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町を出てそれほど歩かないうちに周りに木が増え、地面に傾斜が出てきた。あっという間に景色が山道に変わると、シャルロットとエルヴがそれぞれローブのフードを取った。
エルヴの素顔はもう見慣れ始めていたが、シャルロットがローブを取ったところは初めて見る。ついその姿を見てしまうと、ローブの下に仕舞うためにまとめていた髪を解くところまでずっと凝視してしまった。流石に気まずくなって逸らした視界の端に動くものがあった気がして、また視線が引き寄せられる。
シャルロットの髪が、ふわふわと浮かび上がっていた。
静電気だとかではなく、いくつかのまとまりごとに満遍なく緩やかに宙を漂っていて、目を奪われた。
「……やっぱり、気になっちゃうかしら?」
シャルロットが恥ずかしそうと気まずそうの混ざった顔で、浮いている髪を隠すように耳にかける仕草をするから、その髪がエルフの特徴なのだと気づいた。耳が尖っているかどうかよりもずっと分かりやすいそれが、迫害の原因になっているのだろう。
「揺れてるものとか、動くものって目で追ってしまわないか?」
これが理由のほとんどでもあるが、気にしていない事の証明のためにもシャルロットの気まずさには気づかないふりをする。じっと見てしまった事の行儀の悪さについては謝ると、殊更に安心した顔をするから、こちらまでほっとした。
山道は、結構しっかりと踏み固められていて歩きやすいくらいだった。おかげでごく短い水分補給の休憩を取っただけで、昼前には山頂についた。昼飯は、宿の食堂で用意してもらった弁当で済ませ、下ればすぐに皇都だという話を聞いた直後、問題が現れる。
「アスターはまだ下がっていて、私たちの戦い方を見ているといい」
あの怪鳥以来のモンスターの登場だ。
姿は大きなネズミといった具合だが、前脚の手の部分がモグラのように大部分が爪でしかも巨大。引っ掻かれると皮膚を裂かれるだけでは済まないだろう。と思えば細長い尻尾には返しのように歪んだ棘がついているから、そちらにも当たりたくはない。それが、初めに三匹。対処している間や移動するたびに断続的に次々に現れた。
リュカたちは、素早いそのネズミのモンスターに危うげなく対処した。といっても、ほとんどをネズミ以上に素早く動くクラリスが追い立ててロイクの大盾で叩き潰していたが。時々出る撃ち漏らしは中衛にいるリュカよりも先にシャルロットかエルヴが魔法で倒してしまうし、最初に自信に溢れながら俺を下げたリュカが拗ねてしまう手際の良さだった。
「どうだい、私の仲間たちは頼もしいだろう!」
戦闘を全部四人に任せて俺のいる一番後ろにまで下がってきたリュカの、精一杯の見栄には涙を禁じ得ない。
「あのモンスター、魔法の属性だったら何が効きやすいんだ?」
そのまま沈黙に耐える自信もなかったし、ついでなので辞典がわりにリュカを使う。
「あれは地属性のモンスターだから、水の魔法が一番効くよ」
「……にしては、エルヴは火ばかりだし、シャルロットは満遍なさすぎる気がするんだが」
「エルヴは火属性持ちだし、あのネズミ程度なら不利属性でも余裕なんだ。シャルロットは……アスターにいいところ見せたいんじゃないのかな」
「舐めたやり方でも十分ってのは分かった」
「あれはもぐり鼠という初心者用モンスターだからね。流石に、俺たちだったら舐めてかかるくらいはさせてほしいな」
リュカはわざとらしく顔だけは困り顔にしているが、声には自信が満ちている。その余裕で俺の無知を許して親切にしてくれているのなら、もしも内心で馬鹿にされていても気にならないと分かった。
説明を聞いていた間にも、もぐり鼠は少し移動するたびにいくらでも湧いてくる。鼠の名に違わない子沢山具合だ。しかし、量が多くてすばしっこいだけで、動きは単調で連携が取れているわけでもないからそれほどしないうちに見慣れてきた。こちらも二、三人で組んでいれば対処は簡単そうだし、初心者用も納得する。
となると、いい加減見学しているだけは飽きしまった。
森はまだ深いけれど山道はほとんど降りきっていて、最後まで何もさせてもらえないのは勘弁してほしい。そろそろ戦闘に参加させてもらうかと隣を歩くリュカを見ると、ばっちり目が会った。
