欲望と身近な対象〈サイ〉
ミキさんとチャリで走っていたら、妙な気持ちになってしまった。
どこかで一人処理するしかない。
だって、陸軍二等兵1年、奴隷半年の生活の間、誰ともしてないんだぜ?
軟禁されてる宿舎内で彼氏作る男がいるからって、その事自体には驚くことでもなかった。現場見ちゃったから動揺したけど。
戦前付き合っていた彼女とは、音信不通になった。もう、一生会うことさえないと思われる。
会うたびに、あんなに愛し合ってた仲だったのに、既に顔も思い出せなくなってる。フルネームさえ、すぐには出てこない。あの子の背中のほくろの位置は覚えてんのに。
たった1年半前のことなのに、すっごい大昔のことのように感じる。きっと向こうだって同じだろうな。俺を待ってるわけない。もう、死んだって思ってるかも。
今わかる。俺ら、心は繋がっていたわけじゃなかったって。
何も考えずふわふわ生きていたあの頃。なつかしいな‥‥‥
今は命懸けの脱出をしてる。共にいるのはなぜか俺を脱走のパートナーに選んだ綺麗な女。
こうして彼女と一緒にいるのが不思議だ。俺を信用してくれたことも。
そんなに俺からいい人オーラ出てるとも思えないんだけど?
やはり戦前から俺のこと知ってたんじゃないかってチラリと思って、思いきって聞いてみたけど違った。
葛の茂みの中でのキスの意味が気になった。女の子のおまじない的なものだったのかも知れないけれど、こっちは意識してしまう。
ミキさんともっと出来んのって、下世話な想像をしたりして。
───ダメだ。
俺が妙な動きを見せたら俺らの信頼関係は崩れてしまう。ここは自重が大切だ。彼女は俺のただ一人の信頼出来る仲間なのだから。
性的対象じゃない。
なのにここに来て距離感が近づく。
彼女が先に提案して、お互い呼び捨てにすることになった。
「サイ‥‥‥」
───ミキさんがそう呼ぶのは、仲間としてってわかってんのに。
その響きは、かつて俺をそう呼んでた、昔の彼女を思い出す。
あれこれ思い出して、心が疼く‥‥‥
俺たちは自転車を一旦降りて押して、辺りを見回しながら歩く。
休む場所を探してる。俺たち少し休んだ方がいい。まだ夜は長い。
二人の背中の傷もちゃんと手当てし直さないと。
この辺りは一部ビル爆破されて更地に戻ってる区画もあるけれど、ほとんどはまだ手付かずようだ。
そう言えば、奴隷が足んないって誰か言ってたな。怪我人も多いし。
戦前は、こういった廃墟を面白がって、肝試しに行くのも流行ったけれど。
それって、平和だったからだよな。
まさか都市まるごと廃墟を、リアル探検する羽目になるなんて。しかも命を懸けて。
不安は過るけど、ミキがいてくれるからがんばる。彼女を護んないといけないから。ヒョロくたって、俺の方が力も体力もある‥‥‥はず。
「PURE VENOMまでどれくらいあんのかな? 見つかったとしても、俺らを仲間に入れてくれるかなんてわからないよな‥‥‥」
「そうね。イスターン人の『希望の彗星』なんてキャッチコピーまであるし、イスターン人だってわかってもらえれば助けてくれるんじゃない? 私たちはイスターン人が収容されてる奴隷宿舎の多少の内部情報だって持っているし、追加の弾は無いけど、このショットガンだって献上出来るわ」
「待てよ! それはミキが持っているべきだ! ミキの戦利品だぜ? ‥‥ったくさ、ミキはすげーよ。一体どうやってあの大男を倒したんだよ? 後で秘訣を教えてくれよな」
これは、マジでお願いしたいってば。
「秘訣? それは、人体の仕組みを知ることね」
「あん? 他の看護師は番兵倒せないって‥‥‥」
「まあ、コツは必要ね。‥‥それでこの散弾銃、私には扱えないし、持ってるのも負担だわ。そこまで重たいわけじゃないけど」
「じゃあ、俺が持つ。ナイフはすぐ出せるようにミキが持ってろよ?」
「うん、じゃあお願いね」
渡されたレミントンを肩に掛ける。戦時に多少撃った事があるから、それなりには扱える。
先ほどから、ネコの鳴き声が響いてる。今夜はネコの集会日?
「ねえ、サイ。このビルのここ、地下鉄への入口がここにあるみたい。この辺りのビルの地下街とも繋がっているのよ。見て! 駅名の看板が落ちてる。ここはシルバリー駅へ繋がる下り階段よ! 入口凄く崩れているけど、ガレキをよじ登って隙間から下に行けるんじゃない?」
「地下は‥‥‥有毒ガスがたまってる可能性があるし、地下水で水浸しになってるかも‥‥‥」
「でも‥‥‥今の聞こえた? 奥からネコの声がしたわ」
「ホント?‥‥‥どれ?‥‥‥‥わっ!!」
俺が覗き込んだら、ひょっこり子猫が一匹飛び出して来た。
人馴れしてんのか、まだ人を怖がることを知らないのか、俺たちに向かって何かミャーミャー言ってる。
ハチワレの白黒。腹減ってんのかも。
「きゃー! かわいい!! 子猫がいるんなら、中に人が入っても大丈夫じゃない? おいで、ねこちゃん」
ミキはすっかり子猫に魅せられてる。子猫に手を伸ばす。
今のうちに注意しておかねーと。
「触んな! ノラだし、どんなウイルスや細菌に汚染されてっかわかんないだろ! 俺たち今病気になったら、それは棺桶に片足突っ込んだってことだぜ?」
俺は彼女を無理やりこっちに向かせて、キツく言った。
「ご、ごめんなさい‥‥つい。看護師の私の方がよく知ってるはずなのに。この子、あまりにも可愛くて‥‥‥」
「確かにね、そういう魔力が働くからね、こういうちっこいやつらって‥‥‥」
「‥‥‥あの、サイ。腕、痛い‥‥‥」
俺はハッとして、力任せに掴んだ彼女の二の腕から手を放す。
「あ、ごめん!」
「ううん‥‥‥」
二人の間に微妙な空気が流れる。
向かい合って沈黙‥‥‥
俺の方を向いたまま、うつ向いたままの彼女の小さく揺れる長いまつ毛。
目の前には美人。
不本意にも、モヤモヤためてる男が一人。
瞬く星空の廃墟の世界で二人きり。今なら邪魔者は誰もいない。
このシチュエーションと来たら。
───ああー、俺はもう我慢できないッ!!
いきなり彼女を抱き寄せた。
「俺、ミキにキスしたい。許す?」




