03:29
―深夜のホテル内部・雅子、ライアー―
ふとした事からライアーに見付かってしまった雅子は、眼前で暴れ回る変幻自在の生命体をどうやって足止めしようか、考えながら必死で逃げ回っていた。
「ぬぉっとぉ!早っ!スライム早っ…って思ってたら次は人間大の猫かい!
しかもスフィンクス!?
小さいから可愛いけど、でかくなると最早気持ち悪いわ!」
「NNMYAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
ダッ!
毛のない猫―スフィンクスに化けたライアーは、雅子のその言葉に腹を立てたのか、それとも全く別の理由か、雅子目掛けて飛びかかる。
「ひぃぃぃ!こっち来たァ!」
全速力で逃げる雅子。盛大に壁へと激突するライアー。
ズドォアン!!
大理石の壁にぶつかり、猫の頭が砕ける。
一応ダメージは喰らったようだ。
シュオォォォォォォォォォ…
ライアーの頭部が次第に元に戻っていく。
それはまるでバラバラになった変形菌が集まって再び巨大化するかのようだった。
「…流石。どうりであのシンバラが怖がって外に出したがらないわけだ。
まぁ良いか。
ここで止めておかないと、此奴が寿命で死ぬ前に日本人は全滅してるわけだし、そうじゃなくても陽一さんの命だって無駄には出来ないからねーっと…」
雅子はヤスリで作ったロングナイフを手に取り、それを構えて言い放った。
「さあ来なよ、嘘吐き君。
私はどうなっても良いんだよ、例えアンタに殺されてもね…。
ただ、私はアンタをここから逃がすつもりなんて、一切合切無いからさぁ…」
そこで暫く黙り込み、深呼吸をしてから、巨大不毛猫種に化けたライアーを睨み付けながら、凄んで言い放つ。
「宜しく!」
対するライアーもまた、雅子が一筋縄では行かない相手である事を悟った。
ライアーは己の持つ人為的に植え込まれた人間と同等の知能で考えた。
「(この女…只単に俺への恐怖を揉み消すために凄んでいるのか…?
否、違う。
そうであれば体制は屁放り腰、四肢は独特の動きで震えているはずだ…。
ではこの女…何も考えないとんでも無い馬鹿なのか…?
否、違う。
そうであればもっと頭髪は派手な色合いで、服もまた如何にも金の掛かりそうな物を着ているはずだ…。
では何だ…この女は…?)」
ライアーは二十秒に及ぶ熟考の末、結論を弾き出した。
「(そうか…この女は…。
気高き覚悟の元に、
現在における己の正義や己の役割というものを見出し、
それを全うするために愚かながらも熱く燃え上がるような素晴らしき自己犠牲の精神を持った…
戦士か…!
見たところ戦に向いた身体とは思えないが、この私を殺し尽くすという自身が、その為の秘策が有るのだろう…。
ははは…何と面白いことか…。
空きっ腹を満たすためにここへ寄った予定が、こんな所で生涯初の戦いを経験することになろうとは…!
面白い…面白いぞ…人間……我々を作り出した………我々の生みの親の…その者達の…誇り高き眷属よ!)」
ここでライアーは初めて口を開く。
「ならば!
ならば良かろう!
私はライアーとして、一生命として、一物体として、お前を殺し、見事全生物の頂点と為って見せよう!」
「(口を…開いた…?)」
「但し人間よ…お前は私に喧嘩を売ったのだぞ…?
この嘘吐きに…。
私はこういう時こそ正直だが……まともな戦いを出来ると思うなよ!」
ギュオゥ!
バシャ!
バシャン!
バシャァァァ!
ライアーは自身の身体を液状化させ、染み込むようにして逃げていった。
それを見ていた雅子はというと、
「お安い御用ーってか全力で相手させて頂きますからァ…。
んで名乗り遅れたけど、アタシは楠木雅子。
東●P●●e●t、H●L●S●●G、う●わ●るも●なんかのスタンダードなノーマルカップリングが大好物の動物学科に通ってて同人活動もやってる、花は花でもトリカブトとかトウゴマとかカロライナジャスミン的な感触の大学2年生。
キャンパスの蝶ってよりも研究室のコウモリガ。
ついでに言うと週刊ゲーマー通信でモ●ハ●関係の記事書いてて、更には漫画原作もやってる中堅売れっ子変人記者こと手塚松葉の後輩でもあるわよーん。
よーろしーくねーっと」
そんな感じに自己紹介を済ませた。
―同時刻・プール更衣室・とある少年―
恐怖の出来事から命辛々逃れることの出来た少年は、ひとまず水着から私服に着替えていた。
「…何なんだよ…アレは…。
あんなの見たこと無いぞ…どこの本にもあんなものの情報は無かった…。
いったい何なんだよ…死んだ皆は「アレ」に喰われたんだろうけど、だとしてもアレの正体は何なんだ…?
地球外生命体?
馬鹿馬鹿しい!SFじゃあるまいし!
いやでもエウロパの存在を考えれば否定は出来ないな…。
妖怪?
