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妄執ロンド

作者: あさな

 愛しても、愛しても、報われない。

 それでも、愛していたのです。


 わたくし、リーゼ・マッカリーには前世の記憶があります。

 「トラプリトの実」と呼ばれる魔木の実を食べたせいです。

 この実を食べた恋人たちは来世で出会えると言われておりました。眉唾物の噂話、それでも乙女たちの間では信じられ、わたくしもこっそりと恋人に食べさせたのです。ほんの出来心、その当時は、戯れ程度に考えておりましたから、まさかそれが真実であり、出会うだけではなく、付随効果として、出会った相手がかつての恋人と認識できるように魂の色が見えるなんて思いませんでした。更にはどうしてそれが見えるのか分かるように前世の記憶を持ち越すなんてこと考えもおよびません。

 ええ、わたくしが前世の記憶を持っているのは自分のせいなのです。

 まったく予想外のことでした。

 ですが、予想外なことはまだあります。 

 わたくしにはあるトラプリトの実の付随効果が、相手にはまったくないようなのです。

 片手落ちとはこのことですね。

 けれども、そこまで神は無慈悲ではなかったらしく、相手に記憶はありませんが、わたくしたちは家同士の取り決めた婚約者という間柄でした。すでに将来が約束され、周囲に堂々と認められる関係。ならば、記憶がなくても、もう一度恋をすればよいのです。


 そう思っていた時期が、わたくしにもございました。



「……相変わらず人気がありますわねぇ」 


 ローゼマリー・ウィッカム侯爵令嬢が感心したようにおっしゃるのでわたくしも頷きました。

 コルネリス・ルーマン公爵子息はわたくしという婚約者がいるにも関わらず、いつもお側に他の令嬢がいるのです。

 それは当然のことかもしれません。

 コルネリス様は容姿端麗、頭脳明晰、公爵家の後継ぎという家柄も申し分ない上、婚約者のわたくしは伯爵令嬢。随分と格下の家の者が相手ですから、自分の方がふさわしいと思われても不思議はないのです。

 何故これほど身分の差がある婚約が成立したのか不思議に感ぜられるでしょう。それは、わたくしの父が優秀であったからです。貴族の娘にとって上位貴族に輿入れすることは最大の名誉。父は一人娘のわたくしを大切にしておりましたから、ルーマン公爵はわたくしにその名誉を与え、同時に人質にもすることで、派閥に引き入れたのです。これがいかに破格で異例のことか。父の優秀さがおわかりいただけるでしょう。

 ただ、わたくしとしては、ひょっとして、わたくしたちを結び付けようとするトラプリトの実の付随効果もあるのではないかと考えております。

 話を戻しましょう。

 コルネリス様のお側にはいつも令嬢がいらっしゃいます。そして、そのことを厭う素振りはありません。来る者は拒まない、去る者は追わない。それがコルネリス様です。それ故、令嬢たちは脈ありとお考えになり、ますます言い寄る状況が続いております。


「注意ぐらいしてもよろしいのではなくて?」

「わたくしには荷が勝ちすぎますわ」

「……そうね。エリザベス様やロザーリ様にあなたが物申すのは難しいかもしれないわね」


 お二方は侯爵家の令嬢です。コルネリス様の婚約者とはいえ正式な婚姻はまだなのでわたくしの身分ではお二方に物申すのは恐れ多く、嫌味や皮肉に耐えるよりない立場です。それを庇ってくださるのがローゼマリー様です。お優しい女神のような方です。

 

「コルネリス様も、もう少しリーゼ様のお立場を考えてくださればいいのに」

「邪険にされているわけではありませんから、十分な譲歩なのではないでしょうか。ご本人の意思が尊重されるなら、わたくしとの婚約はとっくに破棄されているのだと思いますわ」


 コルネリス様は公式の場でのエスコート役など婚約者としての役割をきちんとはたしてくださいます。わたくしから近寄っていけば冷たくされたり素っ気なくされたりということもありません。男女の甘い雰囲気などはございませんが、礼節をもって接してくださいます。政略結婚の相手に相応しい態度で文句のつけようがないのです。

 わたくしがいながら他の令嬢と親しくすることも、たいていは男性のご友人と集団でいらっしゃいますし、男性がいない場合も女性と二人きりでいるわけではありません。必ず二人か三人の令嬢と共にいます。それはそれでどうなのかとは思わなくないですが、学友と話しているだけと言われたらそれ以上追及はできません。

 わたくしにできるのは、俯かず、毅然とした振る舞いで、婚約者としてどっしりと構えていることくらい。それが身分不相応な幸運を得た令嬢のなけなしの矜持というものなのです。


 コルネリス様は、かつてのあの人ではないのですわ。


 わたくしは、少しずつ現実を受け入れていきました。

 それから、トラプリトの実がわたくしにだけ効果があったことの理由を考えて胸が震えました。


 前世でわたくしはコルネリス様――シルベスター様から溺愛されていたのです。自惚れに聞こえるかもしれませんがこれは周囲からも言われていたことでした。シルベスター様はわたくしが他の方と――たとえそれが同性であっても――接するのを嫌がりました。とにかく自分だけを見てほしいと繰り返しおっしゃいました。それを周りにもお隠しにはなりませんでしたから、皆が溺愛だと思うのも納得です。

