みどりちゃんになりたい
先輩がフラれた。ずっと好きだったみどりちゃんに。
俺が思うに、告白をする際に最も大切なものはタイミングであろう。
二人の間の距離やテンションの高まりがいかに良い時にするか、という微妙な駆け引きを必要とする。その点において先輩はほぼ最悪だった。あと、中二の終わりに俺に告ってきた中島も最悪だった。
中島のことはともかく、先輩はちょっとかわいそうだったな。本当にかわいそうなのは、どうでもいいタイミングにどうでもいい男に想いを告げられたみどりちゃんなのだけど。
先輩だってせめて俺に相談していれば、ちょっとはうまく行く確率が上がっていたはずだ。まぁ本気を出せば、大袈裟でもなく百パー成功するのだけれど、たぶんそれはできなかっただろうと思う。
何故なら悔しいから。あんな女に先輩を持っていかれるのが悔しくて仕方ないから。
放課後に声をかけたら想像通り先輩が落ち込んでいたので、酒を持って先輩の家に押し掛けた。先輩は困っているときの笑いかたをしていたが、部屋に上げてくれた。
先輩のお母さんもいたので酒のことを言われたが(やっぱり酒屋のレジ袋に入れっぱなしはマズかったかな)、「明日休みですし、たまにはいいじゃないですか」と俺的にめちゃくちゃ爽やかな笑顔で言ったら、あっさり許してくれたばかりかおつまみまでくれた。
「お前、なんでそんな扱い良いんだよ?」
「日頃の行いがいいからじゃないスか?」
実際、普段からかなり媚びを売っているせいか、ご家族の皆さんからはとてもウケが良い。外堀を埋めておけば、今日みたいな機会に邪魔されなくて済むだろう?
二階に上がって左が先輩の部屋だ。勝手知ったるという感じでずかずかと踏み込む。
「相変わらず汚い部屋ですねー」と言ったら、「だったら来んなよ」と笑いながらケツキックされた。痛い。でもこれが、自分が先輩とこんなくだけた関係になれた成果だと喜んでいたりもするのだ。俺ってマゾ?
お菓子やら勉強道具やらが載っかった状態から適当に片づけたローテーブルに酒の袋をドンと置き、先輩は奥に、俺はその右隣に座った。
腰を下ろして落ち着いたせいか、先輩は少し静かになった。みどりちゃんのことを考えて感傷に浸っているのだろうか。
俺の前でみどりちゃんのことなど考えないで、と言いたくなったが、あいにくおれたちはそんなことは言うような仲ではないので、代わりに明るい声で「飲みましょう!」とチューハイを渡した。
先輩はいつもよりよく飲んだ。普段からバカ騒ぎをする方ではなかったが、今日も変わらずニコニコしながら缶を開けていた。
今日ぐらい平井みたいにワーワー泣いてもいいのに。「年上だから」とか思って遠慮しているのだろうか。こんな時十一か月の差がとてももどかしく感じる。俺も一緒になってうだうだやっていても仕方ないのは分かっているけれど。
先輩が三本目を飲んでいるときに、頬を紅潮させながら少し喋り始めた。
今まで詳しくは聞いたことがなかったみどりちゃんの話、先輩が大好きな(そして少しみどりちゃんに似ている)アイドルの話、部活の話、そこからどう派生したのか、中学校でのジャージの話、最近よく見る動画の話、お互いの家族の話……、口を開いてからは少しでも沈黙にならないようにしていたが、ついに話すことがなくなり必死で話題を探していた時に、先輩が手元にある缶を見つめながら言った。
「山岡は、モテるだろう?」
ここで「はいモテます」と答えるのは容易だろうとは思った。実際中学の頃から何かと声をかけられるようになり、勢いで中二で童貞を卒業した。高校に入って先輩に出会ってからはそちらに比重をかけまくって大人しくしていたのに、春から今日までに三人に告白されてもいる。
先輩がみどりちゃんただ一人を想っている間にも、三人と付き合う可能性があったのだ。だけど。
とりあえず「そんなことありませんよ」といいながら笑顔を作った。
俺は気づいてしまった。
目の前にいるたった一人にモテなかったら、俺の「モテる」は何の意味もないことを。
「そういやお前、あんまり女の子と一緒にいないっぽいけど、俺あたりとばっかりツルんでていいの?なーんか俺ってば非モテオーラ出してるみたいだから、女の子寄り付かなくなるよ」
