも面倒で、それ以前の記憶がある事だけ誤魔化してそのままを話す。
神妙な顔で頷いた男は、俺から目を離さずまた尋ねる。
「何も覚えてない? 名前や出身もかな?」
「あ、いや、名前は〈アスター〉。出身は===。覚えていないのはあの草原にいた経緯だけだ」
言い終わって、背筋の凍える思いがした。
俺の名前はちゃんと日本のものだった。少なくとも、今発音したような響きではない。
そして、俺には聞き取れない発音だった出身地についても、彼らは疑問を持っている様子はなく金髪の男以外は互いに頷き合って納得しているようだ。
何かおかしい。改めて、とんでもない事に巻き込まれている自覚が出てきた。