 当事者であるわたくしでさえ、最初はそう思っておりました。そして、わたくしはシルベスター様をお慕い申し上げておりましたので、そのような独占欲を嬉しくさえ感じていました。

 ですが、少しずつそれが恋や愛と呼ばれるものではないのかもと思いはじめたのです。

 最初におかしいと思ったのは、わたくしが嫉妬したときでした。

 シルベスター様は前世でも人気のある方でしたので、わたくしへの溺愛ぶりにも怯まずにアプローチをする令嬢もいらっしゃいました。殿方、それも相手のいる方へ自らアプローチするなど余程の自信がなければできませんから、どの令嬢も大変美しい方ばかりです。そのような麗しい令嬢に、シルベスター様の御心が揺らぐではないかと不安を抱き、やきもちを焼いたのです。すると、シルベスター様は大変お怒りになられました。美しいお顔にぞっとするほど壮絶な笑みを浮かべておっしゃったのです。


「これほど愛しているのに君は私を疑うのかい?」

「いえ、そ、のようなことは……」


 わたくしは慌てて否定しましたがシルベスター様は笑みを崩さずに、もう二度とそのようなことを思わないよう私の思いを伝えなければいけないね、と言うや屋敷に軟禁され優しく愛でられたのです。

 その情熱に、溺れてしまえたらよかったのかもしれません。

 ですが、わたくしの中に生まれたのは不信でした。

 わたくしとてシルベスター様をお慕い申し上げておりましたけれど、シルベスター様はわたくしが他の方とほんの少しのお話をするのも厭うのです。ならばそれはわたくしの気持ちを信じていないということになるのではないかしら? 

 もやもやしたものが胸の内に広がり、一度そうなってしまえば後戻りはできません。これまでの些細な引っ掛かりが、わたくしの中に芽吹いていた不安の芽が、瞬く間に成長し芳しい実をつけました。

 愛されている、大切にされている、それなのに何が不満なのか。

 そう自分に言い聞かせながらも熟れた実の誘惑には勝てません。禁断の果実を口にし楽園を追放された神々の子の気持ちがとてもよくわかりました。わたくしは、何もわからないふりをもうしてはいられなくなったのです。


『わたくしたちは愛し合っているわけではない』


 それが、わたくしが抱いていた不信の正体です。

 シルベスター様はわたくしを愛しているとおっしゃいますけれど、わたくしから愛されたいという気持ちはないように感ぜられるのです。私が愛しても、愛しても、ご自身の愛には到底及ばないと。自分の愛はそんなものではないのだと。シルベスター様の愛だけがこの世でただ一つの愛だと――言葉に出しておっしゃいませんが、確かにそう思っていらっしゃいました。

 わたくしがどれほど思っても、どれほど愛しても、受けとめてもらえない。信用するに値しない程度のものと思っていらっしゃる。そのように思われて平静でいられますでしょうか。わたくしの気持ちを軽んじるシルベスター様こそわたくしを本当に愛しているのかと疑惑を向けたくなります。けれど、わたくしがシルベスター様の愛を疑うことは許されないのです。こんな不平等があるでしょうか。 

 そのことに、少しずつわたくしの心は疲れていきました。

 それでも――それでもわたくしはシルベスター様を愛しておりましたから、いつかこの思いが本物であるとわかっていただけるよう、愛し続けました。


 その結果が、現状なのです。


 トラプリトの実は、愛し合う恋人同士で食べれば来世でも出会えるという言い伝えがあります。ですが、もう一つ、実らなかった恋をどうしても諦められなかった者にもう一度来世で出会える機会を与えるという意味もあるのです。諦めきれない恋の慰めとして、心の底から愛した人への未練を叶える。

 ええ、そうです。同じトラプリトの実を食べ合ったわたくしたちですが、わたくしだけにその効果がある。その意味するところを理解したときの気持ちをどう表せばよいのでしょうか。

 わたくしたちは愛し合えていなかったことがこんな形で証明され、更には未練を持つほどシルベスター様はわたくしを愛してはいなかったのことまでわかってしまったのです。

 わたくしだけが、愛していた。

 一層滑稽でした。

 ほら、やはり、わたくしの愛はきちんと愛だったではないですか。そして、シルベスター様の愛は愛ではなかったではないですか。そう言いたい。けれども、もうシルベスター様はいらっしゃらない。生まれ変わって、その魂をお持ちになるとはいえ、コルネリス様はシルベスター様ではないのです。わたくしをおいてけぼりにして、シルベスター様はコルネリス様としてまったく別の人生をお進みになられている。

