おりんの過去
「さーち、元気してるかい?」
「あ、おりんさん……」
おりんがさちのところへやってきたが、さちはぼんやりとした表情で、おりんを出迎えた。
「さち、だいぶ重症みたいだねぇ。本当に大丈夫かい?」
おりんに問われ、さちは「大丈夫です」と答えようとしたが、うまく答えることができない。代わりに涙がこぼれてきてしまった。
「しょうがない子だねぇ。このおりんさんに話してみなよ。相談にのってやるからさ」
おりんの優しい言葉に、さちを涙を袂で拭い取りながら、ゆっくり話し始めた。
「父のことが気になるんです……。私はこれまで、父に嫌われ、憎まれていると思っていました。でもそれは誤解で、本当は私のことを大切に思ってくれてるんじゃないか……って」
「なるほど。実家である九桜院家と決別したはずなのに、気になってしまうわけかい。人間の家族への情はあたしらみたいな、あやかしには理解できないほど強いものだからねぇ」
「おりんさん……」
おりんはどこか寂しげに微笑み、さちを見つめた。
「ねぇ、さち。ちょっとあたしの昔話を聞いてくれるかい?」
「おりんさんに昔あった話ですか?」
「ああ、そうだよ」
「はい、聞かせてください」
さちがお茶を淹れると、二人はお茶を飲みながら、おりんの話を聞くこととなった。
「あやかしは今、幽世に帰りつつあるって話を、ぬらりひょん様から聞いたかい?」
「はい、目まぐるしく変わっていく日本の世界についていけなくなったのだと聞きました。近代化する世界にあやかしが住まう場所はなくなってきてる、とも」
「その通りだよ。でもあたしみたいに、いまだに人間の世界にふらふらしているものもいる。なぜだかわかるかい?」
さちは静かに首を振った。
おりんはかすかに微笑み、さちの頭を撫でながら語り始めた。
「あたしはね、今よりもう少し若い時に、人間の男と恋仲になったんだ。酒の席で気が合って、その後あたしの正体もうっかり見せてしまったのに、怖いって逃げるどころか、『きれいだ』っていいやがって。驚いたよ。首が伸びる女をきれいっていう男は、相当な変わり者だと思ってたし、最初は遊びのつもりだったんだ。だけど、だんだんと本気になっていってね。だって、あいつすごく優しいんだもん」
おりんは頬をほんのりと赤く染めながら、少女のような顔で語っていた。
「相手の男は弥吉って言うんだけどね、弥吉も同じ気持ちだったみたいで、ある日、求婚されたよ。『おれと家族になってくれ』って。最初は断った。だって、あたしはあやかしで、ろくろ首の女だからね。でも弥吉はあきらめなかった。何度もあたしのところに来ては、粘り強く求婚してくるんだ。あたしも根負けしてね、しょうがないから結婚してやった」
おりんが人間の男と結婚していたとは、さちは全く知らなかった。
「最初はすごく幸せだったよ。弥吉も、弥吉のお義母さんもあたしを大事にしてくれたし。それから数年後、あたしに子どもができたんだ。生まれた子はそれは愛らしい女の子でね。あたしも弥吉も夢中になった。この幸せは永遠に続くと思っていたよ」
おりんの表情から微笑みが消え、遠くを見つめながら寂しげに語った。
「時代が変わるにつれて、弥吉も少しずつ変わっていった。大工だった弥吉が、仕事を辞めて、外国と取引する仕事を始めるようになった。英語っていうのかな、海外の言葉まで猛勉強して身に付けていったよ。今思えば、弥吉はあたしたち家族を、時代が変わってもしっかりと守っていきたかったんだろうね。でも、あたしはそんな弥吉についていけなかった。だんだんとケンカが多くなっていって、会話もなくなっていったよ。弥吉はどんどん歳を重ねていくのに、あやかしである、あたしの見た目は変わらなかったから、戸惑いもあったんだと思う。で、ある日言われたよ、『人間の妻ができたから、離縁してほしい』って」
「そんな……そんなの、勝手すぎます、弥吉さんって方、ひどいです」
さちが弥吉の身勝手さに腹をたてると、おりんはかすかに微笑んだ。
「あたしも最初はそう思った。でもそこには、別の事情があったんだ」
「別の事情?」
「ああ。実はあたしと弥吉の娘は成長して、年頃の娘になっていてね。そろそろ嫁入り先を探さなくては、ってことになったんだけど、母親があやかしであるあたしだとわかると、縁談がまとまらないって。娘のために、弥吉の家から出ていってほしい、言われたよ」
おりんは淡々と話しているが、人間の身勝手さが嫌というほどわかる話だった。
おりんはさちと出会ったばかりの頃、さちが勝手にぬらりひょんのところに嫁いできたと思って、さちを怖がらせ、出ていかせようとした。そこには、こんな事情があったのだ。




