身代わりの代償
「十八歳以上の全国民に、第二の自分である、インテリジェンスロボットを配布する」
◇◇◇
政府がそう決定してから、一年後の今、否応なしに十八歳以上の国民の元にそれが届いた。
三十八歳の私の元にも。インテリジェンスロボットと呼ぶより、名前をつけた方が愛着がわくと思い、私はそれを〝さつき〟と名付けた。私の誕生日が五月だから。
〝第二の自分〟というだけあって、さつきは、見た目も私と瓜二つだ。顔写真や学歴や性格やありとあらゆるデータを自治体に提出した。それを元にさつきは作成されたらしい。
ストレス社会で過労死や自殺者、精神に不調をきたす国民が、ここ数年で倍増している。いわゆる〝働き盛り〟という社会を支える年代が、そういったことで減少しているため、ストレスを回避する対策として、政府が打ち出したのが、インテリジェンスロボットだった。
例えば、出席したくない会議にインテリジェンスロボットを代理で出席させたり、緊張を強いられるプレゼンをインテリジェンスロボットにお願いしたり――とにかく、自分がストレスを感じる場面をインテリジェンスロボット変わってもらうことで、ストレス軽減をはかり、健康に社会生活を送れるようにする。というのがねらいだ。
私もこれまで何度か嫌だなぁと思う場面を、さつきに変わってもらった。
職場の飲み会。月末、月初の残業が必要な日……
住所や時間、その日することをさつきに入力すると、自動でその場所に時間通りに移動し、活動してくれるから助かる。
しかも、一旦外に出ると、さつきは生身の私と変わらない動きをするので、周りは私本人なのか、さつきなのか区別がつかない。
だから、私が仕事で電話対応をしている相手や、給湯室で無駄口を叩く先輩社員も、もしかしたら本人ではなくインテリジェンスロボットなのかもしれないのだ。
さつきを出動させた日は、体内のチップに保存された、その日一日のデータをパソコンで確認する。さつきが見たもの、聞いたこと、対応したこと、全てが確認できる。
そのおかげで翌日、何食わぬ顔で業務の続きができる。
おかげで、ストレスは減った。
以前はストレスのせいで、やけ食いばかりし、社会人になってから10キロ近く体重が増えた。でも、さつきを活用するようになってから、やけ食いすることがなくなった。体重は減らないけれど……
私だけでなく、他の人もインテリジェンスロボットに救われているようで、過労死や自殺者が減少したと、この前ニュース番組が伝えていた。
私はインテリジェンスロボット開発者に尊敬の念を抱いている。
◇◇◇
さつきとの生活にも慣れてきた。
毎日が、ノーストレスだ。
例えば今週。
月曜日 気難しい取引先との打ち合わせ。
水曜日 定例の会議。議題が終わるまで会議は終了しない。大嫌いな会議。
木曜日 仕事ができない後輩、島谷につきっきりで見積書作成の指導。
これらのことを、さつきにお願いした。
さつきが働いてくれている間は、自宅待機しておかなければいけないが、自宅にいさえすれば何をしていても構わない。天国だ。
そして、木曜日の夜。さつきは疲れを見せることなく帰ってきた。
「お疲れ」と声をかけ充電してやる。充電中、さつきは目を閉じる。
明日一日、適当に仕事をこなせば今週も終了だ。
来週はどこでさつきを活用するか。私はスマホで予定を確認した。
それにしても、さつきはよく働く。チップのデータを確認すると、それがよくわかる。
今日は見積書作成の指導に加えて、取引先からのクレーム対応をお願いしたのだった。島谷が納期を間違えたことのクレームだった。島谷の指導係である私に全責任がくる。
耳を塞ぎたくなるような取引先の怒号に、冷静にかつ丁寧に対応する私。
隣で謝罪する島谷の声も聞こえる。島谷は本人だったのだろうか。いや、いつまで経っても仕事を覚えないアイツのことだ。きっと本人ではなく、インテリジェンスロボットだろう。
◇◇◇
インテリジェンスロボットは週二日は休ませるように、と政府は推進していた。インテリジェンスロボットは感情を持たないが、人間と変わらない働きをするだけあって、機械的に非常に消耗するらしいのだ。
