対峙
月の光が雲に遮られながらも健気に闇を照らす夜、九桜院家の屋敷では、蓉子が鏡台で長い髪をとかしていた。黒髪はとかすほど艶やかさが増し、蓉子の妖しい美しさをより際立たせている。
「蓉子様、御報告がございます」
蓉子の背後に、膝をつくものがいた。おかっぱ頭には猫の耳、ひょろりと長い尻尾。
見た目は愛らしい少女のような姿であったが、耳と尻尾から人間ではないことがわかる。
「なぁに、猫又ちゃん、何の話なの?」
「秘かに見張っていた、ぬらりひょんの屋敷に、入り込めなくなりました。入ろうとすると、一つ目小僧やろくろ首らに見つかり、追いかけられてしまうのです」
「あら、それは残念ね」
「どうやら、あたしの正体を見破れてしまったようです。ずっと猫の姿を保っていたので、これまで気付かれることはなかったのですが」
「そのようね。いずれ結界か何かを張られてしまうかもしれないわ」
「今後はいかがいたしましょう?」
「しばらくは控えていてちょうだい。何かあったら、また指示を出すわ」
「わかりました。蓉子様。それで、あの……」
「なぁに、猫又ちゃん。まだ何かあって?」
猫又と呼ばれた少女は、恥ずかしそうに、もじもじと尻尾をくねらせている。調査の報告をしていた凛々しさはどこかに消え失せていた。
「あのぅ、蓉子様。ずっと見張っておりましたので、頑張りましたので……。そのぅ、ごほうびを、いただけないでしょうか……?」
「ああ、そうだったわね。猫又ちゃん、こちらへおいでなさい」
蓉子が呼ぶと、猫又は嬉しそうに彼女の足元へ飛びこんでいった。
猫又の少女が蓉子をおそるおそる見上げると、蓉子は猫又の喉をゆっくりと撫でまわしていく。猫又の少女は、ごろごろと喉を鳴らし、うっとりとした表情を見せている。
「ああ、蓉子様。お美しい蓉子様。蓉子様に喉を撫でていただくのは、至福の喜びでございます……」
猫又の少女は蓉子に喉を撫でられるのが、何よりのごほうびだった。今日は喉だけでなく、頭や耳元まで入念に撫でられ、猫又少女は恍惚の表情を浮かべている。
「さぁ、これで満足したかしら。猫又ちゃん。今晩はゆっくりお休みなさい。ああ、猫の姿に戻ることも忘れずにね」
猫又の少女が、にゃん! と鳴くと、少女の姿は消え失せ、ごく普通の猫の姿が現れた。
「可愛い子ね。これからもわたくしのために、情報を集めてきてちょうだい」
ただの猫となった猫又が、にゃん! と鳴いた時だった。
「フーッッ!!」
猫となった猫又が、突然うなり声をあげ始めた。全身の毛を逆立たせ、怖ろしそうにうなっている。
「あら、お客様が来たようね。うなるのをお止めなさい、猫又ちゃん。心配しなくてもいいわ。そろそろおいでになる頃だと思っていたから」
洋室のバルコニーの窓が音もなく開いた。カーテンが風にあおられ、ゆっくりと姿を見せる者がいた。巨大な頭をもち、好々爺のような姿をした、ぬらりひょんである。
「ようこそいらっしゃいました、ぬらりひょんさん。お待ちしておりましたのよ」
蓉子はさして驚く様子もなく、ぬらりひょんを迎え入れる。
「ほう……わしを待っていてくれたのはな。それはありがたいことだ」
ぬらりひょんもまた、飄々と返事をする。
「あら、今日はその御姿ですの? 若武者のような凛々しい姿を期待しておりましたのに」
ぬらりひょんはわずかに眉をひそめた。どうやら、ぬらりひょんがいくつもの顔を持つことも知っているようだ。
「期待に添えなくてすまんのぅ。人間でもあやかしでも、心にやましい感情をもつ者と話すときは、この姿と決めておるのよ」
今度は蓉子が少しだけ険しい目を見せたが、すぐに優雅に微笑んだ。
「まずはお座りになって。立ち話もなんですから。たいしたおもてなしもできませんけど」
「もてなしなどいらんよ。とりあえず座らせてもらうか」
猫又の少女にお茶をもってくるよう指示すると、蓉子は洋式のソファーに腰掛け、ぬらりひょんを手招いた。軽く頷いたぬらりひょんも、ゆっくりとソファーに腰を下ろす。
ぬらりひょんと九尾の狐。
共に強い力をもつふたつの存在が、九桜院家にて対峙していた。




