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「あいつも楽勝なのか、リュカ?」
もぐり鼠たちは簡単に倒していたが、同じ山から現れたこの猛進猪はどうなのか。尋ねたところで、この警戒の仕方を見ると答えは分かりきったものだが。
「普段人の入らない山の奥にしかいないはずのモンスターだ。もぐり鼠たちは、あの猛進猪から逃げるために街道の近くに現れる。つまり、もぐり鼠とは比べ物にならないし、私たちでも少々厄介な相手だよ」
想像通りの答えをありがとう。
猛進猪がまた突進をしてきて答える暇はなかった。
「あいつはとにかく頭蓋骨が硬い! あの突進の後、大きな岩に突撃しても岩が砕けるだけで無傷なくらいだ!」
真っ直ぐにしか突っ込んで来ない事と、頭蓋骨以外はそれほど強度はない事が弱点だ。とまでは、なんとか全員が避けながら説明を続けてくれて聞く事が出来た。しかし、それも長くは続けていられず、次第に余裕がなくなってきている。
いい加減倒してしまいたいが、突進の後は離れた場所で止まるのでクラリスの足でも届かず、シャルロットとエルヴの魔法を打ち出しても流石に猛進猪が振り返る方が早い。どうしても決め手に欠けてしまう事が、厄介の理由らしい。
普段は山の中で相手するので、魔法使いのどちらかが傾斜の上の方で隠れ、誰かが気を引いている間に上から雨のように魔法を降らせるそうだが、今日は平坦な場所でそれも出来ない。
「ようは、転がしてやればいいんだな」
突進に対抗し得る単純な暴力。それなら少しは自信がある。
「うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを」
猛進猪が足を止めてまた走り出すまでの間に詠唱を始めた。それでも目の前に迫るギリギリまで終わらなかったが、援護としてシャルロットとエルヴが火の魔法を撃って目眩しにしてくれたおかげでなんとか間に合う。
「颪」
鎌鼬では、完全詠唱だと暴発した。
では、初めから暴発と同じ効果の発動が狙いであれば?
結果は思い描いた通りの吹き荒れる風が証明してくれた。
俺の杖の先から真っ直ぐに吹き荒ぶ風には、さしもの猛進猪も敵わなかったのか足を滑らせる。前脚の片方が滑ると体を支えられずに倒れ込み、それでも襲い掛かる風に踏ん張る事も出来ずに転がり仰向けにまでなった。
「今だ、行くぞクラリス!」
「はい!」
風が吹き止むかどうかの絶妙さで、リュカとクラリスが飛び出していく。あれだけ暴れた猛進猪も、無様に晒した腹を掻っ捌かれ、ようやく倒された。
猛進猪はこの近くでは珍しいという事で、解体して素材として街の素材屋に持ち込むそうだ。解体自体はロイクが引き受けてくれたが、その手元を観察してみても出来る気がしない。
「……リュカ、ちょっと剣を貸してくれないか?」
「剣は握れないんじゃなかったかな」
「いや、どう持てないのか試してなかったと思って」
確か、剣と認識したものを握れなくなる、といった呪いだったが、どう握れないのかも、自分自身の剣の認識がどこまでなのかも確かめておきたい。包丁やナイフまで範囲に入るなら、生活面にも影響は出るし今後の事を少し考えなければいけないだろう。
ロイクが解体を終えるまでまだ少しかかりそうなので、その間にリュカたちの装備を借りて一通り試してみる事にした。
「それじゃあ、こうして地面に刺して私たちは離れておくよ」
自身の剣を少し離れた場所の地面に刺し立てて、リュカが戻って来る。代わりに俺がその剣に近づき、ゆっくり柄を握った。
ここまでは、どうやら問題なく出来たようだ。「握れない」というからにはこれも出来ないものだと思っていたが、手にはしっかりと柄の滑り止めの模様が感じられている。
一呼吸置いてから柄を握り直して、ゆっくりと引き抜く。まるでアーサー王伝説だと思った瞬間、何かの力が剣から俺の手を弾いた。剣そのものはその場にポトリと落ちて、俺の手はビリビリとひどく痺れている。
「なるほど?」
