第六話 天使と悪魔
扉の向こうから突如現れた少年は、まさに天使のようだった。
齢十二、三くらいの彼の白髪はまるで雪のように白く、死神の真っ黒な装束とはまるで対照的に思えた。
頭の上に生えたアンテナがぴょこん、ぴょこんと動いている。
やがて、長く白いまつ毛の下で、マスカットの粒のような若葉色の瞳がこちらを覗いた。
ふと視線が合うと、幼い「連絡係」様はこちらに向かって、愛らしくニコリと微笑んだ。
(か……可愛い……)
それはまさに、無邪気な穢れなき天使の微笑みで。
天界の頭脳とも言われる司令塔の「連絡係」様の一人が、まさかこんな小さな愛くるしい子供であったことに、私は驚きを隠せずにいた。
「ケト様……入ってくるタイミング良過ぎません?」
隊長が苦笑交じりに少年を見て尋ねると、彼は「そんなことないですよ。丁度良いタイミングを見計らって外で待機なんかしてませんから」と言ってあどけない笑顔を浮かべた。
あ、丁度良いタイミングを見計らって外で待機してたんだ。
それから、彼はぐるりと部屋を見渡してから、一言ボソリと呟いた。
その一言がとても目の前の天使から解き放たれた言葉とは思えなくて、私達は一瞬耳を疑った。
「それにしても、相変わらず凄い部屋ですね~ルイ。アイドルのストーカーみたいだ」
それは眩しいほどに屈託のない笑顔で。
私達の誰もが思った、けれども暗黙の了解で言葉にはできなかった事実を、件の少年は躊躇いもなく口にした。
(ああ、それは思ってても言ってはいけない禁句だったのに……)
私だけでなくリルでさえ、思わず隊長に哀れみの視線を向けていた。
一方の隊長はというと、
「す……ストーカー……」
かなりの打撃を受けていた。
しかし、隊長に言葉攻めでここまでの打撃を与えるケト様って凄いな。
私がそんなどうでもいいことを考えていると、ケト様は悪気のない笑顔のまま言葉を続けた。
「ねぇルイ、貴方はどうしてこんなに総督様に執心するんです? 私なんか毎日一緒に居ますけど、総督様ってただの変な人じゃないですか」
いや、本当に何でも言うねこの子。
「へ……変な人なんかじゃない!」
すると、隊長は机をバン、と叩いて勢いよく立ち上がった。
ああ、遂にスイッチが入ってしまった……。
「『あの方』は確かに少し変わったところがあるけれど、それも、いやそれこそが彼女の魅力の一つなんだ! それに、『あの方』はとても慈悲深いお方なんだぞ? ファンの一人に過ぎない俺なんかのために、ハハ、鎌すらつかえないこんな俺でも隊長に相応しいって励ましてくださったんだ。いやしかし、それなのに、あんな完璧な女神様が、どこか抜けているところがあるって。どういうことなんだ、ギャップ萌え過ぎるだろ……? ああ、貴方は女神だ、俺の永遠の女神様だ……」
そう言うと、隊長はお手製のブロマイドを胸に当て、ひたすら「永遠の女神様」を繰り返すだけの人になってしまった。
我らが治安取締部隊隊長――死神ルイは、重度のアイドルオタクである。
あ、リルから隊長へ注がれる視線が、人を見るものじゃなくなっている!
隊長がご執心の間、ケト様はクスクスと笑い、私は乾いた笑いを浮かべ、変態王子シナに至っては、相変わらず何が起こっているのかよく理解できずピンと来ていない様子だった……。
「しかし、君達が今回のね。ふ~ん……」
そう言うと、少年ケト様は私達の元にやって来て、それぞれの顔を覗き込みながら、何やらブツブツと呟き出した。
え、どうしよ。今回ってすごく大事な任務なんだよね。
私が出来損ないなのバレたら、メンバーから外されちゃったりしないかな……。
シナの前に来たケト様は、クスクスと笑いながら、彼の水色の瞳を指差し「君は変態ですね」と言い放った。
シナは心外だといった表情を浮かべていたが、横にいたリルが激しく頷いているのが見えた。
次にリルの顔を覗き込んだ彼は、「君が優等生の。話は聞いてますよ」と言ってニコリと笑った。
その言葉を受けたリルはとても誇らしげで。
それはいつものリルだったけれど、今の私にはそれが無性に羨ましく感じた。
一方で、出来損ないの自分が情けなかった。
最後に、ケト様が私の前に来た。
ぴょこんと生えたアンテナが興味深そうに左右に揺れている。
私はゴクリ、と唾を飲み込んだ。
すると、ケト様は「ふ~ん」と呟いてから、ニヤリと口角を上げ、一言だけ告げた。
「君でしたか。総督様が長年ご執心の、悲劇のヒロインは」
思わず口から疑問符がこぼれ落ちる。
何のことか理解が及ばない私のことなどさておき、ケト様はクスクスと笑って言葉を続けた。
「では、皆さんに肝心の任務についてお伝えしますね」
彼はよっこいしょ、と隊長の机の上に座ると、小さな足をぶらぶらと遊ばせながら話を続けた。
「総督様――『あの方』は大層憂いておられる」
小さな「連絡係」様はそう言うと、ため息を落とした。
「K地区で、魂の消失が相次いでいます」
魂の消失――それは、天界で「死」を迎えた魂の末路。
下界で死を迎えた魂は天界へと転送されるが、天界で「死」を迎えた魂はその形を失ってしまう。
正確には、再び下界へと向かうのだが、その際に大量の精神エネルギーを消費するため、形を保てなくなり消失するのだ。
消失するといってもそれは目に見えなくなるというだけで、その魂は下界にて新たな生を受ける。
精神エネルギーを、魂の記憶を削ぎ落された形で。
「ただ消失するだけなら、問題ないんですけどね」
ケト様は物憂げな表情で言葉を続けた。
「K地区治安部の話によりますと……異常なんですよ、その頻度が」
彼はハァ、とため息をつきながら「つまり、」と言葉を続ける。
「背後に何かいるかもしれません。総督様に恨みを持つ――契約違反の死神が」
その瞬間、全身が引き締まるような思いがした。
つまりそれは、私達と同じように能力を持つ死神を捕えなければならないということで。
私の脳裏に、前回リルと行動を共にした任務の光景が蘇る。
契約違反の死神が目の前にいて、あと少しのところで任務を果たせそうなところで、
臆病な私は、足を引っ張ってしまった。
私は、リルに守られて――リルに、助けてもらっただけだった。
「君達の使命は分かっていますね」
ケト様は、ぶらぶらと遊ばせていた両足を止めた。
彼はひとしきり私達を見渡してから、小さな口の端を上げ、指令を告げた。
その瞬間、部屋の空気が一瞬にしてカチリと凍りついたような気がした。
「もし天界の平穏を乱すその存在がいたなら――見つけ次第、拘束して、特別牢獄にぶち込んでくださいね?」
皆がゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえた。
あどけない微笑みから放たれる重圧に、思わず背筋がゾクリとする。
《もうすぐケト様がそこの扉から入ってくるから、そしたらちゃんとお辞儀するんだぞ》
《俺の話を聞かないのは構わないが――ケト様には、あんまり失礼しない方が身のためだぞ》
ああ。さっき隊長が何でああ言ったのか、少し分かった気がする。
ケト様は――天使じゃなくて、悪魔なんだ。