第三話 彼も、本当は
「死神」「人間」の別に関わらず、いかなる魂も、その中にエネルギーを有している。
古来より、そのエネルギーは、魂が下界と天界を行き来する際に消費されるとされていた。
しかし、それがどういう仕組なのか、エネルギーの正体は何なのか――その詳細は長年謎に包まれていた。
だがある時、謎に包まれたそのエネルギーついて、ある仮説が唱えられるようになった。
「魂の有するエネルギーは、人の思念が詰まった情報データか或いは人の思念そのものなのではないか」と。
やがてその仮説は定着し、エネルギーはこう呼ばれるようになった。
――“精神エネルギー”と。
「人間」を含め、誰もが魂の中に精神エネルギーを有しているが、それをコントロールする術を持たない。
しかし、「あの方」と契約を結び特殊な能力を与えられた者は、本人のポテンシャルに応じ、精神エネルギーを様々な形で外に具現化できるようになった。
それが私達、「死神」。
私達は「あの方」に与えられた能力を使いこなせるように、訓練を行う。
そして「あの方」を、この天界を守る使命を果たせるようにならなければならないのだが――。
♪♪
「オイそこのオマエェ! 真面目にやってんのかァ!」
「はっハイ! すっ、すみません!」
「『すみません』じゃねぇ。真面目にやってんのか、って聞いてんだよ!」
「はっはい! 私は至って真面目に真剣に、ひっ日々訓練に励み……いえ、励ませていただいてますっ!!」
怖いよー。帰りたいよー。
「じゃあ何でお前の成績はいつもドベなんだ!」
「ひっ、正論」
教官の燃え上がるような赤い髪を見るたびに、地獄の業火を連想せずにはいられない。
罪人を痛めつける地獄の鬼。まさに鬼教官。
しかし、彼の言うことは理にかなっている。
養成学校の学科試験に、技術試験。
普段物覚えの悪い私の学科試験の成績が良い筈もなく、技術試験に至っては言わずもがな……
以前、精神エネルギーをコントロールするために、最も基本となる青のエネルギーである「空間移動」を使いこなすための訓練を行った時も、そうだった。
皆が次々と己の魂に秘める精神エネルギーを発現していく中、私はというと、期限ぎりぎりになってようやく、ほんの十メートル程の移動ができるようになっただけだった。
ちなみに、優等生だったリルは、ものの数時間で一キロメートルの移動を達成している。
有事の際の戦闘訓練を行った時もそうだった。
「あの方」を護衛するため、そしてこの「天界」を守るために、仇となる者を排除するための訓練。
――私が一番、苦手だった訓練。
「お前ェ! 何ボーっとしてんだよォ! そこですかさず鎌入れろォ!」
「はっ、ハイッ……!」
組み伏せた機械人形の瞳がじっとこちらを見ている。
手に持った鎌を握る手が、汗でじっとりと湿っていく。
(やらなきゃ……守らなきゃ……)
ゴクリ、と唾を飲み込み、振り上げた鎌を機械人形目がけて振り下ろそうとした瞬間――
『タ……ス……ケテ』
機械人形の唇が、僅かに震えた気がした。
依然として動かない彼の瞳が、こちらをじっと見つめている。
「ひっ」
いつだって私は、鎌を振り下ろせなかった。
そして、いつだって彼らは、私を見て嘲笑うのだ。
――「このヒトゴロシ」、と。
「お前は、ポテンシャルは高いと思うんだがなぁ……」
機械人形を前にまたも敗北した私の元にやって来た鬼教官はそう呟くと、呆れたようにため息をついた。
どうやら私は保有する精神エネルギー量だけは一人前、いや、二人前なのだそうだが、それを上手く発現できない私にとっては、豚にダイヤモンド、猫にピン札なのだという。
「タミ、何でお前はそんなに成績が悪いんだろうなぁ」
「す……すみません……」
すみませんね、いつも出来損ないの生徒で。
「考えられるとすればアレだな。お前の性格が問題だな」
ついに、人格を否定された!
