第七話 水とレンガの街
ここは、森の中。
各地区を結ぶ道は木々に囲まれており、いつもは手に取る程の近くにあった雲が、今日は空の高い方に見える。
時刻は昼下がり。
緑が生い茂る人気のない道のりを、私達三人は歩いていた。
「連絡係」様の一人、ケト様にとある事件の調査に向かうよう指令を受けた私達は、人間達の暮らす街――K地区へと向かっている。
事件について、ケト様はこう言っていた。
《K地区で、魂の消失が相次いでいます》
《もし天界の平穏を乱すその存在がいたなら――見つけ次第、拘束して、特別牢獄にぶち込んでくださいね?》
(……それにしても、あんなに笑顔の怖い子初めて見た)
幼い少年ケト様の悪魔のような微笑みを思い出して、私は思わず身震いがした。
もしかしたらこの任務、失敗したら私達……ケト様に消されるんじゃないかな?
「は……ははは」
思わず口から乾いた笑い声がこぼれた。
この任務が私の最後の役目になるかもしれない。物語はこれにて終了、読者の皆様、今までありがとうございました。
私が一人恐怖に震える中、前を歩く二人は相変わらず仲良く喧嘩していた。
しかしこんな時だっていうのに、二人とも飽きないなぁ。
――ポツ、ポツ。
「あ……雨」
私は一人ぼそりと呟いた。
しとしとと降りだした雨が土に染み込み、夏のむんわりとした匂いが辺りに広がった。
「そろそろK地区じゃない? 二人とも」
私が声を掛けると、二人はようやく喧嘩を止め、こちらを振り返った。
どこからか街の音が聞こえてくる。
すぐそこに、森の出口が見えていた。
水とレンガの街――K地区には、一年中雨が降っている。
身体に当たる雨粒が一粒、二粒と増えていく中、ガサゴソと自分の荷物を調べた私は、やがて一つの事実に辿り着いた。
「あ、私傘持ってくるの忘れてた」
任務で足引っ張らないようにすることばかり考えていたため、いやはや、すっかりそのことを失念していた。
「フン、相変わらずタミらしいわね。一体どこに行くつもりでここまで来たの?」
「うっ。」
それを言われると、返す言葉もございません。
「仕方ないわ。まあ、あとで何でも私の言うこと聞いてくれるっていうなら? 私の傘に入れてあげなくもないのよ?」
「えー……」
リルの「何でも」なんて、嫌な予感しかしない。
「『えー』じゃないわよ! 早く入りなさいよ!」
そう言うと、リルは私の腕を強引に捕まえて、彼女らしいフリルのレースのついた傘の下に私を引き込んだ。
その勢いで思わず腕が千切れそうになる。
「痛い痛い痛い! わかったからリル、力強いって!」
「何よ? 可愛くてか弱い私がそんなことあり得ないじゃない。アンタの腕が脆弱なのよ」
「わかった! わかったから、あっ、待って! そんなに腕ぎゅうってしたら!」
助けて、私だけ任務が始まる前に終わっちゃう。
「……しょうがないわね」
じ、常人の力じゃなかったよ?
リルは掴んでいた腕を離すと、「折角、この私が入れてあげるって言ってるのに」と言って不満げに口を尖らせた。
なお、シナが「俺も入れてくれ」とでも言いたそうな形相でこちらを見ていたが、流石に女子の小さな、しかもフリフリレースの傘に男女三人が入るという選択肢はなく、そもそも、シナが入ることにより傘の中が逃げ場のない満員電車と同じ状況になることは絶対に避けなければならないことであり、痴漢が一人傘の外で雨にぬれる結果になることは、誰もが納得する事実であった。
☆★☆
森を抜けた先にあったのは、水とレンガの街、K地区。
空からはしとしとと雨が降り注ぎ、石畳に覆われた地面は、どこを見渡しても透明な水で覆われていた。
あたりにはレンガ造りの建物が立ち並び、赤や黒が不規則に並んでいる。
雲で覆われた街を背の高いガス灯が照らし、時折道路の中央を路面電車が走っては、透明な水が飛沫を上げていた。
「ここが、K地区……」
街の人々は皆色とりどりの傘をさし、歩いていた。
空から光が差しているわけでもないのに、この街は色鮮やかで、
宮殿の景色とは違ったまるで異国の世界に、私達の心は僅かに高揚していた。
まずは地区部隊の死神達に話を聞こう――そう意気込んだ私達は、早速彼らのいる場所――俗に言う「役所」へと向かった。
他の建物より一回り大きなその建物は、一見するとどこかの豪邸のようだった。
入口の扉に手を掛ける。
レンガ造りの真ん中にある大きな鉄製の扉は、降りやまぬ雨に濡れ、赤錆びた独特の匂いがした。
