語学とパンチ〈ミキ〉
「止まれッ! 撃つぞ!!」
私は銃を突きつけられて、数メートル手前で止まって両手を上げた。
「あの‥‥‥宿舎の中で暴動みたいなんです」
ミディカン語で私は言う。
ここの収容所宿舎に来てから、初めて使うミディカン語。
***
ここのミディカン人たちは、私がミディカン語がわかるって知らなかったから、私の前で用心もせずに伝達事項や、内部事情も、噂話も普通に喋ってた。
ミディカン人たちが見てたパソコンのディスプレイに写し出されてる文字だって盗み見出来てた。
彼らは私にはわからないと思い込んでて、特に隠そうともしてなかった。
ミディカンでは、イスターン人の大半は、自国語しか出来ない劣った民族だって認識されている。
イスターン人奴隷は事前に能力別に選別されて各所に送られているから、特にこの宿舎にいるイスターン人には警戒などしていない。
私は語学は趣味の延長でほぼ独学で学んでいたし、ミディカンへの留学経験も、専門教育も受けてはいないから最初は専門用語はよくわからなかったけれど、聞いている内に理解出来ていたし、ほとんどの会話内容は理解出来ていた。
実際、国民ナンバーから私の学歴経歴を照会した所で、この事実はミディカン側には知られることはない。
だから、他のイスターン奴隷たちが知らない情報もゲット出来てた。情報があれば優位に動ける。だから、サイさんに迫る危険も知れた。
私の所属する衛生看護部の室長は、自国語の他に、イスターン語、ほぼ世界の公用語になっているアトラナ語の3か国語を操る。実は私も全く同じ語学のトリリンガルだった。
室長は、パソコン画面をしょっちゅうつけっぱなしにして席を外す。お手洗いに行く時も。だから私が盗み見るのも造作はない。
今朝のディスプレイには、各収容所に宛てた明日の健康診断呼び出し指令リストが出ていた。
そしてそこにはサイさんの名前が‥‥‥!!
これが意味することは────死
‥‥‥それがなぜ死なのかわからない人は、人生に充足している人だと思う。美しい世界しか目に映らないような。
それなりにはあなたを満足させているあなたのいる世界は、大変脆い砂上の楼閣だって事実を認識するのを避けて、幸せに生きている人。
無知は幸せ。自分の興味を引くことにだけに心を向けて、生きている。生きていられる。
だけどそれってある意味、罪。
自身にも、周りの人にも、いずれは全体にも、危険を与える可能性を秘めているから。
***
今夜までしか猶予はなかった。本当にギリギリ。
覚悟を決めて、気持ちを整えるのが大変だった。でも、彼のためになら頑張れる。
───幼い頃、同じマンションにミディカン人の同じ年の女の子がいた。
にこにこして、優しい子だった。私たち、言葉は違うのに気持ちは通じたの。
私たちはすぐに仲良くなって、遊ぶうちに自然と語学交換していたの。彼女はイスターン語を、私はいつの間にか簡単なミディカン語を話せるようになっていた。だからミディカン国の文化にも親しみを持つようになっていたの。それからは、自らミディカン語を学んで行った。
高校に入ってからいじめを受けるようになった。
『ミディカン国の文化が好きで、ミディカン語も話せます』って、自己紹介が原因だった。
それからだんだん言われ始めた。ミキはスパイだの、非国民だのって。イスターンから出て行けって。私はイスターン人なのに。
その頃は世の中が不穏な空気に包まれつつあったせいもあったと思う。
ミディカンに、批判的なニュースが流れはじめていた。
***
「撃たないで!」
「なんの用だ? ゲートに近づくな!」
───こうして銃を向けられても、咄嗟に弁明することが可能なんだもの。
