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第五皇子について聞いている間、仕事の出来ないやつだと周囲からも評価されているという事を、エリーズ様の口ぶりから察するものがあった。そして、皇族であっても周りがそう評価する事が出来るのだとも。聞けば、こんな答えが返ってきた。
「国家事業において、最高責任者には必ず皇族の名前が入ります。実務が伴っているかに関わらず、です。功績を上げたければ重要な事業や複数の事業に。権力に興味がなければ小さな事業を請け負うか実務を全て下のものに任せるか、といった具合になっております」
「エリーズ様は、目立たないためにこの図書館に?」
肯定の言葉はなかったが、否定するそぶりもない。
「職務に対する姿勢については、事細かに監査室から監視をされます。嘘偽りなければ、誰がどのような事を報告しようとも罰せられはしません。同時に、監査室も嘘偽りなければその評価を秘匿する義務もないのです」
「それじゃあ、誰でもどの皇子皇女が優秀なのか調べ放題なんですか?」
「ええ。勇者が生まれない時代の皇帝は、そうして最も優秀と評価されたものが選ばれるわけですから、誰だって、勝ち馬には乗りたいと考えるものでしょう?」
つまり、第五皇子はその監査室からの評価が悪い、という事だ。それでもエリーズ様にあれだけ強圧的に出て許されるのだから、力関係が恐ろしい世界である。こんな事でもなければ絶対に関わっていない。
俺がしなければいけないのは、俺自身の評価を第五皇子よりも上げる事。今回の事は、俺が何者か分からないからこそ、エリーズ様を後ろ盾とすれば認めてやるなんて付け入る隙になってしまった。であれば、俺個人で有用性を証明して後ろ盾を得てしまえばその理由はもう使えない。
驚き慄く面々の顔が、次第に笑みに変わる。中から飛び出してきたアントンが俺の隣に並んで、杖を構えた。細かい詠唱までは聞こえなかったが、高く掲げた杖の先にさっきの俺と同じくらい丁寧に魔力を練って、詠唱が途切れると同時にコン! と軽い音を立てて地面に突き立てる。途端に、杖の先端から根元に魔力が走りそのまま地面に伝って土を盛り上げ放射状に広がっていく。離れれば離れるほど大きな波になった土砂は、ついに俺が両断した的五枚をすっかり飲み込んでしまった。
洗練され切ったとても綺麗な魔法だと思った。
的があった場所は少々盛り上がって木の破片が飛び出している。しかし、そこまでの間は元通り以上に綺麗に整地され、あれほど派手に魔力が走った影も形も見えない。打ち出すと同時に立っていられないほどの風を出すような俺の雑破な魔法なんて比べ物にならない完成度。
残心を終えて、アントンはギラギラと輝く目を隠しもせず俺を振り返った。例えるなら、新しいおもちゃを手に入れた子供のような顔をしている。
「見てください! 全力を込めた僕の魔法と同じ威力! あなたの年は? まだ十代半ばと見えます。僕と十歳も違うのにこの威力! 紛れもない天才です!」
この興奮には覚えがある。そのせいで引き攣る口元を隠す事も出来ない。
「し、しかし、俺の魔法は余計な風まで起こしています。操りきれていない証拠です」
アントンの整い切った魔法に比べてなんと無駄の多い事か。俺がこの整い様にどれほど感動したかを伝えたくとも、悲しい事にアントンの勢いの方が強かった。
「そんなものは使い続けていればいずれどうにかなります。要は慣れでしかありません。むしろ荒削りの証左です。伸び代の塊です! あの溢れた魔力まで込める事が出来るようになった魔法はどれだけの威力になるか、楽しみではないですか!」
一を言えば十を返されそうな勢いに、結局いつかを思い出す気持ちで周りに視線をやって助けを求めてしまう。何だかさっきよりもジリジリと俺を囲む人垣が増えて近づいてきている気がするが、しかもアントンと同じような顔をしているような気もするが、一応さっき対応してくれた上役の人がまたアントンの首根っこを掴んで後ろに下げてくれた。