扉を開けると、ギィ、と重々しい音が鳴った。
すると、目の前に広がったのは、吹き抜けの広い空間だった。
床には赤い絨毯が敷かれ、部屋の奥には二階へと続く大階段があった。
少し年季を感じる黄色の壁に、光沢を放つ木製の手すり。
少し足を踏み入れると、足元の絨毯から思いのほか柔らかな反応が返って来て、吸い込まれるようなその感触に少し、やみつきになりそうになったり、ならなかったり。
シナだって足先で床をツンツンもふもふ、つついてるし。
「ここがK地区の詰所か。しかし……この床はなんとも言えぬ感触だな。K地区の奴等が羨ましい」
シナが感心したように呟きながら一向に入口から動こうとしないので、しびれを切らしたリルが一人でスタスタと行ってしまった。
いつまでも動こうとしない彼を見ながら「お前は子供か」と呆れつつ、私はシナに「行こうよ」と促してみた。
しかしそれでも、しばらくその場から動いてくれそうになかったので、とりあえず子供は放置してリルの後を追いかけることにした。
(何なんだろう……この王子)
土踏まずに優しいね、とでも言えば良かったのだろうか。
入口のホールを奥へと進む。
私がリルの背中まで追いついた時、私達のいるすぐ横の部屋から声が聞こえてきた。
「はい、678番の方――!」
部屋の中から聞こえて来たのは、死神の声。
その声はこちらのホールにまで届き、広い吹き抜けの空間全体に響いた。
チラリと横の部屋を見やると、図書館の扉のような茶黒の扉の横に「受付課」と書かれた札がぶら下がっていた。
「『受付課』……私達も、最初はここを通ってるのよね」
足を止めた彼女はボソリとそう呟くと、遠くを見るような目で部屋の中を眺めていた。
思わず、私もつられて部屋の中へと視線を移す。
赤い絨毯の上に幾つものパイプ椅子が並べられ、白い衣服に身を包んだ魂達が番号を呼ばれては、皆次々と「適性判断」を受けていた。
下界で死を迎えた魂は、皆必ず適性判断を受けることになっている。
人間と違い「契約」を結んだ私達はそれ以前の記憶がないため分からないが、私達も、ここにいる白服達と同じように、必ずどこかの「役所」で適性判断を受けている。
しかし思うのは、地区部隊の死神の顔色の悪さである。
以前任務で別の地区に行ったときも感じたが、宮殿勤めの死神と地区務めの死神では、明らかに疲弊度合が違うような……
「K地区の死神達、凄い忙しそうだね……」
「フン、やる気が足りないのよ。私みたいに可愛くて優秀なら、目の下に隈なんて作らないんだから」
「ハハ、そうですね……」
流石、リル。その有り余るほどの自信を是非、私にも分けてください。
二階に上がった私達は、本日の目的地である「地区治安取締部隊」と書かれた札の下がった扉の前まで来た。
黒一色のその扉に手を掛けたところで――唐突に、私はお尻のあたりをつままれるような不快感に襲われた。
後ろを見やると、案の定そこには、納得がいかないといった表情で首を傾げる、件の貴公子の姿があった。
「しっ、シナ?!」
「ふむ……やはり、尻と太ももの境界が曖昧だな。俺としてはもっとこう……」
そこまで言ったところで、横にいた薄桃の姫君の張手が炸裂する。
風船が百個くらい破裂したのではないかと錯覚する程の激しい音が響き、「ついにタミにまで手を出したわね、この変態!」と怒号が響き渡った。
一方の私は、突然の出来事に赤面しながらも、余りにも激しい制裁にむしろ彼の生命へのダメージが心配になってしまった。
「それに何よ、それ。そんなに沢山、紙袋両手に抱えて」
「ああ、これは先程一階の『受付課』の淑女達に頂いたもので……」
彼は左頬を押さえながらそう言うと、彼はガサゴソと紙袋の中身を取り出してみせた。
すると、中からは大量の菓子折りが……
「なっ、何でアンタがそんなもの貰ってるのよ!」
「…………? よく分からないが、好きに食べて良いと言われたぞ」
「だからって、何でアンタみたいな……!」
「……そうか、」
すると王子様は納得したように頷いてから、爽やかに笑って言った。
「そんなに欲しいなら、遠慮せず言えば良いだろう。俺は受けた施しを仲間と分かち合える、広い心の持ち主だからな」
「…………」
いや、そういうことじゃなくて。
と、その場にいる誰もが思った。
でも、そうか。このスマイルだな。
このスマイルが多くの女子を騙しているのだ、と名探偵の私には分かった。