先輩が冗談交じりにそう言った。顔に貼り付けている苦笑が痛々しい。ちくしょう。先輩を気遣うどころか、むしろこんな顔で気を遣わせてしまった。先輩はこんなに優しいというのに、俺は先輩に何かしてあげられることはないのだろうか。妙に悲しい気持ちが俺を支配している。酔いが回ってきたか。
「なんでそんな寂しいこと言うんすか。俺は好きで先輩にくっついてるからいいんです。先輩といる方が女といるより楽しいんです。だから俺のことなんか気にしなくていいんです」
先輩の前にいると、俺の精一杯のかっこつけとか全部無駄になる。表面を取り繕ってもすぐぼろぼろと剝がれていってしまうから、これは俺の本当の正直な気持ち。嘘偽りない純粋な感情。
……いや、やっぱり俺は嘘をついている。気にしなくていいなんて思ってない。少しは俺のこと気にしてほしい。俺のことも見てほしい。…俺だけを見てほしい。
苦しさに耐えきれなくなって下を向き、先輩から目をそらしてズボンのしわを眺めた。みじめでならない。
「山岡は……」
降り注ぐ声に咄嗟に顔を上げると、俺を見つめる先輩と目が合った。
「いい奴だな」
数分ぶりに向き合った先輩は、今までに見た事のないような穏やかで優しい顔をしていた。首まで赤くなって、眉は下がり、元々細い目が更に細くなっていて、筋肉が緩み切っているような口元をしているけれど、全てを受け入れてくれるようなおおらかさがあった。悟りを開いた人みたいだ(会ったことないけど)。
もしかしたら彼は、俺の中で渦巻く黒い感情や醜い欲望とか、何もかも飲み込んでくれるかもしれない。身体ごとぶつかっても全部受け止めてくれるかもしれない。でも。
どこかでまっすぐ線引きされている気がするのはどうしてだろう。いや、ちがうな。先輩は無防備すぎて寛容すぎるんだ、きっと。
おそらく先輩は好きな人の前でこんな顔はしない。先輩は俺が「慕ってくれる後輩」で「友達」だからこの顔を見せたのだ。どうしよう。嬉しいのに、嬉しくない。互いに求めているものは近いだろう、と納得させていたのに実際はこんなに違うなんて。
この関係は貴重だ。先輩と俺は「恋人」よりも親密で心を開き合っているような気さえしてくる。何を贅沢なことを言っているんだと自分でも思う。
それでも俺は心地好い友達ではなく、不自由な恋人になりたいのだ。俺が先輩を見つめる目で、見つめ返してほしいと思ってしまうのだ。
「そんなことない、っすよ。」
「そうか、ありがとなー」
いつのまにかカラカラになった喉から絞り出すように言葉を返すと、先輩は返事か独り言か分からないようなのんびりとした礼を言って、そのままテーブルに突っ伏した。
ああ、今すごく泣きたい。
時刻は午前1時18分。今日は泊まるつもりでいたけれど、こんな状況でこれ以上一緒になんていられねぇよ。
どうにかこうにか先輩をベッドまで運んで布団をかけてあげた。酒で寝た時の先輩は簡単には起きないので、キスの一つくらいしても気づかれないだろうけど、いまは寝顔を見ることすらできないほど苦しい。
テーブルの上を片付けるのは面倒だったが、それなりにゴミはまとめておいて、中身の残った缶は空けておいた。
部屋をでたら真っ暗で、どこかの部屋の秒針の音以外は何も聞こえてこなかった。
玄関のドアを開けるときにカギをどうしようか迷った。開けっ放しはさすがにマズいよな。すぐに先輩の部屋に戻ってカギを見つけ出してきて、がちゃりとかける。郵便受けに放り込んだあと先輩にメッセージで知らせておけば、回収してくれるだろう。
門扉も閉めて歩き出そうとしたが、なんとなく立ち止まってしまった。
二階の部屋をちょっと見て、玄関のあたりに視線を戻して一礼した。意味はない。でもそうした後はちゃんと一歩を踏み出すことができた。
まっすぐ帰るつもりだったが、明かりに釣られてついコンビニに寄ってしまった。とりあえずマンガを立ち読みしたあと、肉まんが食べたくなってレジに向かった。
財布を出した時に小銭に紛れてコンドームが目に入ってきた。そうだ、先輩の家に行く前に「もしも」のことを、一瞬だけどかなり真剣に考えていたのだった。ばかだなあ。
そこでまた泣きそうになったけれど、どうにかこらえてコンビニを出た。近くの公園で食べてみたらあんまんだった。あのバイトめ、ふざけんな、と悪態をついている内に涙が出てきた。今度は本当に泣いた。
早く、早くどうにかして、この恋を諦めたい。