さちとぬらりひょん
♢♢♢
「なるほど。誰の付き添いもなく、たったひとりで嫁に来たというのだな」
『私を美味しくいただけるよう、塩を振りましょうか?』などと言って、ぬらりひょんを仰天させたさちであったが、これまでの経緯を簡単に説明した。
「はい、さちはぬらりひょん様の嫁として、こちらに参りました」
「嫁御寮をたったひとりでよこすとは。九桜院家の者共は何を考えているのか、さっぱりわからん」
ぶつぶつと呟きながら訝しげな顔をしている男こそ、あやかしの総代表といわれる、ぬらりよんである。
ぬらりひょんは、長身な体に白く長い髪をもっていた。整った容貌に、肌はやや浅黒く、人間ともあやかしとも思えない、不思議な姿をしていた。しかしその穏やかな微笑みだけは、不思議な温もりがあった。
「心細くはなかったか? 九桜院家の娘ならば、立派な花嫁行列で嫁に来れそうなものなのに」
まさか気遣ってもらえるとは思っていなかった。すぐさま喰われると思っていたさちは、ぬらりひょんの優しさに嬉しくなってしまう。あやかしの総大将といわれるぬらりひょんであったが、優しい存在であるようだった。
「大丈夫です! さちはひとりきりに慣れております」
無邪気な笑顔を見せるさちに、ぬらりひょんはわずかに複雑そうな顔を見せたが、すぐに笑顔を向けてくれた。
「そうか。さちは強い娘なのだな」
「はい!」
さちはにっこりと笑った。
「それでは早速、お料理を作らせていただきますね!」
「ハイカラ料理を作れ」と言われたさちは喜び、花嫁衣裳のまま竈の前に走っていってしまった。立派な白無垢の花嫁衣裳が、黒い煤で汚れそうになるのを見兼ねたぬらりひょんが着替えるように指示しなければ、花嫁姿のまま料理を始めていただろう。
どうにか花嫁衣裳から普段着の着物に着替えたさちは、料理を始めるべく身支度を整えた。髪をまとめ終えると、竈の前に立った。
「ええっと。火はどうやってつけたらいいのかしら……」
「火ならば、そこに眠っておる『化け火』に頼むといい」
「ばけび、さんですか?」
聞いたことがない名前をさちが呼ぶと、竈の裏から小さな火の玉が転がるように現れた。驚いたさちが目をぱちくりさせていると、化け火は気を良くしたのか、ばちぱちと線香花火のような火花を散らす。
「まぁ。花火みたい!」
ほめられて上機嫌になったのか、化け火はさらに火の勢いを強くしていく。
「こら、化け火! おまえが暴れると火が飛んで火事になる。さっさと竈に火を入れろ」
ぬらりひょんに怒られた化け火は、しゅんと小さな火の玉に戻り、すごすごと竈の下に潜っていく。
「化け火に頼めば、火の勢いを調節してくれるはずだ。人間は『ガス』という道具を使い始めているそうだが、それはこの化け火と相性が悪くてな。人間の世界に住まう場所がなくなってしまった」
「化け火さんは居場所がないのですか?」
「仲間の化け火は幽世に移り住んで行ったが、そいつだけはなぜか、わしの屋敷に棲みついてしまったのだよ。火があっても困ることはないし、好きにさせておる」
「そうだったのですか……」
人間の社会に居場所がなくなった化け火は、不遇な自分の姿に重なる気がした。竈の下を覗き込み、さちは化け火に改めて挨拶をする。
「化け火さん、こんにちは。私はさちと言います。よろしくお願い致します」
竈の下にもぐった化け火に、さには丁寧に頭を下げた。化け火は嬉しそうに、ぱちぱちと音を立ててる。頼られることは嫌いではない様子だ。
「化け火のやつ、挨拶されて喜んでおるわ」
ぬらりひょんが愉快そうに笑うと、化け火は怒ったように、ばちん! と強めの火花を散らす。
「ところでさち。今日は何を作るつもりだ」
その場をごまかすように、ぬらりひょんはさちに声をかけた。