どうしてそうなるのか全く分からないが、剣を握れないというのは証明された。リュカが寄ってきて、警戒しながら剣を拾ってもなんなく鞘に納められているので、俺の問題に他ならないだろう。
弾かれた直後は握る事もままならないほど痺れていた手だが、少し揉めばすぐに治った。シャルロットが預かってくれていた杖を受け取ってみてもしっかりと握れるし、握力に後遺症のようなものも出ないらしい。
「まさしく、剣を握れない呪い、だな。一体、どうしたらそんなものをかけられるんだか」
「好奇心を満たしてやれなくてすまないが、呪いの原因は現状考えても答えは出ないだろう」
「うるさい。こんな、文献にも残っていないような珍しいもの、考えずにはいられないんだ」
「なら先に、この影響の範囲を調べる方に集中してくれ」
リュカとクラリスは、俺の手を弾いた剣をあらためて検分して、それぞれ振ってみているんだから、エルヴも次の候補のナイフを選ぶ方を手伝ってくれてもいいだろうに。荷物から調理用の刃物を出している俺とシャルロットを横目に、よくもそんな詮ない事ばかり考えていられるものだ。
果物ナイフから出刃包丁、あるとは思っていなかった裁ち鋏まで出てきて並べられる。それぞれ布で包まれていたり革のケースに納められているからか、荷物から取り出すときには触ってもなんともなかった。
「鋏くらいは持てないと困るんだよな」
「そうねぇ。調理用の鋏もたくさん売っているから、鋏さえ持てればナイフも持てなくても料理はなんとかなるわね」
ずっしりと重量のある大きな裁ち鋏は、ロイクが持ってきたものらしい。国軍に所属してから入った成長期にぐんぐん身長が伸びた時、服が足りなくなってもっと体の大きな軍の先輩からたくさんおさがりを貰ったそうだ。その中に混ざる大きすぎる服も着られるように裁縫を覚えたと聞くと、その苦労が偲ばれる。
しっかりと持ち手を握って革のケースのボタンを外し、引き抜く。そっとケースを地面に置いたが手が弾かれる気配はない。何度か刃を開いてみたが、それでも持ち続ける事が出来た。
「よかった! 鋏は持てるみたいね」
俺より先に喜んでくれたシャルロットに頷き返して、鋏はケースに納める。
「次はどうする? 包丁からでもいいが、戦闘用の大型ナイフでもいいんじゃないか」
クラリスが両手に持ち比べて差し出してくれたのは、出刃包丁とそれの倍の大きさのナイフだ。少し考えて、ナイフを受け取った。
「これがダメなら、武器の刃物はやはり持てないという事だろうな」
「だろうな。だが、ナイフが持てるなら弓術士になって、そこから勇者を目指す事も出来るはずだ」
「……勇者、なぁ」
「おや、アスターは勇者はお気に召さないのかな」
「勇者そのものはいいんだが、その周りが大変そうなのがな」
「それは、否定出来ないなぁ」
困ったように笑うリュカが、勇者を取り巻くしがらみを歓迎していない事は理解出来る。
祈祷師の前は幻術師だったシャルロットが使っていたというナイフに巻かれた布を取りながら考えてみたが、俺はどれだけ頑張ってもそれには耐えられないだろう。それが真実勇者のみを取り巻いているのか、皇太子だから余計に邪魔になっているのかまでは分からないが、俺にはそんな責任は負いきれない。
そんな余所事を考えていたからか、ナイフはあっという間に俺の手を弾いてさっくりと地面に突き刺さった。
「やはり、武器の刃物は持てないようだね。もうロイクも解体を終えるようだし、最後に包丁だけ試してみるかい?」
「ああ、そうだな」
手を振って痺れを散らし、もう片方の手でご丁寧に巻いていた布を取ってくれた出刃包丁をリュカから受け取る。地面に刺さったナイフは、クラリスが回収してしまってくれた。
「これは平気なようだ」
右手に持ち直してみても、何度か振ってみても、手を弾かれる事はない。猛進猪の解体を終えたロイクが、食料として回収した肉の塊を試しに切らせてくれたが、それでもなんの問題もなかった。例えばこのままモンスターに斬りかかろうとした時にどうなるかはまだ分からないが、調理に支障がなければ一人旅もなんとか出来そうだ。
一通りの傾向は分かったので、皇都で追加の旅支度も無事こなせるだろう。