表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/19

9

招かれた客間には、昼食にしては豪勢な料理が並んでいた。席に着く三人のうちの二人が皇族である事を考えれば、この状態も致し方ないのだろう。生憎ながら、豪華すぎる食事には緊張が湧き上がってしまって、まともに味も分からなかった。

昼休憩の時間がそれほどないからか、話は昼食を食べながらされた。礼儀作法も何も分からないが、シャルロットやクラリスは食べながらの会話に抵抗があるようだった事を思えば困惑もする。しかし、スペンサー軍総長は気にせず話しかけてくるので、渋々口の中のものを飲み下して答えた。


「リュカのやつが君のためにウシュカイルの町で無茶を通したそうだが、一体どうやってそんなに気に入られたんだ?」

「俺には、思い当たる事はありません」

「本当に? あれは、生まれた頃から勇者と担ぎ上げられたせいもあるが、気難しくあまり多くの人をそばに寄せたがらない。勇者や皇太子の立場を知らなかったからとは言え、それほど強引にそばに置こうとするなんて不思議でしょうがない」

「……リュカにしか分からない利用価値があったのだと思う事にしています」

「利用価値か。随分他人事に言う」


スペンサー軍総長は、とても面白そうに俺の事を眺める。隣で静かに食事をしていたエリーズ様が、ここに来て初めて食器を置いてそれに抗議した。


「叔父様。どうかアスターさんをそのように見るのはお辞め下さい」

「エリーズ様、かまいません」

「いいえ、いけません。あなたはお兄様の大切なご友人として、軽んじられてはいけないのです」

「フ、つまり、エリーズ。君も彼を気に入っているのか?」

「もちろん、そうでなければこれほど目立つ事は致しません」


毅然と言い切ったエリーズ様は、本人の言うところの卑屈癖のあるいつもの姿とは全く違い、確かに皇女として正しい姿をしている。俺はその違いに驚いて次にかけるべき言葉が思いつかず、代わりにスペンサー軍総長は楽しそうに笑って頷いていた。


「そうだな、まずは、アスター。今後、君に対して皇族が手出しする事はないだろう。君は十分に勇者の供に相応しい能力を証明した」

「ありがとうございます」

「その上で一つ提案なんだが、君、軍に所属するつもりはあるか?」

「国軍に、でしょうか? それはつまり、エルヴとロイクと似たような立場、という事で?」

「その通り。君の実力は真に素晴らしい。今はまだ年若く経験が足りないので劣っていると思う部分もあるだろうが、誰だって最初はそんなもの。勇者の旅が終わる頃には稀有な能力の兵になっている事だろう」


これは思いもよらない就職の斡旋だ。

リュカの旅が終わった後の事は何も考えていなかった。目の前の事しか考えられていなかったとも言う。ひたすら明日の事だけを考えていたが、そろそろこの世界にも慣れてきたので明後日よりも先の事を考えるのもいいかもしれない。


「過分なお言葉感謝申し上げます。ですが、そのお話お受けする事は出来ません」


しかし、俺は断った。

スペンサー軍総長は楽しそうな笑顔は崩さず、ほんの少し首を傾げて続きを促す。


「リュカに助けられた命。リュカのために強くなると誓った力。なればこそ、リュカの使命が終わった後もこの身はリュカのものです。俺の一存でその先を決める事は出来ません」


半分ほどは嘘だ。そこまで全てをリュカに捧げてはいない。けれど、全てが終わった後にリュカから進路について希望を伝えられたら、この軍役の誘いよりはそれを優先させてしまうだろう。もちろん、皇帝となったリュカのために近衛騎士になってほしいと言われたら、そうするけれど。

スペンサー軍団長は、俺の言い訳に目を丸くして驚いた後、手を叩いてまるで子供のように笑った。なかなかに厳しい顔の大男が無邪気に笑う様は、愛嬌があると取ればいいのか、不気味だと取ればいいのか。

隣で、エリーズ様が小さくため息を吐いた。


「そうか、そうか。リュカはいい友人を得たものだ。これほど素晴らしい日はない。夜に飲む酒はきっといつになく美味いだろう」


涙まで滲ませながら、スペンサー軍団長は手を差し出してくる。食事のために手袋を取っていた手は分厚く、剣ダコがあっただろう場所は特に皮が硬くなっていた。そして今はペンを握る事も多いのだろう。中指の爪の横がペンの形にほんの少し凹んでいる。その手に握手を求められているのだと気づいて、慌てて用意されていたナプキンで手を拭いて両手を差し出した。

強く握られて、同じほど力を込めて握りかえす。よく鍛えられているから、この程度痛くも痒くもないはずなので遠慮はしない。それが気に入ったのか、ブンブンと上下に振られた後にようやく解放された。