ひとまずは助かったが、やはり周りからの無言の圧を感じる。魔法使いだからか革鎧の上にローブを纏っている彼らは、金属の鎧の武力部隊よりは動いても小さな音しかたたない。けれど、この数にこの近さで囲まれていればそこかしこから革鎧の軋む音が聞こえてきた。
「アスター殿。元々この時間は魔法の訓練のためにあります。どうぞ、またお好きなように魔法を使ってください。彼らにも、訓練に戻ってもらわねばなりませんし」
これは、気遣いなのか、理性的に見せた周りと同じ好奇心の発露なのか。
悩んだのは一瞬で、国で最高峰の使い手たちに少しでも指導してもらえるならこれほどありがたい事はないと、いつの間にか再び立てられていた的にまた向き直った。
それからは、非常に有意義な時間だった。確かに少々興奮具合が鬱陶しくはあったけれど、質問をすれば分かりやすい説明が返ってくるので結局は俺も同じくらい興奮していたはずだ。
昼休憩に入るまで、存分に騎士団の訓練を堪能する事が出来た。
本来なら、俺の訓練参加は昼までだった。午後からは実戦に即した作戦展開の模擬戦を行うとの事で、確かにそれなら俺は参加出来ない。そのはずだった。
「模擬戦は明日でも出来ます。しかし、アスターは明日はいません。今日しかないんです」
「短縮詠唱の長さによる魔法効果の変化と詠唱と命名の同一化は画期的な発明です。もっと検証をしなければいけません」
「素直に何でも吸収する可愛い後輩なんです! もっと可愛がりたい!」
魔法部隊の決死の訴えに、ついにはシュテファン副団長が折れてしまう。模擬戦は武力部隊を中心に、魔法部隊の中でも俺への興味好奇心を抑えられる年嵩の隊員を少し加えて行うとして、後の大部分は俺からの聞き取りに残る事になった。
ちなみに、可愛い後輩のゴリ押しをしたのはアントンだった。
シュテファン副団長から許可をもぎ取ったアントンに肩を組まれたまま、そして周りをアントンと年の近い隊員に囲まれて昼食に連行されかかったが、彼らは訓練場も出ていないうちにビクリと体を震わせて直立不動に姿勢を正す。いきなりの変化に相応のお偉いさんの気配を感じ、俺もなるべく姿勢を正しながら、彼らの体の間からその視線の先を見た。
すっかり放置してしまっていたエリーズ様の隣に、鎧ではなく軍服にマントを纏った大柄な男が座っている。俺が休憩を取らせられた時に座っていた椅子だ。その斜め後ろには、これまた只者ではなさそうな雰囲気の軍服の男。二人の軍服は作りが違い、座っている男の方は服自体は派手ではないが多くの勲章が並び、立っている男の方は軍服にしては華美な見た目だ。座っている男がエリーズ様と親しげに話をしている事などを踏まえると、国軍軍総長の皇族とはあの男なのだろう。
「休憩に入るところなのだろう、そう畏まらなくていい」
俺たちに気づいて立ち上がりながら、深く響く声で言う。戦場でよく轟きそうな声だ。
「だが、アスター君は借りてもいいかな。彼が帰る前に話しておきたい事があるが、午後も訓練して帰るなら疲れて話どころではなくなるだろう」
そう言われて、もちろん断れるわけがない。ほんの少し名残惜しさを漏らしながら、俺は軍総長だろう男に差し出された。
「初めまして。スペンサー・クライド・エオセ・アハトエラだ。気楽にスペンサーさんと呼んでくれたまえ」
「お初にお目にかかります、スペンサー軍総長閣下。アスターと申します。本日は騎士団訓練への参加許可をくださり、ありがとうございました」
許可に見せかせた命令を無視して堅苦しい呼び名を呼んだ俺に、スペンサー軍総長は片眉を上げてからニヤリと笑う。そして変わらず後ろに控えていた華美な軍服の男に何事かを耳打ちしてから、エリーズ様と合わせて俺を手招いた。
「客間に昼食を用意してある。話したい事もたくさんある。そして、時間には限りがある。さ、早く移動をしよう。君の訓練時間を奪ってしまうのは忍びない」
非常に楽しそうにするスペンサー軍総長に、華美な軍服の男とシュテファン副団長が揃ってため息をついているのがやけに目についた。