「その『臆病』、何とかしねぇとなぁ」
「は……はぁ……」
「お前は、向き合うのが怖いだけなんだよ」
その時の鬼教官は、珍しく穏やかな表情を浮かべていた。
彼は私の肩に手を乗せてから、どこか遠くを見つめて言った。
「怖いだけなんだ。忘れちまった自分の罪と、向き合うのが」
いつもの厳しい彼はそこにおらず、
怒鳴ってばかりの地獄の鬼の手が、本当は優しくて温かいものだということに、気がついた気がした。
彼は「俺も一緒だ」と言って、少し笑ってみせた。
初めて見せた鬼教官の笑顔は、どこか寂しそうだった。
宮殿の中庭に吹き抜けるそよ風が、肌を撫でた。
噴水の飛沫が風に乗り、周りの訓練生達の声がどこか遠くの方で聞こえていた。
「我々死神は、『あの方』を守るために存在している」
「それが我々の使命だ」
あの時の鬼教官の言葉が、ずっと心から離れない。
「だから、向き合え。そして、覚悟を決めろ」
私達は、一度消された記憶と向き合うしかないのだ、と。
我々は、定められた運命に抗いながら、前に進むしかないのだ、と。
鬼教官が、そう言っているような気がした。
「お前は――『死神』なんだ」
♪♪
「アンタは散々鬼教官に言われてたわねー。『お前は臆病なだけだ、根性見せろ』って」
「あはは……よく覚えてるなー」
他人事だと思いよって……。
「でも良いよね、リルは。いつも褒められてたし」
「そんなの、当然じゃない。才色兼備な私が、褒められない方が可笑しいわ」
「はは……そうだね」
「…………」
結局、卒業しても私が臆病なのは治っていない気がするけれど。
この前だって、リルに助けて貰ったし……。
訓練生達を眺めながらぼんやりとそんなことを考えていると、彼女はフン、と鼻で笑ってから「もう行くわよ、時間に遅れちゃう」と言ってスタスタと先へ歩いていってしまった。
慌てて彼女を追いかけようとする私に、彼女は前を歩いたまま言葉を続けた。
「まあ? 可愛い上に優秀な私が特別なだけに過ぎないのよ? アンタがそうじゃないからって、何も気にする事なんてないわ」
彼女は振り向くこともせず、前を歩いていく。
彼女の飾らない言葉に、何だか少し胸がくすぐられるような思いがした。
私は高鳴る気持ちを大事に仕舞いながら、タタっと彼女の元へと駆けて行く。
しかし――
「でも、まさか、フフッ。あんなに落ちこぼれだったアンタが、この私と同じ部隊になるなんてね~。戦闘訓練の時だって、あんなに落ちこぼれだったのに」
「…………」
そんなに落ちこぼれって言わなくても。
高鳴っていた気持ちも冷め、神々しく見えていた彼女の背中の後光も、少しずつ消えていく。
「だって……適性判断を断ったら……」
「分かってるわよ。私と離れるのがそんなに嫌だったんでしょ? もう、タミったら私がいないと本当にダメなんだから~」
彼女はもごもごと呟く私の言葉を遮るようにそう言うと、私の腕にぎゅっと抱きついた。
「落ちこぼれのアンタを、仕方なく私が面倒見てあげてるんだから。感謝しなさい」
「えっ、そうなの」
「何言ってんのよ、いつも私が色々とフォローしてあげてるじゃない」
「あ、はい……いつもお世話になっておりました……」
彼女は私の腕にしがみついたまま、「だから、ヘマして他の部隊に飛ばされたりするんじゃないわよ」と付け加えた。
まるで子供みたいだと思いながら、私は我儘なお姫様を、今度こそは守りたいと――そう願うのだった。
《貴方に授けた力は、きっと――貴方の大切なものを守ってくれるでしょう》
《どうか私と一緒に、この天界を守ってください》
――「あの方」に貰った、言葉のように。
☆★☆
隊長室に辿り着いた私達は、部屋の扉をコン、コンとノックした。
しかし、中から応答はなく――私達はしばらくの間顔を見合わせていた。
「……返事、ないね」
「タミ、もう一回ノックしてみたら?」
「う、うん……」
取り込み中なのだろうか。
気を取り直して再度部屋の扉をノックする私の傍らで、リルは扉の向こうを忌々しそうに睨みつけていた。
「もし“ブロマイド”に夢中で私達に気がついてなかったなら、タダじゃ置かないんだから」
「あはは……」
リル、一応隊長よ?