もっと馬鹿らしい!ファンタジーじゃあるまいし!
いやでも昭和40年までは警察に妖怪科があったと聞くよな…。
…
じゃあ…アレは一体何なんだ…?」
着替え終わった少年は暫く考え、最も妥当な結論を出した。
「他の生存者を捜して、一緒に脱出しよう!
あんな化け物と一緒に寝泊まりするなんて、絶対にご免だ!
ヌ●●ギのパシリの方がまだマ…いや、同じくらいか…」
さて、
読者諸君はお気づきであろうがこの少年、実は物語において非常に重要なポジションにあるかもしれない人物なのだ。
そう、第1話。
俊之がライアーに腕を喰われた瞬間を目撃したのが―つまりこのホテルで最初にライアーを見付けた人物こそ―彼だった。
決意を固めた少年は、ひとまず部屋に戻り荷物をあらかた纏め上げ、自分以外の生存者を探す為に廊下へと繰り出した。
―同時刻・一階売店前・雅子―
雅子は売店の前にいた。
「…とりあえず腹お腹空いたわ…スナック菓子でも取って食べよう。沢山取っておけば生存者が居たときに分けて上げられるし。
後々窃盗とか言われても、うまくズラかれば大丈夫。ってか仕方ない。仕方ない。」
そう言うと雅子は売店の商品棚に手を伸ばし、スナック菓子や土産物の食べ物を中心に次々と手にとっていく。
あらかた取り尽くした所で、収穫の一つである袋入りスナック菓子の袋を開け、一撮みほど掴んで食べ始めた。
ガサ…バリバリッ…ザクッ
ゴシュ
ゴシュ
ゴシュ
ゴシュ
ゴシュ
ゴシュ…
「…んむ…みゃっまりもっしぃ…」
(訳:んー…やっぱり美味しい…)
ゆっくり噛み砕いたスナック菓子を飲み込んで、指までしゃぶっている雅子の態度は、まさに余裕綽々といった風である。
そしてその隙を、ライアーが見逃す筈事など、当然有り得ないわけで。
現にライアーは、売店付近にある洋楽合唱とジャズミュージック演奏と英語のコントを繰り広げるヌイグルミに化け、チャンスを伺っていた。
「(…さぁ…くつろげ、楠木雅子…!
私は何処にも見えないぞ!)」
と、こんな事を思っているに違いない(推測かよ
さて、一方雅子はというと、当然ライアーの存在になど気付いていないように見える。
ライアーが化けた人形のある台座を見るための設置された椅子に、雅子はのんびり座り込む。
そしてポケットから何かを取り出そうとしている。
ライアーはこれを願ってもないチャンスだと思い、雅子目掛けて一気に擬態を解いて襲い掛からんとする。
しかしその瞬間、雅子は両手になにやら半透明で筒状の物体を持っていた。
というか筒状の物体を、
構えていた。
そして鋭い爪を持った身軽な怪物に化けたライアーが、そのかぎ爪を雅子に振り下ろそうという瞬間。
ポォン!
軽い破裂音と共に、筒の先端から小さなオレンジの球体が勢いよく発射された。
球体はライアーの頭部に直撃後、頭の中央までめり込み、頭の内側から大爆発を起こし、ライアーを後ろへと吹き飛ばした。
雅子は吹き飛んだまま動かないライアーに、淡々と言い放つ。
「300円エアガン。
ホームセンターなんかに売ってる注射器に、切ったボールペンを繋げて空気圧でBB弾を発射する、低価格ながら強力な発射装置。
とはいっても、今回仕込んだのは特別仕様で中に火薬と燃料が入ってたけどね。
中身をどうやって爆発させたかは、お察し下さいっと…」
雅子は更に、何やら小さな金属製のボトルの蓋を開け、白煙を発する中身を動かぬライアーにかけた。
カヂィ…キョロロロロロロロロ……ッ
ライアーの身体はみるみるうちに凍結していく。
「液体窒素。
暫く眠ってておくんなまし。
アンタの弱点が火なのは判ったけど、火種も燃料も無いから焼けないんだよね」
凍り付いて動かないライアーを尻目に歩き出す雅子。
「さーて燃料燃料〜っと」
どうやら火種と燃料を探しに行くらしい。
雅子は小走りでその場を後にした。
目の前に倒れているライアーを、全て凍らせたと思いこんで。
―同時刻・ホテル内部・少年―
「畜生…何て有様だ…。
こんな事が…こんな馬鹿なことが現実なのか…?」
少年は、独り言を呟きながら、血肉によって赤黒く染まり、生のまま常温に放置された臓物の放つ強烈な腐臭の漂う、惨殺死体や血染めの白骨が散乱したホテルの中を、自らの足でただただ歩み続けた。
生存者を捜して。
だがしかし、現実とは厳しい。
前後左右を見渡せど、広いホテルを探せども、生存者など居なかった。
それどころか、部屋で休んでいた筈の自分の両親までも、無惨な死体で見付かっていた。
その悲しみは少年の心に、とてもとても大きく深く痛々しい穴のような傷を残酷にも空けたのだ。
少年の独り言はまだまだ続く。
「だとしたら……僕が今まで見てきた世界は…僕たちが今まで見てきた世界は…只の下らない幻想だというのか!?
