第八話 敬虔な契約者、しかし、呪われた
話を要約すると、こうだ。
「こちらの仕事はこちらで忙しいから、そちらの仕事はそちらでやってくれ」――それが、地区治安取締部隊に言われた内容だった。
正確には、「こちらとしてもお手伝いしたいのですが……」と濁してくるのだが、ため息交じりにあくせく動き回る隊員達の姿を見させられると、私達としてもそれ以上強く出るに出られず。
「一刻の猶予も割けない」という彼らの様子を間近で目にしながら、「私達の調査を手伝ってくれ」と口に出すことは、私もシナも、流石の我儘娘リルでも、憚られることであった。
こうして大人しくすごすごと引き下がることしか出来なかった私達は、ほぼ一つの情報も手に入れることが出来ないまま、現在に至る。
「それにしても、何よ。忙しいからって。自分達の手に負えないからって依頼してるのはそっちじゃない」
「ま、まぁリル……しょうがないよ」
確かに、私達宮殿直轄部隊の任務は、もともとは地区部隊から連絡を受けて執り行われるものだ。
でも、それがそもそも私達の任務なのだから、彼らを問い詰めたところで仕方がない。
「ふむ。こうなったらやはり、K地区の人間達に話を聞くしかないだろう」
シナのもっともな発言にリルは気に食わないといった様子で頬を膨らませていたが、
彼の意見で納得した私達は、人が集まる場所――各地区の中心部にある「教会」へと向かうことにした。
☆★☆
K地区の中心部には、多くの人が集まっていた。
商店街には賑やかな声が溢れ、人々は赤や黄色といった色とりどりの傘を差して歩いている。
別のところでは長靴を履いた子供がはしゃぎまわり、地面を覆った透明な水がパシャパシャと跳ねていた。
(どこの地区も、教会の近くは人が集まるなぁ)
宮殿では普段目にすることのない景色が、そこには広がっていた。
普段黒ずくめの衣装に身を包んだ死神ばかり目にしているせいか、一般の人々が多く集まるこの空間が、私にはとても新鮮だった。
レンガ造りの出店が立ち並ぶ中、目的の建物はその奥の方にひっそりと佇んでいた。
どの地区でも、教会には必ず「あの方」の像が建てられている。
教会は他のどの建物よりも古めかしく見えたが、すぐ傍に佇む「あの方」の像は、いつまでも色褪せることなく金色に輝いて見えた。
(あの像、一体誰が磨いてるんだろう……)
私がどうでもいいことを考えていると、二人は相変わらず口論を繰り広げながら先に進んでしまうので、私は慌てて二人の後を追いかけた。
足が地面につく度に、透き通った水がパシャ、パシャと跳ねる。
少しずつ日も暮れていき、出店には一つ、一つと灯りが灯りはじめた。
路面電車が私達を照らし、チリンチリン、と音を鳴らしながら、すぐ近くを通り抜けて行く。
普段宮殿の近くからあまり出ない私達にとって、K地区の全てが新鮮に感じられて、
私達は、どこか浮足立っていた。
そのせいで、気がつかなかったのだ。
遠くから私達を見つめる人間達の視線が、「死神」を見るものだということに――。
☆★☆
「失礼するぞ」
そう言ってバン、と勢いよく扉を開けたのは、空気の読めない御伽の国の王子様だった。
案の定、中の人々の視線が、一点に私達へと集まってしまう。
「えっと……『死神様』……?」
教壇の上から、見るからに高級そうな金のローブに身を包んだ人物が呟いた。
古びた教会の扉の向こうには、多くの人々が集まっていた。
ステンドグラスの奥からは光が差し込み、教壇を照らしている。
どうやら説教の途中だったらしい。
突如乱入した「死神」達を目にした人々の間から、どよめきが沸き起こった。
長い木の椅子に座った人々は、忌々しそうにこちらを見ながら、小声で話し始めた。
「どうして、死神様がこんなところに」
「私達は敬虔な信徒じゃないか」
「まさか、裏切り者が」
「呪われた契約者」
「しっ、聞こえたら何されるか分からないわよ。魂を刈り取られでもしたら」
「もしかすると、“あの事件”だって――」
彼らはひそひそと耳打ちをしながら、こちらを見て――いや、睨んでいるようにすら見えた。