すると、部屋の扉がガチャリ、と開き、中から人影が現れた。
部屋の中から除いたその姿は――私達の知る“隊長”のものではなかった。
澄んだ湖を思わせる水の色が、宮殿の窓の外から差し込んだ光に照らされてキラキラと輝く。
その青年は、一言で言えばそう……まるで、どこかの国の王子様のようだった。
その瞳。
少し長く伸びた艶やかな髪と、パッチリと開かれたまつ毛の一本一本に至るまで、全てが清らかな水の色。
死神の装束に身を包んだ彼の姿を見て、彼が“一般隊員”であることは理解したが、
しかし、一体――何故彼がこの部屋に……?
「あの……」
私が口を開こうとしたその瞬間――
ふと、隣のリルの姿が目に入り、私は思わず言葉を止めた。
(あ、これは……また一目惚れしたな)
養成学校の頃から“乙女チック”全開の彼女は、これまで何度と一目惚れしたか定かではない。
私の知る限りで、既に指で折っては数え切れないほど――彼女はコロコロと“好き”の対象を変えては、その人物に対する溢れんばかりの想いを私にぶつけてきたのだ。
容姿の整った青年を目にした彼女の瞳は、いつも決まってハートの形になるからとても分かりやすい。
私は心中で「またリルの長話に付き合うのか」と半ばげんなりしながら、チラリと青年の方へと目をやった。
王子様は依然として涼しげな表情を浮かべたままだったが、リルの視線に気がついたのか、視線を彼女の方へと泳がせながら、何やら眉をひそめてはて、と首を傾げている。
(怪しまれてる! リル、怪しまれてるよ!)
私は咄嗟にぎこちない微笑みを浮かべながら、間に割って声を掛ける。
「あ、あの……! あなたは、その……どうして、隊長室に……?」
「…………」
しかし、王子様は依然として口を開かぬまま――リルをじっと見つめている。
それに対して、リルは喜びと緊張で更に頬を赤らめ、瞳の中の薄紫色のハートをより一層煌めかせていた。
(はぁ……全然聞いてないや)
しかしこうして見てみると、本当に整った造形をしているな、と思った。
色素の薄い彼の肌は彫刻のように白く、整った鼻筋はどこかのモデルのようだ。
柔らかなまつ毛が穏やかな印象を与え、キューティクルの輪はまさに天使のそれだった。
隊長室の中から突如現れた御伽の国のプリンセスは、暫くの間リルを見つめ沈黙を貫いていたが――
やがて、彼がおもむろに手を伸ばした方向に目をやったとき、何かの間違いではないかと思った。
彼が手を伸ばしたその先はなんと……リルの左胸部で。
「ふむむ。実体がない――やはり偽物だったか」
「…………っっ!?」
彼は“得心”といった表情で頷きながら、涼しげな表情のままリルの胸部を何度も掌握し続けている。
突然の出来事に私は目を見開いたまま口をあんぐりと開けることしかできず、一方のリルは、顔の紅潮を更にヒートアップさせ……それはまさに、沸騰寸前のやかんのようだった。
極め付けに――彼は何食わぬ顔でフン、と鼻を鳴らしてから、こう言い放った。
「全く、近頃の女子と来たら……このような小細工をしたところで何になるというのだ。貴様がどんなに取り繕ったところで、この俺の目は誤魔化せな――」
彼が言い終わる前に、廊下中に大きな炸裂音が響き渡った。
ちょうど同じタイミングで、やって来た隊長が呆れたように頭を掻きながら、苦笑を浮かべ――
「うーん……お前らさぁ。痴話喧嘩なら、面倒くせぇからどっか外でやってくれない?」
その……何処から突っ込めば良いか分からないんだけど……
とりあえず、王子様、
あなたが一番、偽物なんですよ……。