 こっそりとこのような真似をした私へのこれは罰なのかもしれません。

 来世でも会いたいなど思わなければ、こんな思いを連れてくることもなかった。

 けれど、不思議とわたくしの心は穏やかです。

 二度とシルベスター様に会うことが叶わない。今となっては、それが一つの救いでもあるように感ぜられるのです。だって、あの方が傍にいれば期待してしまうのですもの。愛して、愛して、愛し続けていれば、いつかこの思いが届くのではないかと。でも、もうあの方はいない。ですからわたくしが期待することも二度とない。あるのはただ、わたくしがシルベスター様を愛しているという事実だけ。

 そしてわたくしは、二度と会うこともできないあの方を思いながら今日もまた一日を過ごすのです。

 ええ、本当に、なんと愚かなことだろうと思いますけれど――――


 愛しても、愛しても、報われようがない。

 それでも、愛しているのです。











◇◆◇











「楽しいか?」


 苦々しく吐き出せばどくりと大きく心臓が脈打った。

 おぞましい、おぞましい、おぞましい。なんと醜悪なのか。これが自分の魂の中に存在するのかと思えば吐き気をもよおす。

 ベッドサイドの水を口に含む。喉が爛れそうに乾いている。

 手櫛を入れると汗で髪が湿っていた。


 私がそれに気づいた、否、気づかされたのは、彼女――リーゼとの婚約が決まってほどなくの頃だ。


 親同士が決めた婚姻。有能な伯爵を自身の派閥に引き入れるため、その娘と夫婦となるよう命じられた。

 公爵家に生まれた以上は自由恋愛などできようはずもないと受け入れた。

 政略結婚とはいえ、恋に落ちることだってある。自分で言うのも何だが、私は存外ロマンチストなのだ。故に、彼女との顔合わせの日は緊張していた。一目惚れということもあるかもしれない。最も、都合のいい展開にはならなかったが。

 熱烈に恋することはなかったが、強靭に拒絶したくなるわけでもない。こういう出会いでなければ親しくなることもなかっただろう相手。それが第一印象だった。

 婚姻が決まって以降、私は彼女を知ろうとした。夫婦となるのだから、互いを知り、親交を深めれば、恋にはならなくとも家族にはなれる。夫婦仲がお世辞にもいいとはいえない家で育った私は、家庭を持つならば妻となる女性と向き合うと決めていた。穏やかそうな彼女とならそれが可能とも思った。

 知っていくうちに、彼女の人柄を好ましく思うようになったし彼女からも好意のようなものを感ぜられた。

 私たちはきっとうまくやっていける。――そんな確信を胸に抱いた途端、魂が焼きついた。

 そして、思い出したのだ。

 私が、私となる前の、この魂が別の人格を有していたときの記憶。


 シルベスター・ロッドエル。それがおぞましき男の名前。


 シルべスターは或る一人の女を偏愛した。

 愛して、愛して、愛して、愛して、未来永劫女を自分だけのものにしようとした。稀代の魔術師でもあった彼は女の魂を縛る術をかけた。普通であれば叶うはずがない望みを、だが、叶えてしまった。

 

 この先もずっと自分だけが彼女を愛していられるように。

 死と生の輪廻の中で、必ず巡り合えるように。


 そう、私はシルベスターの生まれ変わりで、リーゼは女の生まれ変わりだった。

 あの偏執愛の術は成就したのである。

 私とリーゼは今生でも出会い、夫婦となることになった。

 ロマンチストな私ははじめはこの運命に喜んだ。


 だが――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 魂が輪廻すれば再び生を受ける。

 新たな生は、たとえ魂が同じでも別の人生を歩む別の人間。

 しかし、シルベスターがいう「自分だけが彼女を愛する」は正しくシルベスターのみを指した。――転生するということは、シルベスターの死を前提とする。一度死ねば、まったく同じ人物に生まれるなどない。それをわかっていながら、あの男は()()()()()()()()()()()()()()()()()()愛される術を女の魂にかけた。つまり女は二度と誰からも愛されることはない。そして、それを生まれ変わった自分に傍で見ることを強いた。

 ただ、女が自分の物であることを眺めるために、それ以降の自分の生までを縛り捧げさせた。

 愛は惜しみなく奪う――それを見事にやってのけた。何もかもを己の為だけに奪っていった。

 この先、誰も幸せになれない。

 この先、誰も報われることはない。

 何も知らない彼女も、あんな男の魂が宿った私も、憐れとしかいいようがない。


 あれは悪魔のような男。


 無論、私は抵抗を試みた。

 彼女と新しい関係を築こうと試みたし、彼女を愛そうともした。だが、私がそうしようとすれば身体中を蟲が這うような悪寒が駆け巡り、痛みと嘔吐に襲われ、皮膚が壊死し、熱に意識を奪われた。

 絶対に邪魔はさせない――怨念のような妄執に私は次第に抵抗する気力を失っていった。

 私に許されるのは、指一本触れることもないままに彼女を守り見つめることだけ。

 不甲斐なさも、やるせなさも、申し訳なさも、どんどん喪失し何も感じなくなっていく。諦念――そうだ、私にできることなどはじめからない。できるのであれば、もうとっくに解決している。何故なら()()()()()()()()()()()()()のだから。


「いったいどれだけこれを繰り返す?」


 つぶやきは、空しく消えていった。

読んでくださりありがとうございました。


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