どこの地区でも、私達を恐れる人間は少なからず存在する。
魂を取られるだとか、死期が近い者の前に現れるだとか、私達をそう噂する者は多い。
「あはは、す、すみません、本当に失礼しちゃって。すぐお暇しますか……」
「“あの事件”――って、何かしら?」
私が申し訳なさそうに笑って誤魔化そうとしていたところで、リルはこめかみをピクリとさせてから、苛立たしげにそう呟いた。
それから彼女は、周りの視線などものともせず、真っ直ぐにその人物の元へと突き進んでいく。
「し……『死神様』……っ!」
「……だから、何よ。いいから答えなさい、さっきの話。『もしかすると、“あの事件”だって』って言ってたわよね。もしかすると、何なのよ」
「ごっごめんなさい! 本当に『死神様』のせいだと思ってるわけじゃないんです。じょ……冗談です、冗談なんです! 許してください!」
リルに問い詰められた人間は完全に怯え切っている様子だった。
リルが「そういう事じゃなくて」とどんなに説明しようとしても、ただひたすら顔を青褪めさせるだけで。
しまいには、隣にいた人間までもが「どうか彼をお許しください」と許しを請う始末であった。
(ど……どうしよう……)
確かに、どこの地区に行っても、死神を恐れる人間がいない訳ではなかった。
だとしても、ここまで恐怖心を抱かれたことは今までになかった。
《私達は敬虔な信徒じゃないか》
《呪われた契約者》
確かに、私達は「契約者」だけれど。
生前の記憶を封印され、契約を遂行するための特殊な能力を授かった「死神」だけれど。
それでも、下界にいた頃は確かに人間だった。
記憶はないけれど、私達は確かに、他の人々と変わらない「人間」で――。
怯えるだけでいつまでも肝心な事を話そうとしない彼らにしびれを切らしたのか、やがてリルはさらに声を荒げた。
リルの瞳が不気味に青く輝き、彼女を取り巻く青白い光が炎のように揺らめく。
「いいから早く答えなさいよ! でないと――」
「……そのくらいにしておけ、リル」
思わず能力を発動しそうになった彼女を止めたのは、いつも彼女に怒られてばかりのシナだった。
彼は冷静な口ぶりで、言葉を続けた。
「怯える人間に何を聞いたって、核心に辿り着けるとは限らないだろう」
「…………っ」
「まずは、俺達の信頼を得ないと……そうだろう?」
そう言って、彼はすっかり怯えきっていた二人に優しく微笑みかけた。
ステンドグラスの光に照らされて、水色の髪がキラキラと輝いているように見えた。
その瞬間だけ、珍しく彼が本物の貴公子に見えた瞬間気がして、私は思わず驚いてしまった。
それはリルも同じようで、彼女はしばらくの間、言い返す言葉もなく口をパクパクとさせていた。
しかしやがて、彼女は納得がいかないといった様子で反論する。
「けど! そうこうしているうちに魂がまた一つ消えていくのよ! 地区部隊だってあてにならないし、私達にのんびりしていられる猶予なんてないじゃない!」
確かに、それもそうなのだ。
こうして立ち止まっている間にも、事態は刻一刻と悪化しているかもしれない。
それに、今回は「連絡係」ケト様から直々の指令。
もし、この事件の裏で手を引く存在がいたとしたら。
それをみすみす逃してしまったら、私達は――
『そうでしたか。異物の排除には失敗してしまった、と』
『あ、大丈夫ですよ。役立たずの君達には……消えてもらうだけですから』
にこりとあどけない笑顔を浮かべながら、私達に鎌を振り下ろす件の天使の台詞が、頭の裏を掠めた。
――ダメだ。今回が最後の任務になることだけは、何としても避けなければ……!
口論に発展しようとする二人を止める術もないまま、私はただ悶々と思考を巡らせていることしかできず。
そうして、私達が完全に手詰まりの状況に追い込まれていたところで――
突如、バン、と音を立てて教会の扉が開いたかと思えば、一人の少年の声が教会全体に響き渡った。
それは、今にも泣きそうな声。
「誰か助けて! パパが――」
そう言って縋るように裾を掴まれたのは、一番近くにいた私で――。