「リュカが君を気に入ったのも分かったよ。それだけに我が軍に得られなかった事が残念だ」

「そう思われるのなら、リュカを口説き落として下さい」

「努力してみよう」


しっかりと頷いて、スペンサー軍総長はようやく食事を再開した。しかし、その頭の中ではどのようにしてリュカを説得するか様々な方法が巡らされているのだろう。


「おめでとうございます、アスターさん。身内の不始末でご迷惑をおかけした時には継承権の放棄まで考えていましたが、これほど最良の結果を掴まれる機転と実力、感激いたしました」

「……そんな、エリーズ様。俺などのためにそこまでさせるわけがないじゃないですか。思いあまった事をさせずに済ませられて何よりです」


果実水を飲みながら軽々しく言われるには相応しくない内容に、うっかり口に入れたばかりの野菜だろう塊をそのまま飲み込んでしまった。人参に似たその野菜が柔らかかったおかげで無様に咽せる事はなかったが、心臓は派手に脈打って暴れている。

この食事は、最初から最後まであまりにも俺に優しくなかった。

ついでに、慌てた様を必死に隠して平静を装いながら続きを食べ進める俺を見て、楽しそうな笑いを噛み殺しているエリーズ様は確かに周りの人間にため息を吐かれるこの軍総長の姪なのだろう。




食事を済ませてやっと訓練場に戻れると安心した矢先だった。


「ところで、余計な横やりがなければ、皇女との結婚は得難いものだと思うが、惜しくはないか?」

「得難い、と申されましても……」


つい、隣のエリーズ様を横目に見てしまう。すました横顔だが、スペンサー軍総長に呆れている事は感じ取れた。


「現状、俺に出世欲はありません。結婚に関しても、これから根無草生活を始めようというのにしたいわけもありません」


将来の事を考えさせたいのだろうが、結婚に興味がない今尋ねられても拒否する以外にはない。分かっていたのだろうが、それでもこれを聞いてくるスペンサー軍総長はやはり根が貴族だ。所謂、政略結婚の効力を信じている。


「先ほどもお話しした通り、俺は強くなる事を目的にしています。それに対して結婚は、特に有益というわけではないでしょう」

「君の言う通りだ。だが、煩わしいものから解放される手段でもある」

「そもそもが、リュカに関わらなければ俺個人を取り巻く煩わしさなどありません。これから根無草生活を始めると言いましたが、訂正します。今すでに、俺は根無草です。であれば、わざわざ首輪をつける事こそが煩わしさに繋がります」

「うーむ、道理だ。分かった、この手の勧誘も諦めよう。残念だったな、エリーズ?」


わざとらしい問い掛けに、俺の背から血の気が引いていった。急激に冷えた指先が痺れる感覚まである。しかし、問い掛けの先のエリーズ様は、スペンサー軍総長がするのと同じ角度で首を傾げて疑問を浮かべてみせた。


「なぜわたくしにお尋ねに? 今の話題で取り上げられた結婚相手は、アスターさんの出世に有利に働くお力のある皇女でしょう。ですから、魔法学院長と成られたマドロン姉様の事かと思っておりましたが」


誰がどう聞いても、スペンサー軍総長はエリーズ様を相手に想定していた。それはもちろんエリーズ様自身も分かっているだろうに、そんな事は噯気にも出さず別の皇女の名前を出す。

勝手に、そして簡単に結婚なんて選択肢を出してくるという意味では、スペンサー軍総長もジョアキムとそう変わらない。だからエリーズ様が不快な思いをしないかと不安になったのだが、あっさりと自身を政略結婚の土台から下げる事で話を流してしまった。これにはスペンサー軍総長も二の句を告げないでいる。


「では、アスターさん。時間ですので訓練に戻りましょう」

「はい。しかし、エリーズ様は退屈ではありませんか?」

「そんな事はありません。今日のほんの短い間でも、アスターさんの成長は目覚ましく、見ていてとても爽快なのです」

「それなら良かったです。午後も、ご期待に添えるよう努めます」

「アー、仲が良いところすまないが、エリーズは少しだけ残ってくれ。話がある。すぐ済むから」


エリーズ様に促される形で席を立ったところで、スペンサー軍総長にエリーズ様だけ引き止められた。さすがに続けて結婚関係の話にはならないだろうが、エリーズ様は面倒くさそうな顔を隠さない。それがとても珍しく、再三感じていたエリーズ様とスペンサー軍総長の気安さをあらためて知った気分だ。

皇族として、親戚としての身内の話に居座る気にはならず、俺は簡単に挨拶をすませて部屋を辞する。その後、エリーズ様は午後の訓練が始まって間もなく午前と同じ椅子に座って見学をされていたが、その姿からはどんな話をしたのか察する事は出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