故障した場合の修理は自己負担。万が一、事故があっても保障はしてもらえない。
だから、大切に扱わないといけないのだ。
さて、今週の予定を確認しよう。
火曜日 売り上げ報告の会議。これは嫌だ。このところ、業績が伸びずにいるので、何かしら叱責か責任の有無、改善点を追及されることになるだろう。さつきの出番だ。
木曜日 送別会。同じ部署の後輩が出産を機に退職するのだ。あまり好きな後輩じゃないし、「中野さんはいい人いないのー?」なんて訊かれるから、死ぬほど居心地が悪い。これもお願いしよう。
私はこうやって生身の自分とさつきを使い分けているけれど、中には全てインテリジェンスロボット任せという人もいるらしい。
そういう人間のもとに、配布されたインテリジェンスロボットが気の毒だ。まぁ、当のインテリジェンスロボットは「コイツ……」と思ったりしないのだけれど。
金曜日。
今週は火曜日と木曜日は自宅待機だったので、週五働いていた時に比べると、楽なはずなのに五日間続けて働いたような疲労感が体にまとわりつく。
人間は楽することにはすぐに慣れてしまう。
私が住んでいるマンションは四階建てだけれど、エレベーターがない。どんなに疲れていても、部屋がある四階まで階段を上るしかない。
鉛の塊みたいな体を引きずるようにして、階段を上った。
「ただいまー」と部屋の電気をつけると、壁際に座らせているさつきと目が合ったような気がした。
◇◇◇
土日の休日はあっというまに過ぎていく。寝だめして、洗濯して掃除をして終わる。毎週同じことのくり返し。
スマホで月曜日からの予定を見る。今週は新規の顧客に、商品の見積書を早急に送付しないといけない。それを作成するのが島谷だった。
自分で作成した方が早いし間違いもないから、さっさと作成してしまいたかったけれど、上司から島谷に作成させるように指示が出た。「いつまで経っても仕事を覚えないから」と。
「14時までに作り終えてね」と具体的に指示をしないと、島谷はいつまで経っても、書類を完成させることができない。
しかもミスだらけ。一から作り直すのと同じくらいのミスがある。
新規の顧客にとっては、正確さと迅速さが求められる見積書。無事、完成するのだろうか。気が重くて仕方ない。
と、いうことで月曜日に早速、さつきを出動させることにした。
月曜日の朝、さつきに今日、依頼する業務を入力する。
――新規顧客 ◯◯株式会社と△△商事への見積書作成 島谷に指導 11時までに
「承知しました」とさつきが言う。
私が出勤するのと同じ時間に、さつきは玄関に向かう。自分で部屋のドアを開け、出て行く。頼もしい限りだ。
今日もドアを開けると、その向こうに姿が消えた。
――ピ! ピ! ピ! エラーデス エラーデス
扉の向こうから、けたたましい音と機械的な声がする。
――エラー? さつきが?
今までこんなことなかった。慌ててドアを開ける。
目の前にさつきが立っていた。私に背中を向けている。
――ピ! ピ! ピ! エラーデス エラーデス
どう対応したらいいのだろう。けたたましい音が、余計に私を焦らせる。
さつきの正面に向かう。と、その時、さつきが腕を振り上げた。私の体を力いっぱい押す。
不意打ちの出来事に私はバランスを崩す。真後ろには階段。
ドダダダダ……
転がり落ちる音が、頭の中に響く。三階の踊り場まで落ちた時、自分の首が、あり得ない方に折れ曲がるのがわかった。骨が砕けるような音が脳内に響く。
――ピ! ピ! ピ! エラーデス エラーデス
◇◇◇
「続いてのニュースです。昨日、都内のマンションで女性の変死体が見つかりました。側にはインテリジェンスロボットが立っており、インテリジェンスロボットによる事故だと思われます。」
「また、このインテリジェンスロボットは、犯行を認めているということで、専門家からは、インテリジェンスロボットが感情を持ち始めている可能性があると懸念する声が出ています」
「政府はインテリジェンスロボットの使用を一旦見合わせることを検討中です」
読んでいただき、ありがとうございました。