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歴史トリビアな小話かも  作者: まゆたん
5/9

その4 ローマの丘の御話

ローマの丘の一つ

ローマは7つの丘のある地に出来た国でした


で・・・その丘の一つの話です


●ヴァテイカーノの丘とコンスタンヌス帝の旧大聖堂


ローマ時代 この丘は都市の外側にあり 居住には不向きとされていたが

ネロ帝の祖母にあたる アグリピーナは 花に満ちた庭園を造り

ネロ帝が更に整備 カリグラ帝が競技場などを作り その中央にエジプトから

運んだオベリスクを飾ります

(※そのオベリスクは現在 サン・ピエトロ広場に置かれています)


紀元前67年 その競技場で 使徒ペトロが頭を逆さにして

十字架にかけられて 使徒パウロと共に殉教 隣接の墓地に埋葬


競技場は後に取り壊されて 墓地は聖地となりました


約250年後 キリスト教を国教としたコンスタンヌス帝は

ペトロの墓を取り囲むように 巨大な大聖堂を建築


新約聖書には ペトロ(岩の意味)に貴方の上に教会を立てようとの

イエス・キリストの言葉があります・・その予言通りとなったのです


これは初期のサンピエトロ寺院です 不足の資材などは

競技場の遺跡や他の遺跡を取り壊し補充されました


なお・・現在のサンピエトロ寺院・キリスト教最大の寺院は 初期の寺院を取り壊し

ユリウス2世(在位1503年~1513年)により 始まり

176年かけての建築 その間にルネッサンス期の天才ラファエロ ミケランジェロ

なども関わりました


●アントウニヌスとファウステイーナの神殿


フォロロマーノ内にある 神殿でした

妻を亡くして 意気消沈したアントウニヌス・ピウス帝 ※ハドリアヌス帝の次の皇帝 五賢帝4人目

彼女を神格化する事を望み 壮麗な神殿を創設しました(141年)


ピウス帝が亡くなると 神殿は二人の名を冠します


中世 サンロレンツオインミランダという教会に改築されます

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