ミディカン語を話せたことで、高校では死ぬ手前まで追い詰められてしまった私だけれど、今はミディカン語を話せるから生きる希望が繋がっている。人生ってわからないものね。
「私、ちょうどゴミ捨てで、外で一人で作業してたから中に戻るのが怖くなってしまって‥‥‥中の空気が物々しくて‥‥‥」
「暴動? って、‥‥‥お前ミディカン語を話せるんだ? ここじゃ珍しいな」
あ、ジェスチャーを交えてもっとぎこちなく言った方が良かったかしら? 番兵が気にするとは思わなかった。
「最近、カタコト覚えました。えっと、そんなことより、中!‥‥‥暴動‥‥‥奴隷グループ同士が対立、ケンカ騒ぎになったみたい。皆、気が立ってる。巻き込まれたら怖いです。それまで、ここにいたいです。私、怖い‥‥‥」
上目遣いでじっとみつめた。
さりげなく見せる胸元。
この男の視線が動く。
そうよね。ここには圧倒的に女性が少ない。あなたも誰でもいいんでしょ? 女ならば。ウェイ少佐みたいに。
「‥‥ああ、それでさっきの放送か‥‥‥仕方がないな。女、こっちへこい!」
「きゃっ!」
乱暴に腕を引っ張られた。下卑た薄ら嗤いが浮かんでる。
知ってるわ。あんたたちのすることなんて。
ゲートの脇にある小さなプレハブ小屋の裏に連れ込まれた。
目立たない所に自ら行ってくれるなんて、とても親切な人ね。
「あの‥‥‥」
壁を背に、震える私。
油断してショットガンを手放し、壁に立て掛けた。
私に壁ドンとは。くすっ‥‥‥
昔、流行ったらしね。リバイバル映画で見たことあるわ。
「‥‥‥黙っとけ。いいな?」
「やめて‥‥お願い‥‥‥」
私が気弱に振る舞えば、ますます口角上がるのね。女をいたぶれて楽しいの?
でも、ごめんなさい。私急いでるの。
「‥‥口でするから、それで許して‥‥‥お願い‥‥‥」
「‥‥‥マジ?」
嬉しそうにガチャガチャベルトほどき出すおバカさん。ズボンが下がったら、もう走れないね。
───時宜を得ました。せーの、
ガギッ‥‥‥
「あうッ‥‥‥うううう‥‥‥‥」
私は顎の先を狙って横から右パンチ。脳を揺らすのは効果的。これは作為的脳震盪。
あれ? よろめきながらも耐えて立ってるなら足りないようね。
すかさず正面からみぞおちめがけてキック。
ボディアーマーは弾丸は止まって肉が裂けるのを防ぐけど、受けた衝撃が無くなるわけじゃない。それに動きづらい。
私の攻撃は、そのままターゲットを後ろに倒す。
私がこんな乱暴を働くなんてね‥‥‥
戦争は人を変えるの。変わらなければ生きては行けないから。
従軍看護師になり、負傷兵たちとまみれたあの艱難の1年間───
狼に変わるのは人種は関係ないみたいよ?
間髪入れず、すぐそこに立て掛けたショットガン、レミントンの銃身を掴んでそのまま、倒れた腹に一発銃把をつき下ろす。
よし、動きは完全止まった。
このまま倒れていてくれるなら、あなたの大切な局所には触れないでおくわ。
ごめんなさいね。お腹が冷えてしまうかしら。まだ、夜は少々冷えますし。
ショットガンの負い紐を自分の肩に斜めに掛けて背負ってから、番兵のベルトに付いてる付随品を探る。
どれが門のカギかしら? アナログなカギ3つ。あ、この小刀も頂きますね。
表に出てサイさんに手を振って合図。
刹那、隠れてた茂みからバッと飛び出して来た。
サイさんの姿を確認したら、次の作業。カギの大きさから一つに見当をつけて回してみたら難なく開いた。門扉を横に押して開く。
やったぁ! サイさん、早く!!
二人で門を抜けると、宿舎の裏側から複数の犬の声がした。
───追跡犬が放たれたんだわ!!
少佐殺しの犯人追跡のため? それとも、そろそろ私たちの脱走に気がついた可能性アリ。