巫山戯るな!
誰がそんな世迷い言を信じるか!
こんな生き地獄のような―否、生き地獄そのものの世界を、誰が現実だなどと潔くと認めるものか!
誰も認めまい!決して誰も認めまい!
例え世界がこの生き地獄を現実として受け入れても、僕は絶対にこんなものが現実だなんて受け入れない!
例え何を裏切ってでも、例えこれが現実であり、今までの平安は全くの幻想であったとしても決して、決してこれを現実とは思わない!
罵られても、罰を受けても、僕は…幻想に走る!平和という名の幻想に!」
眼前で友を喰い殺され、両親の無惨な死体を見せつけられた少年の怒りは、既に恐怖を吹き飛ばすほどのものであった。
少年は元々比較的温厚な性格であったから、誰かを本気で殺したいほど憎んだり、如何なる犠牲のもとであろうとも、相手を燃え盛り煮え滾る地獄の釜の底の更に底まで突き落としてやろうという程の猛烈な殺意を誰かに覚えたりという事は、生後15年の人生の中で一度もなかった。
だが、
少年は、
今この時、
悪霊の群れも逃げ出す深く恐ろしい憎悪を、
近代の悪魔も退却する果てなど無い悪意を、
悪魔の皇帝も遠慮する全てを滅ぼす殺意を、
そして如何なる癒しによっても癒すことの出来ない悪夢のような苦痛を、
人類を救う仏の王に付き従う者にも、絶対的な愛の神の忠実な代理人にも救えぬ地獄のような邪悪を、
つまりは
悪を
その身体に、宿していた。
その精神に、宿していた。
憎悪
悪意
殺意
苦痛
邪悪
それらは皆、刃のように鋭く真っ直ぐで、羅針盤の針のように正気なら常に同じ方向を向く。
そしてそれらの矛先は、ただ一つの方位しか決して指し示さない。
人工の楽園にて散々暴れ回り、
楽園を惨劇の如く有様に仕立て上げ、
その場の罪無き数多の命を殺し尽くし、
身勝手で傍若無人な暴虐の限りを尽くし、
今この時も何処かに潜み続け、笑いながらのうのうと生きている、
人ならざるもの、
生まれ得ざるもの、
史上最悪の悪意ある生命、
―人間の作り出した夢魔
ライアーのある方位しか。
ライアーを殺す為の方位しか。
指し示さない。
少年の右手には、
死体からか、売店でくすねたのだろう。
使い捨てのライターが握られていた
そして少年の左手には、
何処から手に入れたのか。
巨大なポリタンクに、何やら黄金色で少し粘りのある液体が入っていた。
自動車用の、ガソリンである。
少年は今、非常にシンプルな決断をした。
「僕自身が火達磨となって、
不死鳥の如き怒りの炎を身に纏って、
己もろとも、このホテルもろとも焼き尽くしてやる。
この忌まわしき、事件の元凶を…」
そしてまた、ライアーもまた動き始める。
人形に化けた際、余ったので適当な壁に隠していた、自らの半身を。
どろりと溶け出たその半身は、ひとまず膜となって凍った半身に覆い被さり、全身を振動させて瞬時に半身を凍結から解放した。
無事一つに戻り、真の姿である青い巨大心臓の姿をとったライアーは、これから先をどうしようかと考え始めた。
と、その時である。
何処から都もなく怒鳴り声がする。館内に響き渡るほどの大声で、子供一人吹き飛ばす程の波動が出ているかの如く馬鹿でかい声だった。
身体の一部に蝙蝠の耳を形作ったライアーにとって、その怒鳴り声を鮮明に聞くことなどは、当然容易い。
そして聞いてみると、その怒鳴り声はどうやらライアー自身に向けてのものらしかった。
その声は言っていた。
「出てこい悪魔!
とっとと出てこい!
よくも僕の両親を殺してくれたな!
よくもこの楽園を地獄に変えてくれたな!
本当にお前は最低な奴だよ、悪魔!
僕はお前が誰かなんて知らないし、知る必要性もない!
何故ならお前は僕が殺し、それに伴って僕も死ぬからだ!
さぁ、来られるものなら来てみろ!
僕自身を道連れにしてでも、本気でお前を焼き殺して、お前を本当の地獄に送り込んでやる!
喜べ、悪魔!
お前の帰るべき場所、有るべき場所の地獄へと、この僕―神木天津が直々に送り返してやるんだからな!」
それを聞いたライアーはと言うと、
「(威勢こそ良いが、随分と自信過剰な餓鬼が居たものだな…。
まぁ良い。
その台詞、そのままそっくり返してやろう…。
…楠木雅子の前に、お前を喰い殺して、お前を地獄に陥れてやるぞ、青二才めが…)」
ライアーは分裂し、無数の蠅に姿を変えると、青二才・神木天津の探索を開始した。
今更だけど雅子が見てたOVAのタイトルが判った方って何人いるだろう。