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さちと父

 次の日の早朝、さちは実の父である壱郎に呼び出された。

 その日はさちの十七歳の誕生日であった。ほんのわずかだけ期待に胸をふくらませたさちであったが、壱郎の言葉で残酷な現実を突きつけられた。


「さち、おまえの嫁入りの時がやってきた。わかっているな?」


 壱郎はさちの誕生日を祝うつもりなど、まるでなかった。十七歳になった日に呼び出したのは、嫁入りを告げるためだったのだ。


「はい、旦那様。さちは蓉子様の身代わりです。あやかしの総大将である、ぬらりひょん様に嫁入りし、この身を喰らってもらうのが定めです。全ては九桜院(くおういん)家の繁栄のために、この身を捧げます」

「その通りだ。さち、おまえの役目を忘れるな」

「はい、旦那様」


 誰も祝ってくれない誕生日を迎えたさちは、父である壱郎からついに、ぬらりひょんへの嫁入りを告げられた。

 それはこの世に生を受けた、さちの(はかな)き運命であった。幼き頃より父と姉からくり返し教え込まれ、疑うことさえできぬ少女は、いよいよ役目を果たす時がきたと自らを(ふる)い立たせる。


「大切なお姉様のためですもの。がんばらなくては」



 嫁入りの期日が決まったさちは、女中部屋から秘かに別邸へと移された。数人の家庭教師をつけ、最低限の礼儀作法をたたき込まれる。体の寸法に合わせて白無垢の花嫁衣装が用意され、袖を通したさちは、鏡に映る自分の姿に無邪気な笑顔を見せる。


「なんて上等な白無垢(しろむく)かしら。私は花嫁になるのだわ」

 

 鏡に映る両の手は、かすかに震えていた。疑問をもたぬとはいえ、あやかしに喰われる運命に恐怖を感じぬはずがない。


「さち、いいこと。私は蓉子(ようこ)お姉様をお守りするのよ」


 ただひとり自分に優しくしてくれる姉の蓉子の身代わりとなる。それが定め。さちは震える手で自らの体をさすり続ける。 

 最後に姉との面会を父である壱郎に求めたが、あっさり断れてしまった。


「駄目だ。蓉子は婿を迎えて九桜院家を受け継ぐという大事な役目がある。すでに話も決まりつつある。つまり隠し子である、おまえとはなんの関係もないのだ。おまえは黙ってわたしの命令に従っておれば良い」

「はい、旦那様……」


 蓉子はさちが別邸にいることさえ知らぬという。

 (はな)ようにあでやかで美しく、しとやかで優しい大好きな姉。蓉子のためならば、この身を犠牲にしようとかまわない。さちは心はそう思っていた。さちにとって姉の蓉子は、それほど大切な存在だった。


 父の壱郎はしばし、さちを見つめている。その眼差しは、これまでの厳しい視線とは何かが違っていた。一度も見たことのない父の様子に、さちも疑問に思った。


「旦那様?」


 さちの言葉に、壱郎は我に返ったように厳しい視線に戻ってしまった。


「さち、おまえは良い花嫁となるはずだ。何も考えず、ぬらりひょん様の元へ行くのだ。さぁ、もう行くがいい。わたしも屋敷に戻る」

「あっ、旦那様」


 別れの言葉を伝える間もなく、壱郎は背を向けて行ってしまった。


「最後に一度だけ、『お父様』とお呼びしたかったのに……」


 父と呼べぬ父親であっても、さちにとっては、たったひとりの父親だ。最後の言葉だけでも伝えたかった。目頭が熱くなってくるのを感じ、さちは慌てて顔を振る。


「大丈夫、いつものように笑っていよう。あやかしに喰われたら、天にいらっしゃる母様(かあさま)にお会いできるかもしれないもの」


 にっこりと無邪気に笑ったさちは、ようやく落ち着くことができた。


 

 人力車に乗ることになったさちは、カラコロと揺れながら、ぬらりひょんの屋敷まで連れていかれた。ぬらりひょんの屋敷は、九桜院家の離れほどの大きさであったが、落ち着いた佇まいだった。

「あとはお願いしやす」車夫は愛想なく告げると、逃げるように去っていった。化け物の屋敷と聞かされていたため、恐れをなして逃げていったらしい。


「いってしまったわ」

  

 改めて、ぬらりひょんの屋敷を見上げてみた。豪奢(ごうしゃ)でもなく、簡素でもない造りは不思議な落ち着きがあった。


(なんだか、不思議なお屋敷ね)


 たったひとりの花嫁となったさちは、慣れぬ花嫁衣装を引きずりながら、屋敷の戸を叩く。


「ごめんくださいませ。九桜院さちでございます。こちらお嫁に参りました。ごめんくださいませ!」


 こうしてさちはたったひとりで、ぬらりひょんの元にやってきた。ひとりぼっちの花嫁となった少女の運命は、ここより大きく変わっていくこととなる。

さちは自らの運命の荒波に、ひとり飛び込んでいったのだ。

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