「やってみたくなった?」
「お見通しか。じゃあ、やってみてもいいか?」
「もちろんだとも。私も、少しくらいは動いておこうかな」
「……あんたに必要ないのは分かってるが、俺は魔法の制御に自信がないから気をつけてくれ」
「ふふ、後ろから撃たれないように、だね」
何がそんなに楽しいのか、うきうきしている事を隠しもせずに剣を抜いたリュカを前衛として、俺たち二人と今まで戦っていた四人が入れ代わる。ちょうど今いるもぐり鼠は五匹と少ない方だから、二人でも十分だろう。
「私は右から行くよ」
「分かった」
宣言通り少し大回りに右へ走っていくリュカに、もぐり鼠たちの目が向く。一番左側の一匹だけリュカではなく俺に向かってくるが、流石に詠唱が間に合わないので杖を振り上げて叩き落とした。
「由良の門を」
叩き落としたもぐり鼠が動けなさそうな事を確認してから、まずは単発を、まだ固まっている残りの四匹に向けて撃つ。固まっていたせいで逃げ遅れた真ん中の一匹に当たり真っ二つにしたと同時に、リュカが自分の方向に向かって逃げてきた一匹を切り捨てた。
これで二匹倒したが、残りの二匹が散り散りに逃げてしまって狙い難くなってしまった。
「渡る船人 かぢをたえ」
とりあえず、リュカから離れていっている方のもぐり鼠に向かって逃げ道を塞ぐために続きの詠唱で何発か撃って誘導する。リュカも同じように考えていたのか同じように誘導してくれていて、散り散りになっていた二匹がまた合流したところで、仕上げのために大きく息を吸い込んだ。
「ゆくへも知らぬ 恋の道かな」
二匹ともに確実に当たるように、下の句分の魔力を込めて大きな鎌鼬を作る。しかし、少々大きく作り過ぎた。剣でもぐり鼠を追い込んでいたリュカは合流した二匹にも近い、確実に巻き込まれてしまう位置にいる。
そのまま撃ち出していいのか迷ったのは一瞬。自信たっぷりに笑ったままのリュカの顔が目に入って、心配の必要なさを理解した。
狙い違わず、残りの二匹は横真一文字に切り裂かれた。
「リュカ、無事か? ……無事だな」
大きな風で顔を上げていられず、リュカの動向を追えなかった代わりに声をかける。だが、そんな必要もなく背けた顔の先、叩き落とした後ようやく動けるようになってしまったらしいもぐり鼠を、軽く切り捨てるリュカがいた。
この術の余波で出来る風の影響を受けるのは、今後の課題としておかないとだ。
「やあ、凄いな、アスター。シャルロットとクラリスに聞いていた通りだ。戦い方も上手かった。やりたい事がしっかり伝わってきたよ」
血振りをして鞘に剣を納めながら、リュカは相変わらず爽やかに笑う。変わらないその顔を見ると、緊張のせいで震えていた手もすぐに落ち着きそうだった。
「危ない、リュカ、アスター!」
自分が初めての戦闘に緊張していたのだと自覚して、しかもそれが緩んだ瞬間だったのがいけない。
シャルロットの悲鳴じみた声が聞こえた瞬間に、リュカが俺に飛びかかり、俺たちが今の今までいた場所を黒く大きな塊がその全容も見えないくらいの勢いで通り過ぎていった。
リュカが俺も一緒に巻き込んで飛び退いてくれなければ、あの塊に轢かれていただろう。一拍遅れて、心臓が痛いほどに脈打ちはじめた。
「猛進猪が山を降りてくるなんて、本当に、この世界はおかしくなってしまったのか」
止まった事で見えた全容は、異様に大きな前脚の猪。そいつとまだ立てていない俺とリュカの間に入って盾を構えたロイクが、呆然と呟いた台詞がやけに印象に残った。
狙いを定めているのか、猛進猪とやらが前脚に比べるとやけに小さく貧弱にも見える後脚で地面を掻いている間に立ち上がり、俺もリュカもそれぞれ武器を構える。シャルロットたちもさりげなく広がり、猛進猪を囲んだ。
けれど、そんなものは意味がなかった。
走り始めた猛進猪は、ほとんど前脚だけで走っていて、後脚は浮いているように見えた。あまりにも速さとそこに乗る体重のせいで、俺たちの前に立っていたロイクも防ぎきれずに盾を弾かれる。作ってくれた一瞬の猶予の間に慌てて飛び退いて避けると、再び猛進猪と俺たち全員が向かい合う位置取りになった。
「面倒くさい奴が出てきたもんだな」
ついつい愚痴が漏れてしまったが、その後のため息は猛進猪の臭い鼻息に掻き消された。